ゲキカン!


漫画家 田島ハルさん

8日間にわたり毎日上演される本公演ももう後半戦になる。6日目の公演を観た。

劇場は、先月上演された札幌ハムプロジェクト公演「カラクリヌード」と同じコンカリーニョ。その時と比べると劇場内の様子がガラッと変わり、舞台から客席を貫くようにまっすぐに伸びる通路が出現。激しいギターの音色を合図に、歌舞伎の花道さながらの通路から、舞台の四方八方から、役者達が飛び出して総勢25名の出演者が出揃う。歌、ダンス、殺陣、冒頭からパワフルに展開される。舞台上に熱が生まれ、血が通い、空気が生き物のように蠢く。目の前で繰り広げられる圧倒的なパフォーマンスは、観客を日常から非日常の世界へと誘った。

女子高生の司(木村歩未さん)は、古くから家に伝わるという、木曽義仲に関する書物を見つける。開くと、不思議な人物が現れる。彼は義仲の家臣の一人で、司の先祖だと言う。「平家物語」の義仲と家臣らの話をベースにした平安末期と、司のいる現代とが交錯する、時代劇ファンタジーだ。
時代劇というと予め基礎知識がないと難しいかと少々身構えていたが、物語はわかりやすく自然と進み、観客を拒まない丁寧な作りになっていた。書の書き手である鬼子を演じる櫻井保一さんの平明な語りが特に効いていた。

戦う女性の姿が印象的だ。義仲の家臣で、龍神の化身とされる女武士の巴御前(米沢春花さん)。源頼経の妾で、白拍子であり薙刀の使い手の静御前(国門紋朱さん)。二人が刀を交える場面は、命を燃やす炎がぶつかり合う、ゾッとするほど美しく激しい殺陣だ。それに対するように、互いに語らい合い、同じ境遇に置かれていることから少しずつ心を通い合わせていく場面も。恋バナに花が咲くかわいらしさと、戦う覚悟を決めた逞しさ、その複雑な感情を合わせ持っている女性の姿に魅了された。

巴御前を演じるのは劇団の代表、米沢春花さん。作・演出・舞台美術まで担当している。表情豊かに、玉の汗を流しながらカロリー消費量の高い役を担当している彼女は表彰ものの活躍ぶりだ。巴御前と一対となり登場する龍神役には由村鯨太さん。セリフは少ないながらも迫力のある身体の動きが素晴らしい。パイレーツオブカリビアンのジョニーデップを想起させる華やかなメイクや衣装も良かった。

平安から現代まで、争乱の時代を駆け抜ける大迫力の1時間40分。観劇後は自分自身も舞台に立っていたのかと思うほど身体が熱くなっていた。劇場を出ると、夏の夜風が汗ばんだ肌を撫でた。この爽やかな心地を来年の今頃にきっとまた思い出すだろう、心に刻まれた舞台だった。

田島ハル
札幌生まれ札幌在住の漫画家・イラストレーター。小樽ふれあい観光大使。2007年に集英社で漫画家デビュー。角川「俳句」で俳画とエッセイ「妄想俳画」を連載中。XとInstagramで漫画「ネコ☆ライダー」を描いています。フォロー宜しくお願い致します。
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作家 島崎町さん


ひとりの女子高校生の悩みと、800年前、木曽義仲ら一団の命をかけた戦いが同等の価値かもしれない、そういう物語だと僕はとった。

自分とは何者なのか、特別な人間になりたい司(木村歩未/劇団fireworks)は代々伝わる古文書を開き、そこで語られる木曽義仲らの挙兵と凋落の物語に惹かれていく。

「語られる」というのは文字通りで、古文書の書き手である鬼子(櫻井保一/yhs)が現れ、司に物語を語るのだ。

すると時代は800年前に飛び、平安の終わり、騒乱の時代に仲間を引き連れ挙兵した木曽義仲らの物語となる。

司パートと木曽義仲パートがだいたい3:7くらいの割合で進んでいくのだが、後半、司の悩める人生に木曽義仲パートが浸食しめると物語はがぜん面白くなる。

木曽義仲パートの方が時間的に長く、命をかけて戦う雄大な物語なのだが、現代の司パートの方が僕の心を打った。自分を特別な人間と思いたい、まわりの人間とは違う特別な存在なんだといういっけん中二病的な思いだが、当人にとっては切実なのだ。

