ゲキカン!


作家 島崎町さん


楽しかったなあ。人形浄瑠璃楽しい。

今年創立30周年を迎える「さっぽろ人形浄瑠璃あしり座」。人形浄瑠璃と言えば大阪の文楽に代表されるような伝統芸能、様式美のイメージがあるかもしれない。あるいは堅苦しいイメージで、なにを言ってるかわからない……というような。

しかし! あしり座の人形浄瑠璃はわかりやすい。伝統芸能としてのよさを引き継ぎながらも、まったく知識のないお客さんにもわかるように、むしろそういう人ほど楽しめるようにできている。

実際僕は人形浄瑠璃のことをあまり知らないし、観劇前のマイルールとして事前知識をなるべく入れないようにして、パンフレットを読まずネットからの情報もいっさいない「無」の状態で観たのだけど、内容はわかるし面白どころでは大いに笑い大満足だった。

これはあしり座の理念というかポリシーというか、確固たる意志があるのだと思う。つまり人形浄瑠璃は面白い、その面白さをなんとしてでも伝えようという思いだ。

そのため今回の公演は舞台下手に太夫の語りが字幕で映し出される。古典芸能である能や歌舞伎、人形浄瑠璃ではなに言ってるかよくわからないという問題があるのだけど、これは正直ありがたい。

観てるとだんだん言葉にも慣れてきて、字幕を見ない時間の方が長くなるのだけど、あるとなしでは大違いだったと思う。わからなければ字幕観たらいいという安心感があるし、物語に置いていかれず、冒頭から人形浄瑠璃の世界にしっかり入りこめる。

ほかにも工夫はたくさんあって、最初の幕間で座頭・矢吹英孝の解説があり、そこにユースチームがあらわれ人形の動かし方を説明してくれる。

さらに各話の前にはだいたいどんな物語なのかもアナウンスされるし、観客を引き入れる努力を惜しまない。

そういう姿勢は本編にも活かされていて、生命が宿ったかのような人形の動きと豊かな感情表現、随所にある笑いなどで僕たち観客を楽しませてくれる。

縁もゆかりもない札幌で、人形浄瑠璃という伝統芸能をゼロからつくりあげ(継承し)て30年、その成果をいま観ているんだなと思うと少し目頭が熱くなるところもあった。

人形浄瑠璃をまさにいまの文化、エンターテイメントとして花開かせたあしり座は、札幌市民の豊かな財産と言っていいのかもしれない。

公演は3本立てで、各話を軽く紹介すると、最初の「寿式三番叟(ことぶきしきさんばんそう)」はあしり座の開演演目として定番のものとのこと。五穀豊穣を祈る舞いで、ストーリーはなく音楽ダンス劇だと思えばいいかも。後半、鈴を手に入れ鳴らしながら踊るのが楽しい。

つぎの「伊達娘恋緋鹿子 火の見櫓の段(だてむすめこいのひがのこ ひのみやぐらのだん)」は「八百屋お七」として知ってる人もいるかも。有名な実話を元にしたもので歌舞伎などにもなっている。降りしきる雪のなか、お七の苦悩、決断、行動が胸を打つ。ドラマとしても舞台芸術としても完成度が高かった。

最後の「釣女(つりおんな)」は一転して滑稽なお話。人間ではなく人形が演じることでおかしみが増し、キャラクターへの愛おしさまで感じた。

上演時間は休憩込みで2時間。字幕をしっかり読みたい人はあまり前すぎない下手側の席(観客席左側)がオススメ。

島崎町(しまざきまち)
作家・シナリオライター。近著『ぐるりと』(ロクリン社)は本を回しながら読むミステリーファンタジー。現在YouTubeで変わった本やマンガ、絵本など紹介しています! https://www.youtube.com/channel/UCQUnB2d0O-lGA82QzFylIZg
ライター・イラストレーター 悦永弘美さん


いやはや魅せられた、そしてとてつもなく面白い!
五穀豊穣を祈願する「寿式三番叟」で幕が開けた、さっぽろ人形浄瑠璃あしり座の初日。
あしり座ではこの「寿式三番叟」を、舞台成功の願いも込めて一番最初に披露することが恒例だそうで、その華やかさに、思わず口をあっと開いて、魅入ってしまう。
人形浄瑠璃を、こんなにも間近でしっかりと観たのは初めてだった。
自身の知識不足もあって、ついつい敷居の高さを感じてしまう伝統芸能の一つではあるけれど、想像をしていた以上にずっと親しみがあり、想像を遥かに超える魅力的な舞台だった。

