ゲキカン!


作家 島崎町さん


不穏な物語だ。

名前も場所も違う、別の世界のお話のようだけど、いまこの世界ともリンクする、そのうち僕らの身にふりかかってくる未来を暗示するような、予言書のようでもある。

だからこれは寓話だ。一見関係ないけれど、考えれば考えるほど我がことのように思えてくる、ゾッとするお話。

劇団イナダ組『春の黙示録』。舞台は、いつの時代のどこの話かも定かではない、とある国、とある村。そこに、奇妙なほど低い天井の家があり、3人が暮らしている。デナリ(江田由紀浩)とその妻コロン(山村素絵[劇団イナダ組])、コロンの弟マシフ(小林エレキ[yhs])。近所にはやたら背の高い男プンチャック(月光テツヤ[月光グリーン])と妻のジャヤ(五十嵐みのり)も住んでいる。

この国は隣国との戦争を断続的につづけており、デナリ、マシフ、プンチャックの男3人は、かつて兵士として戦場に赴き、生き残った。彼らは40歳を越え、もう兵士として招集されることはないが、戦争の後遺症は心と体をむしばんでいる。特にマシフはたびたび錯乱を起こし、あわや人を傷つけそうになる。

ラジオからは今日もいさましい戦果の報告が鳴り響く。天井の低い小さな家で、身をかがめながら生きていく3人だったが、そこに軍の徴兵担当(吉田諒希[劇団イナダ組]、前田透[劇団・木製ボイジャー14号、ヒュー妄])がやって来て……。

前半の不穏な空気がすばらしい。どんよりとした、この国、この村を覆う戦争の影が、観るものの身に染みてくる。そこに、いくつもの笑いがこれでもかと繰り出され、不穏で不吉、悲劇の予兆をビシビシ感じさせながらなおかつ面白いというバランスが成り立ってる。僕は前半がとても好きだ。

いっぽう後半は一転して、混沌とした物語となっていく。それまでの物語、前半の化けの皮が剥がされ、戦争とはなにか、戦争を起こさせるものはなんなのか、人間の内側、ひとりひとりの内面をえぐっていく。

戦争というものがけっして特殊なものではなく、すべての人の中にある感情や本能と結びついていて、その延長線上にあるのではないかと、この舞台は訴えかけてくる。その解決方法が、劇の最終盤に起こるできごとにあると僕は思わない。だけどじゃあどうしたらいいのか、僕たちが戦争を起こさないように、起こされないようにするためには、どうしたら、と考えるきっかけになる作品だ。

しかし忘れがたいのはあの天井の低い家だ。森の近い村、じめっとした空気、貧しく身を寄せ合う家族、そこで春の訪れを待ち焦がれる。

あの家は地面の上に建っているというより、地面の下に埋もれているようだった。そこに住むものは、まるで植物の根か種のようだ。冬の間、うずくまっていたものたち。傷ついた体、ゆがんだ気持ち。だけど雪が溶けたら、顔を出したい。太陽が見えたら、地中より這い出て、大きく伸びをしたい。

平和という日を浴びて、自由という空気を吸い、どんな風に育つのだろうか。いつか花は咲くのだろうか。

島崎町(しまざきまち)
作家・シナリオライター。近著『ぐるりと』(ロクリン社)は本を回しながら読むミステリーファンタジー。現在YouTubeで変わった本やマンガ、絵本など紹介しています! https://www.youtube.com/channel/UCQUnB2d0O-lGA82QzFylIZg
俳人、文芸評論家 五十嵐秀彦さん

芝居が終わって夜の9時30分過ぎぐらいに元町駅から地下鉄に乗ったのだが、発車に際して突然「徐行運転いたします」というアナウンスが流れた。そのとき、この地下鉄の暗いチューブの中で、異次元にでも連れていかれそうな恐怖を感じてしまった。私はまだ演劇空間の中にいたのだろう。
「春の黙示録」には、そんな魔力があった。