たかが“イタい”女子高生の思いが、命をかけて戦った木曽義仲らに匹敵、いやそれ以上のものであるかのように悲痛な叫びとして劇場に響く。

劇団fireworks『沙羅双樹の花の色』。この劇を観て僕は2022年(日本では翌年)の映画『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』を思い出した。娘と母の軋轢が、宇宙の存続を巡る大いなる戦いと同等で、おたがいが同期・干渉し合うものとして描かれる映画だった。『沙羅双樹の花の色』もまたミクロとマクロが絡み合う物語だ。

800年前のパートを「木曽義仲ら」と書いたが、実質の主人公は巴御前(米沢春花/作・演出担当)だ。木曽義仲に思いを寄せる女武者で、男たちの戦いに女性として身を投じる。のちに敵対することになる源義経一行の中におなじ女性の静御前(国門紋朱/もえぎ色)を見つけ、話がしたいとスタバ?の甘そうなコーヒーでお近づきになろうとする場面は本作の白眉だ。

男たちの戦いがしだいに不毛な死にたがりゲームと化していく中で、巴御前は微細な心を持ちつづける。ゆえに輝く。

いっぽう現代の司は、代々男子にしか継ぐことができないという一族の決まりのために男装し、周囲からは浮くし自らまわりを拒絶してしまう。巴御前のあり方と司の不器用な生き方が両輪となって物語をつむぐ。ここがいい。

しかし要望もある。木曽義仲パートはよくいえば劇的なのだが、悪くいえば大ざっぱな時代劇という印象だった。現代パートと比べて人物やストーリーの解像度が低く、細かい描写や繊細さがもっとほしかった。木曽義仲の挙兵の意味や動機も伝わりにくく、「戦のない世の中に」という大義名分には説得力が必要だ。

僕は2023年冬の演劇シーズンで劇団fireworksの『畳の上のシーラカンス』を観て驚いた。3つの時代を並行して描くストーリーや新鮮な笑い、豊かな叙情に札幌の新時代の作劇家が現れたと思った。

その解像度で、そして今回の現代パートの繊細さで時代劇パートを描いたらどうなるだろう。もっともっと上へ、さらなる飛躍があるはずだ。勝手に期待している。

役者について。巴御前を演じた米沢春花はいまそこにある感情をダイレクトに出していた。過去パートについてはちょっと辛口に書いたが巴御前の物語をぜひ観てほしい。

静御前・国門紋朱は内面を表さないが、なにかあるのでは? と思わせる引きがある。静御前と巴御前、ふたりの物語をもっと観たい。

楯親忠を演じた有田哲(クラアク芸術堂)は野生人からどんどん知的になっていく役で楽しく見応えがあった。また、鬼子・櫻井保一のセリフの気持ちよさはちょっと異常で、ともすればなにを言っているか聴きとりづらい舞台の中で明晰に聞かせ語りの心地よさを与えてくれた。

過去・現代両パートで「父」を演じた赤坂嘉謙(劇団清水企画)はピタッと調律が合うような、たしかな存在として舞台に現れる。その役、その場面、そのセリフ、ひとつとしてはずすことがない。それでいてしっかりユーモアや人間味をにじませていた。

那須与一と綾乃の二役だった山下愛生の綾乃役についても書いておきたい。生き生きとした弾けるような演技で、まるで劇場に犬が駆けこんできたような、そんな生命力だった。

現代パートはほかに、悩める司(木村歩未)は気持ちが伝わる好演。父と司の間を取り持つ姉のみはる(小川しおり/劇団fireworks)は司より少し大人だからこそ俯瞰で見られる。いろんなことを気遣う優しさと、気疲れゆえの疲労感のようなものすら感じた。

現代パートには繊細な人物造形や物語の解像度がある。時代劇パートも同様に描けばもっとよくなる。そういう可能性をこの舞台に感じた。

島崎町(しまざきまち)
作家・シナリオライター。近著『ぐるりと』(ロクリン社)は本を回しながら読むミステリーファンタジー。現在YouTubeで変わった本やマンガ、絵本など紹介しています! https://www.youtube.com/channel/UCQUnB2d0O-lGA82QzFylIZg
俳人、文芸評論家 五十嵐秀彦さん

