「演劇×学校」ワークショップ 参加者レポート③

第3回「自分や現場に活かすインプロ(即興演劇)体験」編

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 道内の演劇教育の現在地とこれからの可能性を探る機会として、2023年10月~11月に実施した連続企画「演劇×学校」。この中で3回シリーズで行われたワークショップには、演劇関係者はもちろん、小中学校、高校、大学の教員や教育行政関係者らが参加しました。
 講師は、いしいみちこさん(芸術文化観光専門職大学講師)、渡辺貴裕さん(東京学芸大学教職大学院准教授)、絹川友梨さん(桜美林大学芸術文化学群演劇ダンス助教)。国内の演劇教育を牽引する第一人者のワークショップは、参加者には何を残したのでしょう。
 
ワークショプ第3回「自分や現場に活かすインプロ(即興演劇)体験」(講師/絹川友梨(桜美林大学芸術文化学群演劇ダンス助教)の参加者の声を紹介します。

増田涼太(札幌市立新川西中学校 教諭)

 今まで演劇に携わったのは2度である。1度目は、自分自身が中学生の時の学校祭。2度目は、教師として学校祭の演劇で監督をやった数年前である。そのような私にとって、今回のシンポジウムと3回のワークショップは本当に刺激的であった。特に、参加者の皆さんに初めて出会った時に感じた「俺は役者だ!演劇命!」という雰囲気に気圧された経験は忘れられない。
 今回はその中でも、11月19日(日)に行われた3回目(最終回)のワークショップについての感想と全てのワークショップでの学びを通して、私が感じた教育現場での演劇の可能性についての2点について書いていく。  3回目のワークショップの感想は、その場をリードする人がみんなにどのような創る場を提供するかによって、作品の出来栄えやその他の人のモチベーションが大きく変わることを実感した。また、インプロ(即興演劇)の前段階の活動を通して、表現する楽しさが人間の源にはあるのではないかと考えた。
 今回の講師、絹川友梨さんはとにかく明るく、とにかく動く。参加者は絹川さんが常に違う場所に動いていくので、それを目で追う。絹川さんが参加者のみんなに笑いかけるので、みんなも笑いたくなる。午前中の始めの方に、「失敗してもいいのだから!もし失敗しても笑い飛ばしてしまおう。」と絹川さんが言い、実際にアイスブレイクもゲームに失敗した人を周りが鼓舞するように声をかけるように構築する。その日1日中、どこか温かい雰囲気が約5時間続いたのだ。自分も教師なので、場をリードする立場になることがある。改めて絹川さんを見習って、生徒が自分を表現したいと思える場を生徒と作っていける人間でありたいと思った。
 次に、絹川さんはインプロ(即興演劇)の第一人者ということで、午後は即興演劇につながるような活動を行なった。私が特に面白いと思ったのは「即興台本作り」である。4人グループを作り、その中の1人が指揮者になる。そして、その場をリードする人(教師や講師など)が台本の最初の始まりの言葉を決める。1度目の活動では、絹川さんは「昔々、ふた鼓舞ラクダが‥」というスタートで始めていた。その後指揮者が適当にグループのメンバー1人を指さし、「ラクダが‥」に続く文を作っていく。1人の文章構成時間は指揮者次第で、指揮者が次の1人を指すまでである。実際にやってみて、時間内に面白くまとまった物語もあれば、逆の物もあった。しかし、物語の完成度とは別にグループメンバーが発表の中で使った意外な語彙の面白さや、4人の物語が繋がった時の新しい作品はなんだかとてもワクワクした。この活動を通じて、やはり表現したいと思うことは人間の根源的な部分に存在するのではないかと考えた。
 今回の学びから私が感じた教育現場での演劇の可能性については、「共感」である。役を演じることがその役への共感。仲間と一つの作品を作ることも一つの「共感」が作り出した結果ではないだろうか。そしてその共感のために、どこにでも話し合いが溢れ出すことになる。それは結果として、より良い社会を構築するための基盤になるような気がする。そんな力が教育現場での演劇にあるように私は感じた。
 最後に、私は今回の活動に参加して本当に良かった。それはたくさんの違った職業・考えをお持ちの参加者の方々と会話ができて、自分が少し変わった気がするからだ。もしまたこのようなワークショップがあれば参加したい。