時間を戻そう。
この物語は某国のいつとはわからぬ時代の戦争の話だ。異様に天井の低い家に家族と友人が集まっている。テーブルの上のラジオは、この国が第8次の戦争状態にあることを伝えている。登場人物のひとりひとりが前の第7次戦争で人に言えないような過酷な経験をしているのだが、それを意図的に無視してわざとらしい狂騒の杯をあげたりしている。
けれど、マシフーはしばしば戦場のフラッシュバックに苦しめられている。
登場人物個々の記憶の食い違いが、複数のストーリーを入れ子のように物語に織り込んでゆく。

ある日、年齢的に今回の戦争は徴兵免除だったはずのこの家族に徴兵担当の役人がやってくる。
現実逃避の中に作られたかりそめで安普請の日常が揺さぶられる。
陰の部分に蠢いていた殺戮がしだいに姿を現してゆく。彼らのグロテスクな「平和」が日常性の破綻の裂け目から顔を出す。
「人を殺すやつをほめるやつはクソだ!」
先の戦争で100名の敵を殺し勲章をもらっているマシフーは「英雄」の面影もなく、狂気の淵に沈んでいる。マシフーの姉コロンとその夫でマシフーの戦友でもあるデナリー。この3人の間には修復不能の闇があるにもかかわらず、彼らは春を待つ。
戦争という冬の後にくる春は、「平和」とイコールであるのだが、しかし「平和」は人を殺すことで得られるという矛盾を登場人物がみな心の闇として抱えている。

この物語は私たちの現在と重なっていることは冒頭から理解できるのだが、しかし遠い世界という設定にどこか安心しながら見てしまっていた私たち観客は、後半のある一言によって突然この仮想であるはずの世界に引きずり込まれ動揺させられてしまうのだ。この仕掛けにはあっと驚かされた。

戦争は悪だ。平和が理想だ。そう言いながら現実に戦争が起きると、どっちが悪いとか、この戦いは勝利しなければならないとか、自分の国の戦争でもないくせにニュースを見ながら安易に一段高いところから得意げに論評している私たちが物語の中に投げ込まれる。
平和が一番といいながら、それってお花畑の理想論だよねと知ったように言ってしまう私、そしてあなた、お前たち!
戦争がただの人殺しの狂気だということ。
「殺すな!」という当然のことが、「戦争」という概念の中で「それって理想論」の一言で片付けられてしまうこと自体も狂気であることに、私たちは気づいていない。

謎や矛盾が乱暴に展開するこの芝居が、観客の心を最後まで掴んで離さないのは、ひとえに役者が演じるこの狂気の力だ。登場人物全員の抱えているどす黒い狂気が、皮を剥ぐように暴かれてゆく恐ろしさ。それがけして他人事ではないと観るものに直感させる舞台だった。
この狂気は、いまも私たちの「日常」と呼ばれる場所に蠢いているのだ。

「春の黙示録」が私たちに突きつけてきたのは、狂気を隠蔽する嘘で成立している私たちのグロテスクな「日常」だった。ここから眼をそらしてはいけない。
必見の舞台。そう言ってもいいだろう。観劇ではなく、これは体験である。

五十嵐秀彦(いがらし ひでひこ)
1956年生れ。札幌市在住。俳人、文芸評論家。
俳句集団【itak】代表。現代俳句協会理事。
北海道文学館理事。
北海道新聞「新・北のうた暦」(共同執筆)、「道内文学時評」執筆。
朝日新聞道内版「俳壇」選者。
月刊「俳句」(角川書店)「令和俳壇」選者。
著書 句集『無量』(書肆アルス)
1995年 黒田杏子、深谷雄大に師事。
2003年 第23回現代俳句評論賞受賞。
2013年 北海道文化奨励賞受賞。
2020年 藍生大賞受賞。
ライター・イラストレーター 悦永弘美さん

舞台上に小さな家が建っている。
やけに天井の低いその家の中には、賑やかに酒を飲む5人の男女がいる。
天井にぶつかりそうになる頭を庇うように、中腰姿勢で過ごして宴を楽しむ様は、決して自由気ままではない。背筋を伸ばして立ち上がれないその窮屈さは、彼らを取り巻く世界をそのまま体現しているかのようだった。

