ゲキカン!


關ひなの(せきひなの)さん

 ただただ圧倒された。気づけば、拍手喝采の渦の中にいた。

 薄暗い劇場。舞台の三方に、客席がある。舞台の中心には、長机と9個の椅子が大胆に設置されている。端っこにある机の上には、動いていない扇風機と水のピッチャー、そしていくつかの紙コップ。一体これからこの板の上で何が行われるのだろうか。「沖縄本土復帰目前」の時期が舞台と聞いていたので、なんだか緊張していたが、好奇心ばかりが湧いてくる。

 舞台「9人の迷える沖縄人~after’72〜」。2015年に札幌演劇シーズンで上演された「12人の怒れる男」に着想を得て、生み出された作品だという。今シーズンから始まったプログラムディレクターズチョイスで、はるばる沖縄から札幌へと招かれた「おきなわ芸術文化の箱」によって上演された。

 本作はタイトルの通り、9名の沖縄人(うちなーんちゅ)が登場する。1人1人に明確に存在意義があり、各々が自らの立場に乗っとって発言する。「1972年、本土復帰を目前に控え、意見交換のために新聞社の一室に集められる」という設定なのだが、実はこの作品は二重構造になっている。確かに設定通りの物語ではあるものの、その設定というのは、現在軸でやろうとしている芝居の内容なのだ。1972年の物語と現在の物語という2つの軸に沿って話が進められるため、初見の方は少々混乱するかもしれない。私は、「芝居の稽古」→「休憩」→「芝居の稽古」→「休憩」→「本番」という構成だと解釈した。現在視点から過去に焦点を当てることで、自ずと現在が浮かびあがっているように思った。

 役者は椅子に座って演技をしているため、座った席によっては特定の役者の顔がほとんど見えない状況に陥る。演劇の要である、「役者の顔」が見えないなんてことがあって良いのか。しかし、劇を観進めていくうちに、これは狙って取り入れられた演出なのだと理解することになる。というのも、役者の背中を見つめ続けていると、なんだか自分自身がその役に没入していく感覚を覚えたのだ。役に背を向けられているため、舞台というより、討論会の傍聴者になった気分にさせてくれた。そう、発言こそできないが、きっと観客も参加者の一人なのだ。9人9色の立場や考えがあるため、きっと観客の意見にもマッチする役がいるはずで、役は観客の代弁者になってくれているという訳だ。

 1972年の沖縄が舞台だが、私はその時代に生まれていなかったし、北海道で生まれ育ったということもあり、正直自分との結びつきは弱い作品だった。でもだからこそ、同じ日本で起きたこととして目を向ける必要があるのだと思わされた。そして、北海道には北海道の歴史があるが、沖縄とある種似たような境遇だったとも言えると思う。この作品が北海道の地で上演されたことは、大きな意義があるだろう。

 この作品では、「うちなーぐち」と呼ばれる沖縄の方言をそのまま台詞に取り入れていて、随所で使用されている。主に「文化人」や「老婆」の台詞で用いられるのだが、全くもって初めて触れる言語であるにも関わらず、何故か理解できたのには驚いた。沖縄のルーツを肌で感じることが出来た。「文化人」は意見交換会に遅刻したり、どことなくマイペースなところがあるが、うちなーぐちの不思議な響きと相まって、憎めない人物になっていた気がする。

 札幌演劇シーズンが無ければ、人生で出会うことが無かったかもしれない沖縄の舞台。この観劇体験は私の興味の範囲を確実に広げてくれた。いつか沖縄の地でこの舞台をまた観たい。その時私は何を思うのか。それは、やはり時代背景によって大きく変化するだろう。

關ひなの(せきひなの)
2003年生まれ。釧路生まれ札幌育ちの道産子大学生。
札幌南高校を卒業後、北海道大学文学部に進学。
現在大学では、映画から舞台へのアダプテーション等について学んでいる。
舞台観賞が好きで、年に30回ほど劇場へ足を運び、特に宝塚歌劇の舞台を好んで観賞している。北海道文化放送が運営するWEBサイト「SASARU」のライターとしても活動中。
作家 島崎町さん


この「ゲキカン!」で僕は『12人の怒れる男』を3回観て3回書いた。2015年夏、2018年夏、2022年夏。ずいぶん書いたなと自分でも思うけど、まさかもう1本くるとは!