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荒谷卓朗(東川町立東川第一小学校 校長)

 10月から3回連続講座を受け、演劇的手法を教育活動に生かす場を考えていました。最終回、絹川先生のWSを受講後、感じたままに「なってみる、やってみる」のが一番よいと見切り発車を選択。翌週、丁度よいタイミングで講話があり、全校児童26名+教職員に、「即興」でチャレンジしてみました。持ち時間は15分、笑いが起きる好感触の反応がありました。
 2週間後、12月朝会の校長講話で、絹川先生のWSで習った「はい、いは、ドン」のワークをやりました。前半の講話内容とは全く関係なくワークに入ります(笑)。でも、人とのつながりを大切にしようという意味で前回のワークと関連付けています。「ペア変えて」のアプローチをしますと、見事にペアをすぐに変えることができました。また、途中から、「主体を渡す」という学びを生かして、他の先生にリーダーを渡しました。楽しい活動を教室でもやってもらえるように意図しました。講話の最後に、「準備しなくてもみんなで楽しめる遊びのアイデアを考えてくださいね」と伝えました。 このように、演劇的手法を取り入れた活動などで、「みんなで集まると何か面白いことがある」というインプットを続けることで学校が楽しくなるというメリットも生まれます。今回の連続講座とワークショップで、活動のやり方のリズムとテンポを体験しているからこそ喜びを味わえたのだと実感しています。
 この実践ができた背景には、「演劇×学校」のワークショップの第1回、第2回の「学びの連続性」がありました。その内容について綴った NOTEの記事を以下に紹介します。

●『なってみる学び』演劇的手法で聴衆が熱中する講演・授業
 演劇的手法に出会い、モヤモヤがクッキリ晴れた空のように感化された学びの機会を得た。2020年10月に出版された『なってみる学び』(渡辺貴裕氏・藤原由香里氏)の実践の厚みに、日本の教育に大きな変革をもたらす可能性を感じた。この実践書のコンセプトが示す効果を、私自身の幾つかの講演・授業と研修を通じて得た実感と紐付けてみたい。
【非認知能力を土台にした学びのプロセス】
 『なってみる学び』のコンセプトを一言化すると「まずやってみる」。この文化が育まれるためには、双方向の学び、自由にものが言える関係性を生み出す環境づくりが必要である。 それを”演劇的手法”で実現できることが示されている。  この書籍とは離れるが、かつて平田オリザ氏のワークショップで体感したワークを紹介したい。それは、仲間集めである。 例えば、複数人で好きな果物を言って仲間を探すワークをする。りんご、バナナ、みかん、パイナップル、もも、など多種多様な意見が出る。このワークの狙いは、自分の意見を声に出して伝える、つまり、コミュニケーションをとることである。仲間が見つかると、なんだか嬉しい、所属意識、安心感が生まれる。しかしながら、仲間が見つからないレアな意見を言う人が出てくる。その意見が出た時の対応が重要である。一人しか居ないとう状況は、なんとなく、心細い感じがするが、それは”オンリーワン”で貴重なのだと捉え方を変えると、なんだか誇らしくなる。
 高校生に授業をしたときに、一人になった大人しそうな生徒がとても喜んでいた。独自性が認められることで、安心して意見が言える環境が生まれ、周囲の見方も変わってくる。こうした解釈が、自尊感情、自己肯定感を育むと私は考えている。 このワークをアイスブレイクでやるなら面白いとは思っていたが、実際に、講演や授業に入れ込むのは勇気が必要だった。なぜなら、授業の本筋(言葉かけ)とどう関連づけを図るかが課題だったから。腑に落ちる構成にしなければ、記憶に残らないから。 再考を重ね、演劇的手法による”理解⇨表現”の相互循環を複数回のワークで体感させることを見出した。理解させたい内容は、受け入れる感覚の体験(受容)、とらえかたを変える感覚の体験(承認)の2つの認知と紐付けることだった。意見を言って仲間を集める「表現」を通して、体感させることを思いついた。 授業後の感想をテキストマイニングで定性的分析すると、前向きな思考と行動モードになっていることがみてとれた。依頼者からは「自己肯定感とコミュニケーションに課題がある」との情報だったが、1時間の授業で大きな効果をもたらすことがわかった。単なる説明型・講義型の授業では得られない、“腑に落ち感覚”が生徒の表情・反応からも伝わってきた。
 ワークとの出会いから4年の歳月を経て、今回のワークショップで演劇的手法の効果を実践で体得できたことは大きな発見となった。様々なワークで身体表現をすると、体験してきたエピソードから言葉が思い浮かぶ、湧き出てくる感覚を味わうことができた。自分自身で体感したからこそ、『なってみる学び』の実践を読んで、表現と理解の相互循環について理解できたし、「これはできるぞ」というワクワク感が生じたのだと思う。 「探究」と言うワードがトレンドになっているが、演劇的手法の具体的な技法を用いた学習活動の効果を一つ一つ紐解いていく授業を探っていきたい。