戦時下にあるとある国のとある村。
小さな家に暮らすのは、夫婦と妻の弟の3人。共に酒を酌み交わすのは友人夫婦。友人の男は随分と背丈があり、より一層身体を折り曲げて過ごすしかなく、窮屈そうに楽しんでいるのが印象的だ。男たちは皆40歳以上で、徴兵を免除された戦争経験者である。
そして戦況の悪化により、追加召集を告げにくる国防軍がすぐそこまでやってきていた。

その家には必死に手繰り寄せた彼らなりの日常がある。小さな箱の中に無理やり詰め込み、なんとか形を整えたような束の間の平和だ。その箱の中で、残酷な過去の上に平和を重ねて記憶を更新していこうとする。どんなに平和な記憶を重ねていても、ふとした瞬間にすぐその下にある残酷がいつでもむき出しに現れる。

苦しくて、ヒリヒリして、とんでもなく面白くて、謎に迫るスリリングさと驚きの展開があって、凄まじい熱量があって、たくさんの愛がある舞台だ。
めくるめく展開に固唾を飲んでその行方を食らいつくように追っていき、織り込まれるネタにケラケラ笑う。感情の振り幅がとてつもなく大きくなって、舞台上の狂気に飲み込まれていく感覚がひたすら最高だ。

舞台上の人物全てが背景を持った人間で、確かにそこで生き、存在している。
デナリ、コロン、マシフ、プンチャック、ジャヤ、ローガン、チョモ。
それぞれに愛があり、それゆえの平和があり、苦しみと葛藤があり、そして観ている側としては困るほどに親しみがある。
どうして困るのかと言うと、「私とは関係のない話だ」と思わせてくれないからだ。生身の人間の、想像よりも遥かに私たちの近くで響く物語だと思い知るからだ。
現実と非現実の境界が曖昧になるのを感じながら、舞台に立つ血の通った人間たちの物語を前のめりで見ているこの瞬間も、現実の世界で同じようなことが続いていることを改めて痛感するからだ。

例年にない大寒波だとニュースが流れるこの街で暮らす私たちにとって、春はいつだって待ち遠しいものだ。
春の前にたくさんの命が消えて、春になるとたくさんの命が芽吹く。
繰り返されるこの自然のサイクルは実はとても残酷だ。そしてこの繰り返しの中で私たちは生きている。
自分達の平和は、誰かにとっての脅威である。
生活と戦争の何が違うのか。場所と状況で入れ替わる正義って何なんだ。
私たちが感じるこの束の間の平和は何かの犠牲の上に成り立っている。
目を逸らすな、考えることをやめるな。

自分の中でいくつもの自問自答を繰り返し、圧倒されて、ラストの衝撃に感情を根こそぎもっていかれて、最後は手のひらが腫れるほどに夢中になって拍手をした。

そして劇場を出た瞬間から、ずっと「春の黙示録」について考えている。
考えて、考えて、考え過ぎて、場面ごとに思い出しているうちに、嵐の中で飛んでいく薬局の前に立つあのマスコットのことを想像して、笑ってしまった。あぁ、感情の振り幅よ。

決して忘れることのできない、最高の舞台に出会ってしまった。
何がなんでも足を運ぶべき!と思います。絶対に。

悦永弘美(えつながひろみ)
1981年、小樽市出身。東京の音楽雑誌の編集者を経て、現在はフリーのライター兼イラストレーターとして細々活動中。観劇とは全く無縁の日々を送っていたものの、数年前に演劇シーズンを取材したことをきっかけに、札幌の演劇を少しずつ観るようになる。が、まだまだ観劇レベルはど素人。2015年、仲間たちとともに短編映画を制作(脚本を担当)。故郷小樽のショートフィルムコンテストに出品し、最優秀賞を受賞したことが小さな自慢。
漫画家 田島ハルさん

氷点下8℃だった。「寒い」というより「しばれる」という言葉がしっくりとくる真冬日の札幌。元町駅から会場のやまびこ座までの道のりを歩く。無防備に外気に晒した耳が痛い。「なにも大寒の時季に開催しなくても…」と、去年も雪まみれになりながらぼやいた気がする。しかし、それも一瞬のこと。終演後には、「嗚呼、来てよかった!」と心から思った。どこまでも歩いていけそうな軽い足取りになる。熱を取り戻した身体が頼もしい。
今シーズンも開幕してくれてありがとう。感謝の気持ちを込めてこちらの「ゲキカン!」を綴っていきたい。

