シンポジウム「文化芸術は誰のもの?戦後ドイツ・日本では」参加者レポート

「文化を語ることば」を鍛え直したい

西脇秀之(劇団回帰線 主宰)

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11月5日、藤野一夫(兵庫県立芸術文化観光専門職大学)先生による日本の文化施策についての講演を聴いた。

コロナ禍以降、国や自治体から文化を支える施設、団体、就労者への支援策が出され、「文化」について語る場面がふえた。「文化や芸術を語ることば」「公共のことば」を鍛え直すことが私的にはテーマとなっていた。講演は、どんぴしゃな話の連続で、この二年半の感じていたモヤモヤも幾分晴れて、見通しがよくった気がする。

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第一部。日本の文化政策の変遷とその時代の背景を辿り、では現在の、またその先の文化政策の役割や期待されることを考えた。

1947年に、「文化省」の動きがあったことを初めて知る。
戦中の文化統制、大政翼賛の拡声器としての文化政策を脱却し、文部省から「国民文化の向上」を目的とする文化省への改組を構想していたらしい。今の文化庁が文科省の外局となっていることと比べると、実はこの差は大きいのかもしれない。

経産省は経済と産業の発展を目的に組織されるのだろう。農水大臣は農業や一次産業のために汗をかく。では文化省は…と想像してみる。

その目的は「国民文化の向上」であり、その大きな政策のために学校や教育制度について考えることになるだろう。今は「文部省」ではなく「文部科学省」だが、科学の発展も(たとえばJAXAが小惑星に向けてロケットを飛ばすのも)、「国民文化の向上」のために議論される。(うん、なんだかいいじゃない)

科学だけではなく学問全般、そして芸術も、今はなぜか経済的な物差しで測られることが多い。経済に貢献せよと。しかし「国民文化の向上」を図る文化省があったなら、そこで議論されることばも随分変わってくるのではないだろうか。
もちろんその設置の根拠は、憲法の「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」によることになる。今、新設しようとしている「こども庁」にしても、文化省でやるといい。そして子どもの貧困、少子化、待機児童、いじめの問題、教育格差の問題…それらは、次の世代の「国民文化の向上」のためにやるだ!(うん、少し興奮している)

しかし、文化省はGHQによって夢とおわる。
レジメでは、《「文化を最高の原理とする平和日本を建設するため」の構想であったが、GHQは、これを戦前の日独の「文化国家」観を継承するものとして拒否》となった。

その後「文化国家」「文化政策」はタブーとなり、《文化は私事》《国家は芸術文化に口を出さないが、お金も出さない》となったんだそうな。はぁ…。

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第二部。藤野先生の専門であるドイツの文化政策を見ることによって、日本を相対化してみる時間。

ドイツのことを知れば知るほど、ため息が出る。日本が見習うべきはナチスドイツではなく、戦後のドイツでした。戦中の政策や体制について、全体主義について、なにを確認し、どのように乗り越えようとしてきたか、学ぶところは多いはず。
講演の内容とは直接は外れるが、たとえば日本が国民国家となって以降、植民地で、いや琉球や北海道でも、その地の人の母語を奪い、文化を大きく傷つけたことを、どれだけの省みただろうかと考えてしまう。(うーん…、気づけばとっくに紙幅が尽きている)

シンポジウムを機会に、藤野先生の近著を読んでいる。
最後に、その『みんなの文化政策講義』で紹介されているドイツの連邦文化大臣の言葉を引用する。

《コロナ禍がまさに明らかにしたのは、文化が社会的結束にとっていかに重要かということだ。芸術家が発する示唆や思考への刺激、また精神的インパルスや批判をわたしたちは必要としている。こうして現在の民主主義は生きたものになる。言葉の真の意味で、芸術家は社会システムにとって重要なのである。(中略)文化はグルメのための特選食品なのではない。万人にとってのパンなのだ。》

そのままパクらせてもらえば、日本では「文化はみんなにとっての握り飯だよ」といったところだろうか。そうなっているだろうか。そうなるだろうか。

翻って考えてみる。
もし自然災害や気候変動で、ある年この国でお米が収穫できなくなるとしたら、きっと日本の食文化を守るために、国は(きっと国民も一丸となって)農家と稲作を守ることだろう。しかし守るためには、緊急時だけではなく平時から必要な政策もある。日本の農業や農家に、どれだけの関心を平時の私たちは寄せているだろうか。

とりあえず、我が家は道産米を食べている。「ななつぼし」は美味しい。お米も文化も、地産地消が基本です。きっとそこに「国民文化の向上」の基点もあり、そうすりゃ(なんだかんだあるだろうけど)、わたしたちの暮らしも星七つです!

強引なまとめで、すみません。
「文化を語ることば」について、まだまだ修業が足りません。精進します。

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