以下は、連続講座の学びを踏まえて、演劇的手法の授業への活用を模索したSNS投稿です。何かヒントになれば幸いです。
【授業・講演・セミナー・研修が楽しくなる”探究”をデザインする】
 “探究”といっても、個人で調べることが中心の静的な活動は、相互の進捗は見えにくい。 だから、見えないものを見えるようにする工夫が必要だと思う。では、どんな手立てを講じたら良いだろうか。その一つの手立ては、”表現”を使うことだ。
ありがちなのは、やたらにICT活用を謳って、調べたことや活動の振り返りを電子ボードに投影して文字だけの交流をする例。そこに双方向の学びがなければ、従来のカラオケ発表となんら変わりがない。 みんなで互いの発見を見たくなるような授業を創り上げるイメージがなければ、どんなに最新の機器を使ったところで、平板な繰り返しにならざるを得ない。
 学習者(子供)はわかっているかもしれないが、本人の中にあるものだけでは広がりや深まりが足りない。次のステップには、表現を活用した交流で意欲化を図る”動機づけ”が重要だ。 例えば、調べた進捗を振り返りで交流する際に”表現”を使ってみてはどうか。クイズを出す、パペットを使って問答をする、コンテンツ紹介をゲーム化する、写真を見せて気づきを促す問いを出す、お笑いネタにする、謎かけにする、劇化する、ナレーション風に言う、プロレス実況中継風にする、音楽を流して写真のスライドショーを見せる、動画クリップにテロップを入れて見せる、 徹子の部屋みたいなインタビューショーにするとか・・・。考えればキリがないほど出てきそうだ。
 指導主事さんが、 「個別最適な学びと協働的な学びの一体的推進」は手段でしかない、 と助言された。この過程そのものが”探究”ではないのかと私は思う。探究することは目的ではない。それによって何が得られるのかは、人それぞれ異なる。 探究したけど期待したようなものは何も得られなかったという結果になるかもしれない。とはいえ、そのプロセスに価値があるということに気づき、そこに面白みを感じること、 今やってみたことや気がついたことを”表現”して、自己フィードバックする。相互に違いを受けとめて、「次はどこに向かうの?」と問い、意欲化を図る、高めあう場が、授業という相互刺激の場だと思うのです。
 私、今は授業者ではないですけど、授業の質を高める設計者ではあります。言ってみれば授業デザイナーです。目下、自由度の高い学び方の一つとして、「演劇的手法」という”表現”を追求していこうと、 カリマネをしているところです。専門的には、カリキュラム・マネジメントと言いますが、どうやるかよく分かりにくいです。手っ取り早いのは人の真似をすること。「追試」とも言いますが、(借りてきたものを真似する)=借り真似(カリマネ) でいいかなと。ユーザー(実態)が違えば、そのままでは通用しませんから。必ずアレンジが入りますし。そこにオリジナル性が生まれます。
「まずやってみる」
 進歩は実践的検証の積み重ねから生まれますから。 授業を楽しくしたい方は、『なってみる学び』を是非読んでみてください。 先生だけでなく、研修講師の方、講演・セミナーにも活用できると思います。


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