「文化芸術は誰のもの?おかわり」二杯目レポート

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2022年から始まった北海道シアターカウンシルプロジェクト。地域における文化芸術の支援体制のあり方の検討や、次世代の文化芸術を担う人材を育成することを目的としています。
その中のプログラムである「文化芸術は誰のもの?おかわり」の第2回目の意見交換会が開催されました。今回は、「好きなことをやっている人に公的支援は必要か?」という問いからスタートし、参加者同士で意見交流をする時間となりました。
意見交流は次第に「私たちにとって文化芸術とは何か」という問いに発展し、頭を悩ませる参加者も……。当日の様子をご紹介するレポート記事です。


「文化芸術は誰のもの?おかわり」二杯目(9/26[月]19:00~21:00 @シアターZOO)参加全8名。

テーマ「好きなことをやっている人に公的支援は必要か」

私たちがやっていることは「文化芸術」か?
9月26日に開催された第2回目の「おかわり」には、文化芸術関係者を含めた8名が参加。「好きなことをやっている人に公的支援は必要か?」という問いから連想されることを自由に意見交流しました。

「不要不急」であり「役に立たない」文化芸術を、なぜ税金を使って支援しなくてはいけないのか。コロナ禍となり、このような問いをインターネットやメディアで目にすることが増えましたが、私たちはこれにどう答えることができるでしょうか。

参加者の一人は、「好きなことをやっているというだけじゃ公的支援は必要ないと思う。でも、文化芸術の現状では、公的支援がないと存続できなくなってしまう」と話し、「好きなこと」と「私たちにとっての”文化芸術”」の違いについて議論が発展します。

それぞれの考える「文化芸術」の意義について意見を出し合いましたが、一人一人表現の仕方は千差万別。舞台活動をしているが自分のことを「アーティスト」だとは思わない人や、「文化は人間社会の土壌なのでは」と語る人もいます。

自分とは違う考え方を持つ人と話すことで、文化芸術が多角的になり、視野が広がり、そしてますます定義がぼんやりとしていく感覚になりました。

この話を続けるためには、私たちはもっと勉強しなくてはいけないのでは…!? 今後の北海道シアターカウンシルの方向性について考えを巡らせたところで、第2回目の「おかわり」は終了しました。

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【参加者の意見】
第2回目「おかわり」に参加した方からは、以下のような感想をいただきました(匿名で一部抜粋)。

●Aさん
これまでも「文化芸術」とは何かという問いに悩まされてきた。これは「人間とは何か」という問いにも近いのではないだろうか。私は生活が土台にあり、その上に生活文化があり、そこに混ざり混むように文化芸術が紛れ込んでいるように感じる。


●Bさん
最低限の生活とは衣食住が補償されることだと思うが、そこにプラスの幸せや生きがいを感じるためには文化芸術が必要になってくるのではないだろうか。もちろん人によって「文化芸術」の部分は他のものに置き換えられることもあると思うが、私はただ衣食住が満たされるのみでは生きていくことが辛い。


●Cさん
みなさんの話を聞きながら、英語の語源についても実は気になっていました。

英語の「農業」=agricultureにも、「文化」=cultureが含まれているなと。(文化って、土壌、地層のようなものじゃないかという、私の仮説(?)からの議論でした) これはネットで調べたくらいなんですけど、語根としては”cult”が「耕す」という意味なんですね。もとはやはりラテン語から来ているそうですが。コロニー、植民地のcolonyの”col”も同根。このcultは、そのまま(今話題の)カルトで、宗教や崇拝も意味する。自然の大地に人が鍬を入れる、「自然の状態」から「人間が手を入れる」、やはり「自然」に対しての「文化」なんでしょうね。