開演と同時に生バンドが舞台中央の幕から登場。
おっ!と思わせる趣向だ。その後中央に小さく仕切られた幕の中での生演奏が最後まで続く。このブースがバンド用だけではなく、時に「あやかし」の出現する「穴」にもなり、この舞台で重要な場所となる。

女子高生なのになぜか学ランで男装している司(木村歩未)が、家から持ち出した「家宝」とされている本を読んでいる。本は父(赤坂嘉謙)の話では代々わが家に継がれてきた巻物を祖父が現代訳にしたもので、家宝だという。木曽義仲の盛衰記のようなものだった。父の言う事をそのまま信じた司はなぜかその本に憑りつかれてゆく。
本の世界に没入してゆくうちにどこからか声が聞こえて来て、客席の下からわらわらと役者の一群がステージへ。いきなり剣を光らせての群舞。場は平安期の武士の世界に切り替わる。
この生バンドの音楽と激しい殺陣がこの劇の最大の見どころだ。

平安時代の場面で「鬼子」として登場する男が長じて義仲の右筆となる「覚明」(櫻井保一)だ。司が夢中になっている本の原典となった巻物を書いた人物。本を読むうちに司の前に覚明の幻影があらわれることで、舞台で現代と平安とがつながってゆく。舞台で演じられる平安末の木曽義仲の物語は全て覚明の語りが司の中に描き出す幻影だった。
司は特にめだった能力が自分にないという思い込みや、優等生で今は社会人となっている姉へのコンプレックスから、自分を特別な存在と思いたい欲求に支配されている少々イタイ娘だ。学ランはその象徴。それが平安の場面の義仲家臣である女武者・巴御前と重なってゆく。
司と巴御前(米沢春花)は鏡面の存在として舞台の2つの時代に立つ。
現代の司は自分のコンプレックスに踊らされ、平安の巴は時代に踊らされてゆく。
バンドの激しい音楽に乗って狭い舞台いっぱいに暴れまわる役者たちの殺陣に目を奪われているうちに、司と巴御前のふたりの、「特別」な存在でありたいという苦悩が膨れ上がってゆくのだが・・・。

この作品には、木曽義仲(上松遼平)という一般には悪者とされている人物を正義の人として描き、昔から人気者の義経(桐原直幸)をヒールとして描くという逆転の設定がある。義仲側の巴御前、義経側の白拍子の静御前(国門紋朱)というふたりの男性的な女性の性格も描き出すなど、幾つものプロットが司の心の内を暗示する。
平安末期は平氏が武力で貴族から実権を奪い、さらに源氏との戦いとなり平安貴族社会を崩壊させた時代。同時に後白河法皇が庶民の芸能であった白拍子の音曲で「今様」を愛好するなど、貴賤が交錯し価値観が混乱する時代であった。舞台はそんな混迷の平安時代末期に現代を重ねているようにも感じられた。

さて、はたして司の見ている平安時代の物語は彼女の妄想なのか。自分が何者なのかわからなくなる心の弱さに鬼が現れつけこんできて、司は心の闇に落ちそうになる。
舞台で進行するふたつの世界に追い詰められる司。
どうなる司! 家族崩壊か!
どうなる巴御前! 義仲とともに討ち死にか!
そんな勢いのままに怒涛の終盤へ。
そして最後の最後に司の父の秘密が・・・。

小劇場でここまでやるかというスペクタクルにただただ圧倒され引き込まれてしまった。観終わってからようやく義仲と巴御前の生き方を通して、現代を生きる少女の、そして私たちの迷いが描き出されていることに気づくのだった。

ともかく劇場の椅子に座り、生バンドの音と派手な殺陣の作り出すうねるようなスペクタクルに身をまかせよう。
やたらたくさん出てくる歴史上の人物については家に帰ってから調べるとして。

五十嵐秀彦(いがらし ひでひこ)
1956年生れ。札幌市在住。俳人、文芸評論家。
俳句集団【itak】代表。現代俳句協会理事。
北海道文学館理事。
北海道新聞「新・北のうた暦」(共同執筆)、「道内文学時評」執筆。
朝日新聞道内版「俳壇」選者。
月刊「俳句」(角川書店)「令和俳壇」選者。
著書 句集『無量』(書肆アルス)
1995年 黒田杏子、深谷雄大に師事。
2003年 第23回現代俳句評論賞受賞。
2013年 北海道文化奨励賞受賞。
2020年 藍生大賞受賞。
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