ゲキカン!


ドラマラヴァ― しのぴーさん

 まず、第1話と第3話を観て、このゲキカン!を書いていることをお知らせしておきたい。BLOCHで芝居を観ると、本当によく通っていた下北沢駅前の劇小劇場を思い出す。演劇なるものを目指す作家や役者の熱がビンビンと伝わってくる。青春のひと時吹き荒れる演劇熱に狂った兵どもの匂いのするしけた小屋だ(僕はいい意味で使っている)。役者もほぼ無名で、作家に至っては自分勝手な世界観に酔っていて、大半はパン屑のようなシロモノで正直観るに耐えない。だけれども、時折、磨けば輝くだろう原石や、あっと驚く才能に出逢うことがある。あの小屋の暗闇に演劇の神様が降臨する。そう、若いお芝居好きの観客たちに見出されることによって。
 「フリッピング」を観ていて、僕は何故か、幼い頃夢中になって劇場生中継を観ていた、昭和の喜劇王と呼ばれた藤山寛美の松竹新喜劇や花紀京や岡八郎、原哲男と言ったレジェンドたちがいた時代の吉本新喜劇を思い出していた。作の川尻恵太は、現在、活躍している東京では基本コント作家であり、ギャク作家だと思う。僕が川尻恵太と出会ったのは、札幌演劇シーズン2014-夏に参加した、苗穂聖ロイヤル歌劇団の再演「夜明け前」だった。苗穂聖ロイヤル歌劇団は、札幌演劇人育成委員会のプロデュース劇団で、川尻を座付き作家にして2004年から2010年まで6本の作品を上演した。「夜明け前」はその最後の作品だった。作・演出の川尻は役者として出演もしている。この芝居も本当にしっちゃかめっちゃかだった。でも、ものすごい熱量を感じたし、あっ、才能だなと感じた記憶がある(ちなみに、今回演出の山田マサルも出演していたが、役者としての川尻のぬるっとした気持ち悪さは超逸品だった)。
 「フリッピング」は、演劇という構造を借りた、コントライブだ。本当にくだらない(僕はいい意味で使っている)話を、個性派揃いの役者たちが、真剣にくだらなく(ここでも僕はいい意味で使っている)汗だくでパフォーマンスする。これは、どんな時も芝居のキモだ。だから、ここで、人物の造形がとか、ドラマツルギーがなんて論じるのは、ちゃんちゃらおかしい。妄想は、時としてほぼ現実に見えるように、引き出しの実に多い川尻恵太ワールドにただただ身をゆだねて身悶えて笑えばいいと思う。今シーズンの作品の振り幅の大きさを象徴する快作、いや怪作である。いくら1話完結でも観れる三部作とは言え、合計で5時間15分に及ぶ本を書けるのは、やはり才能だろうと思う。文字通り玩具工場のKAZAMAというおもちゃ箱から、散らかしたい放題に撒き散らした伏線も見事に回収されている。残念なのは、ラストのどんでん返しがほぼ途中から見えてしまっている点くらいだろうか。川尻とタッグを組む山田マサルの実に真剣に馬鹿馬鹿しい演出に、僕は拍手を送りたいと思う。風間薫役の藤谷真由美、怪優だ。染井役の小石川慶祐は僕の好きな役者のタイプ。まゆみちゃん役の山﨑亜莉沙のぬめり具合は癖になる。木村オランウータン役の赤谷翔次郎。ちょっとオダジョー似。いいじゃないの。くるみ役の岩杉夏は、実にいやらしいビッチオーラを出していた。そして、札幌の演劇シーンを牽引してきた、アニキこと、川井“J”竜輔。作品と年輪を重ねてきたバカバカしい円熟味がいいスパイスになっている。
 この「フリッピング」は、シアターZOOでもPATOSでも成立しえない芝居だ。そこがとてもいいと思う。2回観た回ともBLOCHは20代の女性が実に多くて開演前から熱気に満ちていた。ケラケラ、ゲラゲラ笑い、えぇ、そこで泣く訳と突っ込みたくなるくらいすすり泣きの声も聞こえた。こういう若い観客たちが、札幌の演劇シーンの裾野を広げてくれたらとっても嬉しい。だって、お芝居は、作家は、役者は観客の厳しい目があってこそ成長するものなのだから。

ドラマラヴァ― しのぴー
四宮康雅、HTB北海道テレビ勤務のテレビマン。札幌在住歴四半世紀にしてソウルは未だ大阪人。1999年からスペシャルドラマのプロデューサーを9年間担当。文化庁芸術祭賞、日本民間放送連盟賞、ギャラクシー賞など国内外での受賞歴も多く、ファイナリスト入賞作品もある米国際エミー賞ではドラマ部門の審査員を3度務めた。劇作家・演出家の鄭義信作品と蜷川幸雄演出のシェークスピア劇を敬愛するイタリアンワインラヴァ―。一般社団法人 放送人の会会員。
シナリオライター 島崎 友樹さん

面白い舞台を観たい。

と思うのは誰しもそうで、「つまらないやつをいっちょ観に行こう」と思う人は、まあいない。「あの劇団はいつもつまらないから最高だよね」とか、「あそこの舞台の眠気は格別なんだよ」なんていう人はもう相当な演劇通……なのかな?

そういうわけで、みんな面白い舞台を観に行こうとしてるんだけど、じゃあ、「面白い」って、なに?