劇団イナダ組公演「春の黙示録」、2日目の公演を観た。

戦時下にある、どこの国かもわからない、とある村が舞台。中腰にならなければ歩けないほど、やけに天井の低い小さな家に住んでいるのは、夫婦とその妻の弟。ラジオからは第8次世界大戦の経過報告が流れ、国防軍からの追加招集の知らせに戦争の足音がいよいよ近くなる。過去に負った戦争の傷、もう無かったことになっているはずの傷は、やがて血の匂いをさせて生々しく開いていく。恵みの雨であったはずの雨はやがて大雨になり、傷は雨ざらしのまま、稲妻、嵐がやってくる…。

冒頭シーンから度肝を抜かれた。もう濃い。濃さを越えてもはや清い。
スピードを飛ばすテンポとテンション、劇団イナダ組作品「カメヤ演芸場物語」でも感じた、最後まで目が離せなくなる強烈な引力。この力こそイナダさんの魅力だと思う。

薄ぼんやりの灯りに、70年代のヒッピースタイルのようなサイケデリックな装いとインテリア。一つ屋根の下に身を寄せ合う人々の様子は退廃的、でも陽気。奈落の底でどんちゃん騒ぎをしているような風情が漂っている。もう狂わずにはいられない、というか、もう狂っている。現在と過去を往来する中で何が正義で何が悪か、観ている側もストーリーが進むにつれ戸惑い、恐怖と混乱に巻き込まれる。この世界で正気と信じている方が狂気ではないか?

複雑に絡まる謎、繰り返し繰り返し予想を裏切られる展開に、最後まで固唾を飲んで見守った。このザワザワする感じ、以前にもあったような…と気になって調べると、脚本を担当しているのは川尻恵太さん。昨年の演劇シーズンで観たパインソー公演「ワタシの好きなぼうりょく」も川尻さんの脚本だ。物語も劇団も違えど、まんまとザワつかせていただいた。

印象的だったのは、マシフ役の小林エレキさんとデナリ役の江田由紀浩さんの相性の良さ。戦争の後遺症に蝕まれるエキセントリックなマシフと、明るさとその裏の闇を持つデナリ。戦友でいて家族であり、歪に繋がれた複雑な関係を実力派役者のお二人が見事に演じていた。戦地でのシーンは涙なくしては観れない。

不自然に低い天井の小さな家で、中腰になりながら右往左往うごめく人々。その様子は冬芽に似ている。冬の木は枯れたように見えるが、小さな芽を育んでいる。寒さから身を守るため鱗片に覆われており、中には小さく折りたたまれた葉や花の蕾が入っている。来るべき春には膨らんだ芽がいよいよ開かれる。この物語の人々も、それぞれの平和への希求を膨らませて、春を待ちわびている。最後のシーン、来るべきその時の光景に圧倒された。

終演後は、プンチャック役の役者でミュージシャンの月光テツヤさんと、ローガン役の前田透さんのアコースティックミニライブがあり、作品の熱を更に盛り上げていた。演劇もライブもそうだが、生声生音のパワーは心に染みるものがある。寒さが続く日々だが、是非会場に足を運んで躍動感に溢れた作品の熱を受け取ってほしい。
ミニライブは25日14時の回と28日13時の回にも開催されるそうだ。

田島ハル
札幌生まれ札幌在住。漫画家、イラストレーター、俳人、文筆家、小樽ふれあい観光大使。
2007年に集英社で漫画家デビュー。
著書に「モロッコ100丁目」(集英社)、「旦那様はオヤジ様」(日本文芸社)他。
朝日新聞道内版のイラストとコラム「田島ハルのくいしん簿」、北海道新聞の4コマ漫画「道北レジェンド!」、角川「俳句」の俳画とエッセイ「田島ハルの妄想俳画」など連載中。
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