「演劇×学校」ワークショップ 参加者レポート①

第1回「ドラマティーチャーの授業と実践」編

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 道内の演劇教育の現在地とこれからの可能性を探る機会として、2023年10月~11月に実施した連続企画「演劇×学校」。この中で3回シリーズで行われたワークショップには、演劇関係者はもちろん、小中学校、高校、大学の教員や教育行政関係者らが参加しました。
 講師は、いしいみちこさん(芸術文化観光専門職大学講師)、渡辺貴裕さん(東京学芸大学教職大学院准教授)、絹川友梨さん(桜美林大学芸術文化学群演劇ダンス助教)。国内の演劇教育を牽引する第一人者のワークショップは、参加者には何を残したのでしょう。
 ワークショップ第1回「ドラマティーチャーの授業と実践」(講師/いしいみちこ[芸術文化観光専門職大学講師])の参加者の声を紹介します。

中野あすか(北海道立富良野緑峰高等学校 教諭)

 午前中はシアターゲームなどで参加者同士の交流をはかりながら動いた。動くことで空気感が変わり、無意識に表現にも変化が現れるから不思議だ。
 午後の部では、子どもの頃の思い出や好きだったもの、響いた言葉などについて、各自が思いつくままに書いた詩を持ち寄り、グループで1本の作品を作る活動を行った。参加者は20代から50代と年齢もバラバラな初対面の人である。集まった詩は当然のように全く関連性の無いものだった。でもなぜかどれも懐かしさや共感を覚えるもので、子ども時代はみんな何かしらのバカさを含み、青春時代はどこか屈折し、大人になっても相変わらずウロウロしていた。それらをつなぎ合わせて作品に仕上げていく中で、自分の詩が採用されたり、「この表現いいね」などと言ってもらえると、まるで自分の人生が肯定されたような誇らしさを感じた。他の人の詩を読んでいると、ささやかな出来事にもそれぞれのドラマがあって、よく知りもしないその人たちの人生が愛おしくさえ思えてきた。
 そして出来上がった作品は、一人の人の人生のようでもあり、同級生と過ごした時間のようでもあり、架空の世界の物語のようでもあった。観客が100人いたらきっと100通りの解釈があっただろうし、観たときの心の在りようで泣けも笑えもしたのだろう。
 私たち教師の多くは、1つの正解を教えることが得意で、ルールの遵守やマニュアルに沿うことに重きを置く。だが人間を相手にするということは、明確な答えの無いものに挑むということである。演劇というものはその不確かで正解のない「人の生き様」を取り扱えるものなのかもしれない。こう書くとなんだか堅苦しいが、要するに私はこのワークショップで「人間っておもしろいな」「人生って素敵だな」ということを改めて感じたのだ。そして、役者も教師も結局のところ伝えなければならないのは、それに尽きるのではないだろうか。


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千原彩花(札幌市立札苗北中学校教諭)

 前日のシンポジウムから始まり、ドラマティーチャーとはなんだろうと思いながらワークショップに参加した。日頃、中学校の演劇部の顧問として演劇と学校に関わっているが、演劇の教育的魅力をどう生徒たちに伝えれば良いかわからなかった。
 いしい先生のお話で私がこれから大切にしていきたいと感じた言葉は、こどもたちが演劇で表現しても大丈夫と思える心理的安全の確保である。 演劇ってなんだか怖い。
 じゃあ、みんなの前で演劇やって表現してと言われても恥ずかしい。自分を表現するってとても勇気がいる。今回のワークショップでも同じだった。はじめましての人たちと円になりテンポを共有したり、自分のことを少し話したり、会場に入るまでのどんなことをするんだろうという不安は気づいたらワークを通してなくなっていた。
 いしい先生も私たちに、やりたくないことは無理しないでと言葉を掛けてくれたのが大きかったと思う。その言葉がなかったら自分の力以上のことをやらなければいけないと空回りしていたと思う。
 そして午後行った自分を作品化するワークショップが印象的だった。お題はI am from 小さい頃に印象に残っている食べ物。大人に言われた厳しい言葉や励まされた言葉を書き出してみる。自分の人生を振り返ってみても、そんな作品にできる素敵な出来事なんてないと頭を抱たがグループでそれぞれ見せ合い、自分の話をして組み合わせると形になった。
 各チーム作品を発表しびっくりした。面白い。他のグループの人のことはあまり知らないけどなんだかよく知った気になった。
 自分たちのグループも周りの反応を見て、面白かったんだと思えた。終わった後の高揚感が止まらなかった。そして、自分のことを少し認められた気がした。
 ワークショップを終えて、学んだことを学校現場で生かしたいと強く思えるワークショップだった。


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