「寿式三番叟」を終えると、あしり座の座頭・矢吹英孝さんが登壇。中高生で構成されたユースクラスによる人形解説も行われた。
この解説がまた非常に面白く、三人遣いの役割や操作方法などを実践しながら丁寧に教えてくれるので、学びが多くとても楽しかった。
また、事前に配布された「床本」や字幕の設置もまた、人形浄瑠璃の初見組と舞台の距離を短く結んでくれる。観客を誰一人置いてきぼりにせず、伝統芸能に優しく誘い込んでくれる姿勢がとても嬉しく、存分に委ねることができた。

人形浄瑠璃をより楽しく観ることができるよう、初見客も含めて体勢を整えた後に、続くのは「伊達娘恋緋鹿子 火の見櫓の段」、「釣女」。
「伊達娘恋緋鹿子 火の見櫓の段」で舞台に立つのは、人形遣いの阿吽の呼吸の中で魂を吹き込まれたお七ただ一人。舞い落ちる雪の中、人形遣いが姿を見せずに梯子を登るお七は、圧巻だ。語りと演奏の中で悲嘆の底から恋人のために立ち上がり、幾度も滑り落ちながら、梯子を登る鬼気迫るお七の覚悟の背中に息を呑む。なんという至極の体験だろうか。

そして最後を飾る「釣女」は、とても親しみのある作品。コミカルな内容に、場内からは幾度も笑いが起こり、私ももちろん大いに笑った。太郎冠者と、釣り上げた女性(!)の魅力は相当なもの。好みではない女性を釣り上げてしまった太郎冠者の滑稽な狼狽と、太郎冠者を慕う女性の愛らしさったら!なんとも酷い話なのだけれど、女性のチャーミングな佇まいに、太郎冠者とその女性は結局添い遂げて、やいのやいのと言いながら仲良くしていくのではないかしら、と物語のその先に想いを巡らせ、ほっこりしてしまう。
万雷の拍手の中で幕を閉じる中、込み上げてくる思いはただ一つ、「人形浄瑠璃、面白い!」。

2024年度は創立30周年とあって、今年の10月、来年の2月に記念公演を控えている「あしり座」。若い世代も積極に的に舞台に立つ、あしり座だからこそできる新しい伝統芸能の歩みに、頼もしさと期待が膨らむ夜だった。

悦永弘美(えつながひろみ)
1981年、小樽市出身。東京の音楽雑誌の編集者を経て、現在はフリーのライター兼イラストレーターとして細々活動中。観劇とは全く無縁の日々を送っていたものの、数年前に演劇シーズンを取材したことをきっかけに、札幌の演劇を少しずつ観るようになる。が、まだまだ観劇レベルはど素人。2015年、仲間たちとともに短編映画を制作(脚本を担当)。故郷小樽のショートフィルムコンテストに出品し、最優秀賞を受賞したことが小さな自慢。
俳人、文芸評論家 五十嵐秀彦さん

札幌演劇シーズンで人形浄瑠璃?
正直言うと最初は違和感があった。人形浄瑠璃はもちろんいいけれど演劇というジャンルからは離れすぎているんじゃないか、と。

結論を先に言う。
「どうしていままでこれをやらなかったんだ!」
です。

演目は「寿式三番叟(ことぶきしきさんばそう)」「伊達娘恋緋鹿子(だてむすめこいのひがのこ) 火の見櫓の段」「釣女(つりおんな)」の3題。
当日、かでるアスビックホールに集まった人たちに、あしり座代表の矢吹さんが人形浄瑠璃を初めて見る人は?と問いかけ、かなりの人が手を上げていた。
かく言う私も動画で観たことはあっても現物は初見。

「寿式三番叟」は祝い事などの際に演じられる演目で、日本の初期芸能の雰囲気を今に伝えているように見えた。三河万歳などとも根を同じにしているのではないだろうか。
3体の人形がそれぞれ3人の人形遣いによってまるで生きているように舞う。
最初は人形遣いに操られている人形という形に見えていたものが、しだいに人形それ自体が自分で動いているように見えてくる。
Eテレで時々人形浄瑠璃の放送があり、見ることもある。しかし動画では「人形遣いによる人形劇」というイメージから離れられないものだ。それが実際の舞台の上では全く違った。人形にいのちが宿る。
あ、やっぱり実際に観なければ分からないものだと気づく。
この日のプログラムの開幕にはちょうどいい演目に思えた。

