BLOCHという小劇場が好きだ。
舞台と客席がバカみたいに近い。舞台の奥行きも狭い。
だから舞台に立つ役者は、観客の眼の前にほぼ等身大で立っているという感じだ。
狭い舞台を有効に使うため、セットの作り込みもとても丁寧。
その細部までよく見える。
開演前の舞台にはどこか懐かしい、居心地のよさそうな民宿の共同の居間(ラウンジ?)がある。大きめのソファーがデンと中央に置かれ、カミテに引き戸の玄関と小さなフロント、シモテにトイレに続くノレンの下がった廊下。奥のシモテ寄りに2階へ続く階段。
このセットをみただけで、丁寧にまっとうに作られた芝居がこれから始まるんだなという期待感が高まる。
民宿「たかの」は最近まで主人の高野隆夫が腰を痛めて休業していたが、今日は特別に営業していた。
そこに5年ぶりに娘の弥生が帰ってくる。息子の皐も手伝いにやってくる。隆夫の死んだ妹の夫・直之も高校生の息子孝輔を連れてやってくる。
8月7日、七夕の日だ。
都会からはずいぶん離れた道南の田舎にある海の近い民宿。
そこに予約客の皆川萌が来る。予約なしの飛び込み客の松本春樹も来る。
隆夫の妻の路子は看護師で仕事を終えた形で、途中から舞台に現れる。
6人の家族と2人の客。これが登場人物の全て。
潮騒の音や蝉の声がじゃまにならない小ささで聞こえてくる。
これが宿の位置や周りの様子、時間の進み具合を観客にそれとなく伝える。このあたりにもよく考えて作られているのが感じられる。
そんな舞台の落ち着いた雰囲気とは異なり、話は出だしからけっこう動く。
2人の宿泊客は偶然ここに来たのではなく、隆夫の家族にすぐにはおおやけにできない事情を抱えているのだ。
隆夫の娘の弥生は妊娠している。その相手はとびこみを装って来た客の松本春樹だった。
隆夫の義弟の直之は再婚を考えているが、息子の孝輔は死んだ母への愛から父の再婚を絶対に認めようとしていない。直之の再婚相手というのが客を装ってやってきた皆川萌なのである。
ここに関係を秘している二組の男女がいるわけだ。
弥生と春樹は親に結婚を認めさせようとしながらも、関係を隠しながら告白のタイミングを探している。直之は再婚に拒否反応の強い息子になんとか再婚相手の萌を受け入れさせようとして、不器用に、こちらもタイミングをさぐっている。隆夫は直之の計画は知っていて協力的だが、娘の弥生の結婚やら妊娠やらは全く想像もしていない。
そんなシチュエーションで芝居は会話劇の形で進んでいく。ちょっとややこしい状況ではあるが、芝居は明るく軽いコメディーだ。ふたつの秘密の計画は、もちろん順調には進まず、しだいにこじれてゆく。
計画が失敗してゆく様子が笑いを誘いながら進行するのだが、しだいにそこに隆夫の家族のこれまでの歳月が浮かび上がってくる。親子の確執が見え隠れする。
家族のひとりひとりに忘れられない思い出がある。
子どものことを愛しているにもかかわらず、むしろそれゆえに生まれた子との断絶。
母に死なれた息子の、もう元にはもどらない家族の形への固執。
背負っている問題がしだいに舞台の上に見えてきて、コメディーはゆっくりとシリアスな局面に変化してゆく。
さらに認知症になった祖母(登場はしない)の存在も家族の中で大きく深刻な問題であることもあらわれてくる。
さて、当初の秘密の計画はどうなるのか。
それはもう実際にBLOCHに行って見てもらうしかない。
この芝居に特別な悲劇はない。
誰もが経験していること、これから経験するだろうこと、生きている限り逃げられないどこにでもある困難が、舞台の上にあるのだ。
観客はそこに自分と自分の家族を重ねて見る。過去、あるいは現在抱えている大小の面倒な現実を見る。
誰もが、ひとつふたつは思い当たることがあるだろう。
ぼくには、それは「できちゃった婚」と「親の認知症」だった。
今となっては笑って話せることや、今も心の底に重く残っていることなど、思い出しながらこの家族を見ていた。
いろいろあった後に、隆夫が入院中の認知症の母に電話をする場面では、さすがに泣いてしまった。
生きていればうまくいかないことがいっぱいある。
でもいやでも生きていかねばならない。子は結局、親の歩いてきた道を自分も歩いていることにどこかで気づくときが来る。
わだちを踏むように。
ここには特別な悲劇はなく、あっと驚くような奇想もない。
平凡な人たちがいるだけだ。
けれど芝居が終わったとき、劇中の潮騒や蝉の声のように、静かな哀しみがひたひたと寄せてくるのを感じた。