パインソー「フリッピング第1話」は、その問いに、明確な答えを用意している。面白いってのはつまり面白いってことで、とにかく明るく、笑えて、劇場でたくさんの人と一緒に観て楽しく、小難しい分析も批評もいらなくて、「ね、ほら、楽しいでしょ?」という面白さだ。

特に大事なのは、たくさんの人と一緒に観て楽しむ、という点。舞台を観てると不思議なもんで、自分ではそんなに面白くないのに、周りの観客に引っぱられて笑ってしまったり、あるいは他の人たちと一体になって、まるで示し合わせたかのようにクスリともしなかったりする(あの、ウケなかった瞬間の、エアポケットのようにぽっかり空いた時間、そして空間を、なんて呼べばいいんだろう?)。

今回「フリッピング第1話」は、1人でニヤリと笑うよりも、みんなでワーワー笑えるようなネタがたくさんで、(やや?)下品なところもあったりして、それはもう、いっそみんなで笑っちゃおうよ、っていう舞台だ。

生の人間が、目の前でここまでやってる。声をあげ、エネルギーを放出させ、**を食べたり、**を飲んだり、出したりしてるんだから(お芝居上ね)、もう、一緒に楽しむしかない。

……ところで、この文章は観劇後の人も読むだろうから、まあ、そんなことを必要とする舞台じゃないのだけど、あえてちょっと分析してみると、これは結局、「不在」の物語だ。あ、ここからは観劇後の人のみ読んでください……

というわけで、おもちゃ工場は1人をのぞき全員死に、風間の父も死に、のちに現れる女の子も父が死んでいる(その子にまつわる物語は、彼女の中にある不在感を埋める作業だ)。で、引きこもりだった従業員は、好きなバンドが解散していなくなってしまう(不在になる)ことを知り、ロッカーにこもって彼女自身が不在になる。

そう考えると、この物語の主人公(?)がなぜあのような設定なのかもうなずける。彼は生き残る幸運を持っている人間で、童貞を失っていないという、不在(ない)とは逆側の”ある”存在なのだ。だから彼だけが、不在感を持つ人間の心を埋めることができたのだ……というのは、うがって見過ぎなのかもしれないね。

島崎 友樹
シナリオライター。札幌生まれ(1977)。STVのドラマ『桃山おにぎり店』(2008)と『アキの家族』(2010)、琴似を舞台にした長編映画『茜色クラリネット』(2014)の脚本を書く。シナリオの他にも、短編小説集『学校の12の怖い話』(2012)を出版。今年、2作目の小説を出版予定。
ライター 岩﨑 真紀さん

社会的不適合気味の変人(笑)が集まっているオモチャ工場を舞台に、
登場人物たちが捨て身のギャグを繰り広げるシモ系の笑いの世界。
それが『フリッピング』だと受け取った。

キャラには妙な能力があったりという設定もあるのだけれど、それはストーリーのパーツであって核ではない。つまり人物の背景設定もギャグなら行動もギャグ、それをアニメっぽい世界として演出している。

変顔やらエロじゃないほうの下ネタやら、実際にそれを人間がやる、というのは大変なことだ。ここをしっかり演じきれないと、「これはお約束ごとの世界ですから笑ってください」という大前提が揺らいでしまう。役者の力量と覚悟が問われる作品で、力一杯応えている役者陣は本当に素晴らしい。

そう、『フリッピング』は、「お約束」に則った笑いを全力でカマしてくる作品なのだ。
その意味では、男性向けの漫画やアニメ、あるいはドリフターズ全盛期くらいのコントや、そういったものに共通する「お約束」に通じていない人には辛い作品かもしれない。
……という世界観を伝えようと、似ている作品についていろいろと考えたのだけれども、思いつかなかった。う〜ん、このジャンルにはあまり通じていないのだ。知人によると、『稻中卓球部』や『銀魂』では、全体にまだまだ上品すぎる上、ストーリー展開もありすぎるようだ。

しかしまぁ、ネコの糞を●●たり、殺虫スプレー(もちろん実際にはエアかなにかだろうけど)を人間に吹きかけたり……、アニメや漫画の表現なら並の笑いで済むものが、演劇だとこんなに強烈になってしまうとは!! 心臓に不安のある方には、ちょっとオススメできない(笑)。
面倒なことを考えず、とにかく笑いたい!しかもキッツいヤツで!という方は、90分間、抱腹絶倒間違いなし。

岩﨑 真紀
フリーランスのライター・編集者。札幌の広告代理店・雑誌出版社での勤務を経て、2005年に独立。各種雑誌・広報誌等の制作に携わる。季刊誌「ホッカイドウマガジン KAI」で観劇コラム「客席の迷想録」を連載中。
在札幌米国総領事館職員 寺下 ヤス子さん

シーズン初日。3話構成のフリッピングは、ここを押さえておけば間違いないという第1話から。
笑わせたいという欲望が炸裂したような、まずギャグありきの展開。小学生っぽい排泄物関連ギャグが中心だが、役者たちが、体当たりで滑稽な動きを演じるのには、清々しさすら感じる。
セリフのテンポもよく、笑いを誘っていた。お下劣ギャグが散りばめられたコントのシリーズ!を楽しむノリで観劇すればいいのだ。登場人物のキャラクターがそれぞれはっきりしていて、安心感がある。

ただ、LGBT(レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー)の人権擁護と社会参加の昨今にあって、「ホモ」という一昔前の言葉で大騒ぎする場面は困惑した。 差別的な意図は全くないのはわかるが、幼稚さが人を傷つけないことを祈る。

ドラマ設定としては、罪悪感と疎外感に苛まれていた人たちの再出発、父と娘の絆。だが、ドラマよりとにかくギャグの多発爆裂で笑えればよし。

寺下 ヤス子
在札幌米国総領事館で広報企画を担当。イギリス遊学時代にシェークスピアを中心に演劇を学んだ経験あり。神戸出身。
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