シンポジウム「文化芸術は誰のもの?」参加者レポート③

「問う場所、語り合う時間。」

末澤隆信(苫小牧市/妙見寺住職)

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 8月中旬、札幌かでるホールでイレブンナイン公演『12人の怒れる男』観劇。一幕もの戯曲の魅力に溢れる、圧倒の舞台だった。場の空気が生々流転する現実感、咳も憚られる緊張感。私は札幌の演劇の大いなる達成を目撃していた。

 舞台はほとんど密室の会議室。父殺し容疑で起訴された少年の有罪無罪を巡り、陪審員に選ばれた男達が徹底的に討議する。精彩を放っていた各登場人物達の個性、浮かびあがる内面、変わっていく心理、そして怒り。様々な怒りの生々しさに息を呑んだ。若手から中年まで幅広い男優12人は、みな違う劇団に所属するという。その条件で物語が成立展開していることの奇跡。札幌は全国に問いうる舞台作品を獲得した。どんな芸術論議よりも札幌の到達点をこの作品は語る。これを届けたのは、札幌に登場した多くの演劇人、あまたの作品、無数の試み、費やされた長い歳月…。そしてそれは北海道の各劇場で今も生まれ、積み重ねられているのだ。

 その二週間前、札幌で「文化芸術は誰のもの?」と題したシンポジウムに参加した。討議の時間になり私は識者に尋ねた。「あなたの意見を聞かせて下さい。芸術は誰のものですか?」その識者は言った。「みんなのものです」うん。そうだろう。でもすぐには合点がいかなかった。

『12人』を観劇後に気付いた。合点できなかった理由を。あの時の私たちには足りなかった。とことん討議する行為が、その時間が。例えば作り手側の「決まってるじゃん、そんなの俺たちのものだよ」もしくは市民側の「えっ、きっとなんか誰かのものでしょ?」そんな答えは揺るがされていい。必要なのは「問い、その答えを交わしあうこと」それこそが現実を抉り出し、変容し、未来を切り開く。法律って誰のもの?社会って誰のもの?演劇って誰のもの?どうか札幌の演劇界はその場を育み、追求し続けてほしい。「みんなのもの」は、その先にしか生まれない。『怒れる男たち』はそのメッセージをしっかりと私に手渡してくれた。

演劇があってよかった。演劇が好きでいてよかった。これからも演劇を信じたい。そしてお寺、仏教、地域社会…私が今、拠り所にしているものって誰のもの?大きな感慨と問いを得て、自らが住む場所に帰った。

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【関連情報】
苫小牧市にある妙見寺では毎週木曜日(冬季間12月〜3月までは月2回)、絵本、児童書、子育て本の貸し出しや「乳幼児のための読み聞かせ」、人形劇などを行う「みょうけんじ文庫」を開設。また、地域の方々と一緒に読書会「お寺de名著」などを行っています。 活動の様子はコチラで https://myokenji.info/
●シンポジウム「文化芸術は誰のもの?」開催概要はこちらをご覧ください。
https://s-e-season.com/jlyp2022/news/20220603.html
講師おふたりの関連情報は以下をご参照ください。
・佐野真由子(京都⼤学⼤学院教育学研究科教授)  新しい文化政策プロジェクト
https://cp.educ.kyoto-u.ac.jp/cp-pro/
・戸舘正史(松山ブンカ・ラボ ディレクター/愛媛大学社会共創学部助教) 松山ブンカ・ラボ
https://bunka-lab-matsuyama.com/