つらいことをいくつも背負いながら元気で明るい民宿の主人高野隆夫を演じる米倉拓斗さんの演技が強く印象に残る舞台だった。
7月からスタートした札幌演劇シーズン2024はこちらの作品を含めて残すところあと2作品だ。早いものである。
演劇家族スイートホーム公演「わだちを踏むように」の初日14時の回を観た。
夏の終わりに近づいてきた今の季節と調和する作品だった。例えるなら、夏休みの最後の一日。最後の休みだからと思いきり遊んでいる最中、ふと気が付けば、海に大きな夕日が沈んでいく。頬に涼しい風が触れて、ただ呆然と水平線に溶けていく夕日を見ている。夕暮れ時の切なさに、そっと寄り添ってくれるような作品だ。
物語の舞台は、北海道の海沿いの村にある「民宿たかの」。民宿たかのを営む主人とその家族、民宿に訪れる客達が巻き起こすドタバタのホームドラマだ。
8月7日の七夕の日。主人の高野隆夫(米倉拓斗さん)の元に、突然、娘の弥生(竹道光希さん)が数年ぶりに帰ってくる。お互いに不自然なくらいよそよそしい。一方で、隆夫と義弟の加藤直之(菊地健汰さん)は何か企てている様子だ。予約をしている客、予約をしていない客も次々と訪れて、民宿たかのが賑やかになっていく。夜には地元の花火大会もあるらしい。
登場人物のほとんどが何らかの事情を抱えてたワケありの人。ひょんなことからズレが生じ、もつれて、ヘンテコな方向へと物語が蛇行していく。ボタンの掛け違いが笑いを誘い、時には、感動の涙を誘う。民宿たかのに集う人々は優しくていい人なのに、不器用な人ばかり。そんな人間臭い人々が愛らしく、最後まで目が離せなかった。
様々な家族の形が丁寧に描かれていた。メインは高野家の物語だが、直之とその息子の孝輔の親子の物語が印象的だった。父の再婚話を素直に受け入れられない男の子を、長谷川健太さんが好演。複雑な心境をコミカルに、繊細に演じられていた。高校三年生の孝輔は子どもでもなく大人でもない。けれど、大人との対話を通じて少しずつ成長していく。それは子どもだけでなく周りの大人も等しく成長していく、かすかな希望を感じる新しい家族の物語だった。
姿は見せないが、会話の中に登場する高野家の「祖母」の存在が物語のキーパーソンになっている。祖母と孫の七夕の短冊にまつわる思い出。息子と母の現在の関係。家族だからわかりあえること、わかりあえないこと。抱える葛藤に、こちらの心まで揺さぶられる。
最後の場面では、一つの答え合わせのように明るい光が差す。ボタンをかけ違えても、一つ一つ外して、またかけ直せばいい。またぐちゃぐちゃになっても、笑い飛ばせばいい。完璧よりも、いびつな方が私達らしい。そんな高野家からのメッセージが届いたような気がした。
終演後のカーテンコールでサプライズが起きた。キャストを代表しての挨拶で、隆夫役の米倉拓斗さんが、今日はお父様が観劇に来ているとおっしゃった。すると、客席にいた米倉さんのお父様が立ち上がり、客席へ深々とお辞儀。米倉さんは涙ながらにお父様に今までの感謝の言葉を送られていた。リアルな親子二人にあたたかい拍手が送られた。真のホームドラマだった。
最後まで何が起こるか客も演者もわからない。だからこそ、演劇は面白い。
劇場を出たとき、目の前の景色がそれまでとはすこし違って見える。そういうのがいい舞台だと思う。
観劇後、BLOCHを出て歩き出すと、週末の札幌、たくさんの家族が歩いている。ちいさな子どもとお父さんお母さん。大きく成長した子どもとすこし老いてきた親。
なにげないいつもの風景のはずなのに、今日の僕には、どの家族もいとおしく思える。
演劇家族スイートホーム『わだちを踏むように』。とある民宿にひさびさ家族が集まる。仲がよかったりギスギスしていたり。そのなかで企みが2つ進行していく。上手くいきそうにないんだけど、案の定こじれてねじれて。
人物は8人。それぞれがそれぞれの思いで動き、すべては崩壊の危機を迎えるが、最後は文字通りひとつに収まる……のかどうかは観てのお楽しみ。
最近ではめずらしい、がっつりとした情緒ある家族ドラマだ。ホームドラマというジャンルがいまもあるか知らないけれど、経営する民宿に家族が集まる本作はまさにホームドラマ。
特筆すべきは全然古くさくないことで、むしろ清新。さわやかな風が体を突きぬける。
やたら泣かせてやろうという物語はあまり好きじゃないが、本作は笑いあり涙あり、バランスもいい。前半は入り組んだ状況とストーリーをうまくさばきながら笑いをどんどん入れて客を楽しませ、後半はじぃーーっくりとしたシーンで涙を誘う。泣かせながら笑わせる手法も見事でうまい! ずるい!