次の演目までの幕間で、矢吹さんと、あしり座のユース・クラスの子どもたちが、人形操作の基本を教えてくれた。これがとてもわかりやすく、なぜ一体の人形に3人がかりなのか腑に落ちた。

そして二番目の演目、「伊達娘恋緋鹿子 火の見櫓の段」。
「八百屋お七」と言えば多くの人が知っている内容だ。
このプログラムは初心者にも楽しめるようにと、とても良く考えられている。一番目の「三番叟」で場を寿いで人形の基本動作を見せ、次にみんなが知ってる(うっすら知ってるでもいい)演目を山場として披露する。
幕が上がると舞台は雪の降る江戸の夜。長い話の中で一番盛り上がるシーンだけを演じるのだから最初からただならぬ緊張感に満ちている。
中央の火の見櫓の後ろから出てくるお七のなんという美しさ! 
もう、すぐに目を奪われた。
三番叟で舞台上のお約束は体験済みのためか、不思議と人形遣いの人影は気にならず、最初からあでやかなお七の姿しか見えてこない。
命を吹き込まれた人形が、絶望に落ちてゆく。そこに雪が降りしきる。低い太鼓の音が雪の夜の深さを表現している。
そしてお七の火の見櫓に登る場面。舞台は最高潮となる。
人形が櫓に登る。本来3人がかりで動かす人形がどうやって櫓の梯子を登るのか。
しかし、あっと驚く手法で本当に人形が人の手を借りずに自分で動いて登っている。と観客には見えてしまう場面だ。
人形、歌、三味線が舞台に圧倒的な悲劇を映し出す。息を呑むシーン。
演劇シーズンにこれまでなぜ伝統芸能が無かったのか、そう思い知らされた瞬間でもあった。

第3の演目は「釣女」。
前の舞台の悲劇性を払拭するように、笑いが舞台を駆けめぐる。
大名と太郎冠者が出てきて、これは狂言ですよと客にわからせる。人の演じる狂言となんら変わらないと思わせるほどに素早い滑稽な動作。そして雄弁な表情。
そう、表情が動く。太郎冠者の眉が上下に動くことを除いては、動かないはずの人形の顔に生き生きとした表情が現れる。
ストーリー自体は単純でたわいもない笑い話ながら、その表情のたくみさこそが生きた笑いとなって客席を包み込んでいた。

伝統芸能には予備知識が必要で難しいからちょっと、という人(私もであった)が多いかもしれない。しかし何も構える必要はない。
現代の演劇がそうであるように、素の心で観て、驚き、笑い、そして泣く。
作られた時代がはるか昔であっても芸能であることに何の変わりもない。少なくとも今回のプログラムは予備知識なく見て、十分に楽しみ感動できる内容だった。
人形が動く舞台だけではなく、横に設えられた床に並ぶ「あしり座義太夫部」の生の義太夫が聴けたのもうれしかった。
舞台の左側の字幕に粗筋や義太夫の語りの文章が表示されるという配慮もすばらしい。

今回の演劇シーズンでの上演が9日から12日までという短さは残念。
この「ゲキカン!」がアップされるころにはもう終わっているかもしれない。
その場合でも、あしり座が「やまびこ座」をホームとして活動しており、10月と来年2月にそちらで「あしり座三十周年記念公演」があるとのこと。
面白そうだけど、今回は観られないという方はぜひその機会にご覧ください。

人形浄瑠璃は長い長い歴史をもつ舞台芸能。その目的とするところは、現代の演劇となんら変わりはない。それを痛感した一夜でした。

五十嵐秀彦(いがらし ひでひこ)
1956年生れ。札幌市在住。俳人、文芸評論家。
俳句集団【itak】代表。現代俳句協会理事。
北海道文学館理事。
北海道新聞「新・北のうた暦」(共同執筆)、「道内文学時評」執筆。
朝日新聞道内版「俳壇」選者。
月刊「俳句」(角川書店)「令和俳壇」選者。
著書 句集『無量』(書肆アルス)
1995年 黒田杏子、深谷雄大に師事。
2003年 第23回現代俳句評論賞受賞。
2013年 北海道文化奨励賞受賞。
2020年 藍生大賞受賞。
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