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Meets HOKKAIDO~まだ見ぬ北海道の物語~
レポート①帯広編

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 札幌の若手演劇人が地域のコミュニティFM局と連携しながら、地域で取材を重ね、地域の「物語」を収集して、ラジオドラマを創作しました。
 出かけた先は帯広、室蘭、恵庭の3市。新緑の季節にはじまった取材は約半年間続き、樹々の葉が赤く色づくころに1本のラジオドラマとして結実しました。この間、札幌しか知らない若者たちは、地域の中で何を感じ、何を掘り起こすことができたのでしょう。参加した若手演劇人と受け入れ先のコミュニティFM担当者に本事業を振り返っていただきました。まずは帯広編。

街の中、十勝石が見てきた「時間」

前田透(劇団・木製ボイジャー14号)

 十勝の人は十勝愛がすごい、ということを最初の段階に聞きました。街中の様子を見ると地元展開されている店舗が幾つも。練成会グループが帯広練成会や十勝練成会、ではなく、「畜大練成会」なことも。他の地方では、旭川、や釧路、となっている。不思議です。「十勝モンロー主義」という言葉やモビライゼーション、という言葉も印象的でした。かなりの車社会。中札内からバスで帯広に行こうとした時、あるご婦人に会いました。ご婦人は免許も返納したのでバスで市内にお買い物に行くところでした。「帯広の方に色々集まっちゃっているからお買い物にはちょっと不便ね。」とのこと。帯広大谷高校の演劇部の子達に話を聞いた時も、車があればね、なんて話が。顧問の先生も「車があれば帯広・十勝はホントに暮らしやすい」と言っていました。私も車を持っていないので、ウイングさんの車で色々取材に行きました、とても快適だし、道すがらの景色も良かった。札幌に暮らす私は、自転車や地下鉄で大抵のところに行けてしまうのでさほど困らない。都市の規模感が違うのです。
 今回取り上げた十勝石、も他では黒曜石と呼ばれていることが多いけども、十勝石、と呼ばれていることに大変惹かれました。ジャズシンガーのMOTOKOさんに藤丸の話を取材する際、十勝石の話なんですが、と伝えると「うちの畑で採れるよ」と言われて驚きました。後日実際に探し、石捨場にて5分前後で二つも見つけられました。いわく、年に1〜2個見つかるかどうか、とのこと。

 創作を通じて、年月が経って、形がなくなって変わっていってしまうこと、もの、について考えていました。帯広についてのニュースを調べ始めた時、ちょうど藤丸の閉店の時期でした。取材中には長崎屋も閉店。喪失ではあるけれども、代わりの何かに生まれ変わったり、出会ったりすることもある。その先に希望があるといいな、と思って九郎兵衛が割れて四郎兵衛と五郎兵衛になって、新たなものになり、新しい一生がスタートします。
 十勝石は、今や日用品として使われることはおそらくないですが、かつてはこの土地に暮らしていた人々にとっての必需品であり、且つ、儀式的な存在でもあったりした。そうしたものがその土地で採れ、使われていました。幾つもの世界的な技術革新と、入植者との交易、支配の中で鉄鋼製品などが入り置き換わっていき、数多の混乱を経て今は今の暮らしがあります。人の歴史の相棒であった十勝石、それがこの土地にまだ眠っている、あるいは転がっていることは、少しスピリチュアルな話かもしれませんが、特別なことだと思います。歴史を感じる重要なアイテムです。
 また、どの土地でも、河川を引き直したりすることはありますが、十勝川の治水作業は他の土地と比べても大規模に思えます。当然、川の水はずっと流れていくので同じ水が流れることはありませんし、特に十勝川は、時代とともに大きく形を変えていきましたし、これからもまだ変わるかも知れません。十勝石がその痕跡を残しながらかつて流れていた場所に存在していることが十勝開拓の歴史の残り香を放っているな、と考えています


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FMウイングの前に立つ前田さん


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ラジオドラマ収録風景。主役の佐々木源市さん、万里慧さん


ラジオドラマ「九郎兵衛のスットーンな一生」を制作して

松崎霜樹(株式会社おびひろ市民ラジオFMウイング スーパーバイザー・プロデューサー)

 ラジオドラマは過去にも制作した経験があり、とまどうこともなく作業できた。最初の仕事は札幌からやってきた若き演劇人に地元愛あふれる方々を引き合わせることだった。他地域との文化や地域独特の歴史や課題を語れる人々の話がどのような作品につながるのか興味深く見守った。
 そして、この度の「九郎兵衛のスットーンな一生」というラジオドラマに結実した。
 サミュエル・ベケットや寺山修司などの戯曲家がラジオドラマを書いていたので「演劇」と「ラジオ」は親和性があると思っていた。前田氏は「音声による想像性」をかなり意識したのか「十勝石が話す」というファンタジーを発想してきたがまさに若い感性であると大いに刺激を受けた。
 地方都市を真正面から題材にすると、ともすれば深刻な地域課題が柱になってしまい閉塞的なドラマが出来上がってしまうケースが多い。暗く重苦しいドラマでは地域を励ますことができない。「未来に光が差してくるようなドラマ」を求めるのは当然のことである。
 さて、制作上の苦労話をひとつ。リスナー(聴取者)に「十勝石が話す」場面に「普通の人間が話す」ケースの場合、その状況を伝えることに多大なる工夫が必要となった。冒頭プロローグにおいて十勝石たちが語り部として登場、十勝石が物語の中心となって進行されていくことが説明されているのだが、舞台と違ってラジオは常に同じオーディエンス(観客)がそこに存在するわけではない。「十勝石が主人公」であることをその都度うまく説明しなければ聴いている人は混乱してしまう。ラジオは不特定多数が対象であるメディアであることの難しさを前田氏は相当苦労されたのではないか。
 とはいえ、膨大の数の効果音を準備し、シーンごとに適切な音楽(一部地元音楽家の楽曲)を配置した結果、小気味のよいファンタジードラマに仕上がったと自負している。
 また、弊局は十勝地方の「おびひろ市民ラジオ」という社名(FMウイングは愛称)の通り「市民参加型ラジオ」である。ゆえにキャスティングにはさほど苦労しなかった。地元劇団の関係者や学生はもとより飲食店経営者や介護士、雑誌編集者やリサイクルショップ店長など芸達者なパフォーマーによってこの度のドラマは出来上がった。どの参加者も心から演技を楽しんでいるように感じた。その姿は「閉塞感ばかりの地域社会であるがゆえに一時の非日常の創作活動に打ち込む」というものであり、地方都市にはこのような場がありがたかった。ご支援・ご協力いただいた方々には心からお礼申し上げたい。
 最後になるが、本ドラマは「ある十勝石の一生」である。何故か地元ですら誰も意識すらしていなかった「十勝石」に目をつけた若きヨソモノ前田氏に心から敬意を表したい。
「十勝石なんて、ばっかじゃないの」の声も聞こえたが、昔から「バカ」と「ワカモノ」「ヨソモノ」の視点こそが地域を変える大きな刺激になるのだから。


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12/10(日)にはラジオリスナーとともにラジオドラマを聞き、地域の魅力や資源などを語り合うイベントも開催(写真左が松崎さん)


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