脚本・演出は髙橋正子(演劇家族スイートホーム)。ドラマトゥルグに畠山由貴(劇団パーソンズ)。
僕は前情報をまったく見ずに観劇するのだけど、本作はそういうふうに観るとうまさがよくわかる(だからここで読むのをやめてさあ劇場へ)。
冒頭、やや複雑な家族構成や、2組が企てているあることが描かれるのだけど、ストレスなくスルスル入ってくる。その複雑さから笑いやドラマがつぎつぎと生まれていき、なんというか、物語が自分の中で消化されていく楽しさとでもいうのだろうか、快感がある。
登場人物が隠していることをほかの人物は知らないけど、観客には完全に理解させるうまさもあって、それがバレるときのおかしさや、変に誤解されてしまう展開などもうまい! ずるい!(2回目)
さらに感心したのが人物造形。数年ぶりに帰省した高橋弥生(竹道光希/演劇家族スイートホーム)は、自分でも抑えられないイラだちや不安を生々しく見せ、弱くわがままな部分をさらけだす。
しかし弟(本庄一登/演劇家族スイートホーム)や甥(長谷川健太/後手必殺ファジィ集合。山崎拓未/家族スイートホームとのWキャスト)とのやりとりで見せる明るさやさしさは、彼女のすてきな面でもある。そうやってさまざまな角度から光を当てることで、弥生という人物が立体的に描かれる。
ここからは彼女のとある事情(序盤で明かされる)についてふれるので、未見の人はここで読むのをやめてさあ劇場へ(2回目)。
どういう事情かというと彼女は妊娠している。そして親、特に父親(米倉拓斗/サンデーボーイズ)との確執があって、そのことを言うに言えない状況にある。言わなければいけないんだけど言いづらい。というか言いたくない。
精神的に追いつめられた彼女は出産間近という肉体的な不安もあり、イラだちを増し、ときに子どものようにふるまう。
彼女はいま「子ども」と「親」の狭間の時間にいるのだ。出産して親となるリミットがどんどん近づいている。そして子どもはお腹を内側から蹴り、目の前には断絶した父親がいる。物理的にも子どもと親の狭間に立っている。
舞台が進むにつれて終盤、しだいに父親の方へ歩み寄る姿は、まさに親へと、母親へと歩を進めていくさまのように見えた。
むかし『そして父になる』という映画があったけど、これはまさしく『そして母になる』物語だ。
子どもが生まれるだけじゃない、そのほかにもいろんな形で家族に加わる人たちが描かれる舞台。家族とはなにか、家族になるとはどういうことなのか。札幌で生まれたホームドラマの傑作と言っていい。
(ちなみに僕は甥を演じた長谷川健太の好演にもやられた。受験を控えた小憎らしい男子高校生で、コメディリリーフとしても抜群。さらに泣かせのシーン! 僕はここで泣いた。)
さて本作は群像劇ではあるけれど、僕は弥生が主役だと思っていた。だけどチラシのあらすじを読むと弥生の父親の物語として書いてある(もしかしたら初演時がそうで今回は改稿したのかもしれないが)。
たしかに父・隆夫の物語としても観られる。正直弥生の物語として観ていた僕は、途中の回想シーンがいるのかどうか疑問だったけど、隆夫の物語としてなら……人物に深みを与えてはいた。ひとりだけ回想シーンを与えられる特権があるのだから、やっぱり主役だったのだろうか。
などという僕の疑問は、観劇したのが8月17日の初日初回だったがために吹っ飛んだ。そこでちょっとしたサプライズがあったのだ。
とてもすばらしい舞台で場内ではすすり泣く声が聞こえるなか、劇は終わる。ダブルカーテンコール。一列に並んだ出演者を代表して、父親役の米倉拓斗があいさつする。そこで、いま自分の父親が観劇していると言う。すこしざわつく客席からひとりの男性が立ちあがり「父です」と頭を下げる。
米倉拓斗が演じたのは、子どもとの確執、親としての悩み、いろんなものを抱えた父親だった。当然、自分の父親のことを思うだろう。そしていま、父が観る前で父として舞台に立つ。その思いを口にしようとしても涙が出て言葉が詰まる。
客席からも大拍手だ。礼をして、役者一同が袖に下がったあと、客席の父がこう言った。「これからも息子をよろしくお願いします」また拍手だ。
初日初回のサプライズ。主役は米倉拓斗でいいだろう。すくなくともあの時間は彼のものだった。だけど、最後に客席から拍手を浴びたのはお父さんだったけどね。