おきなわ芸術文化の箱『9人の迷える沖縄人~after'72~』は沖縄版の『12人の怒れる男』だ。1972年、沖縄の本土復帰を控えたある日、新聞社に集まった9人が沖縄の「いま」について語りあう。

2015年の初演以来再演を重ね、この夏、札幌演劇シーズンにプログラム・ディレクターズ・チョイスとしてやってきた。そもそもこの劇は、演劇シーズン2015年夏のELEVEN NINES『12人の怒れる男』を観て着想を得たというから、北と南でなにか大きな輪が繋がった感がある。

僕は舞台『12人の怒れる男』を3回観て、映画の『十二人の怒れる男』もたぶん100回くらい観てる。一室に集められた人たちが、共通の目的に向かってひたすら議論するというフォーマットは鉄板。やっぱり面白い。

『12人~』は、殺人罪に問われている被告を陪審員が議論して有罪か無罪か決めるという点で観る者をぐいぐい引っぱっていくのだけど、『9人の迷える沖縄人』は違う。議論はするが投票はしない。

そもそもこの物語において、裁かれるのはだれ(なに)なんだろう。いや、裁いてもいないんだ。沖縄について、当事者である自分たちが思いを語り、そして相手の意見を聞く。結論を出すための討論劇ではなく、自己の思いと他者の思いを知り、沖縄のことを深く考える対話劇だ。

『12人~』では、被告と関係ない人たちが討論し、そのなかで自分というものがしだいにあぶり出されていくという仕掛けだった。だけど『9人の迷える沖縄人』の登場人物はズバリ当事者たちだ。

他人事ではない生の対話がここにある。だからこそ白熱するし、近すぎるがゆえの沈黙も生み出す。痛切さが心に響く。

そういった意味で『12人~』よりも直接的な話になるのだけど、ひとつ工夫がある。劇を観た人にはわかるのだけど、このお芝居は多層的な構造になっている。そのことによってストレートな対話劇ではなく二重三重に思いが重なっていく。

簡単には割り切れない人の心や、揺れ動く(揺れ動かされてきた)沖縄の現状がこの構造によって可視化、舞台化される。よりドラマチックに、よりスリリングに。

いっぽうでこの舞台はシリアスだけでなく、笑ったり楽しんだり、お芝居が持つ明るさを合わせ持つ。

沖縄から直送された本場の「うちなーぐち」は、独特のリズムと抑揚でまるで歌っているかのようだ。はじめはポカンとしてしまうけど語り口にどんどん乗せられていく。

役者の個性、テンポも札幌のものとはちがう。「復帰論者」役の犬飼憲子(芝居屋いぬかい)を筆頭にオフビートでリラックスした笑いがあり、「文化人」役の宇座仁一(宮城元流能史之会)のおおらかな「陽」性はやっぱり太陽が照りつける地域の人じゃないと出せない魅力があるんだなあと寒い国の人間は勝手に思ってしまった。

シリアスな議題のなかにあってほのぼのとする人間性や情緒、豊かな文化性を感じられたすばらしいお芝居。暑い8月の琴似、コンカリーニョの舞台の上はまさしく沖縄だった。2000キロ以上離れた沖縄が、こんなにも近しく感じられてうれしかった。

島崎町(しまざきまち)
作家・シナリオライター。近著『ぐるりと』(ロクリン社)は本を回しながら読むミステリーファンタジー。現在YouTubeで変わった本やマンガ、絵本など紹介しています! https://www.youtube.com/channel/UCQUnB2d0O-lGA82QzFylIZg
俳人、文芸評論家 五十嵐秀彦さん

今回のシーズンではプログラム・ディレクターズ・チョイスとして初めて道外の劇団・作品が招待上演された。
おきなわ芸術文化の箱「9人の迷える沖縄人~after’72~」。
作者の安和学治さんが2015年に札幌演劇シーズンで上演されたイレブンナイン公演「12人の怒れる男」を観て、そこからインスピレーションを得て作った作品という。
コンカリーニョに入ると、3方から客席に囲まれた舞台がある。確かにこれは「12人の怒れる男」の舞台とよく似ていた。
役者のみなさん全員、沖縄から今回札幌にやってきての上演である。

舞台は新聞社の中の会議室のような部屋。大きなテーブルと9脚の椅子。
シモテに扇風機とお茶とか置かれた卓があり、カミテに窓枠がひとつ。(この舞台の作り方にシモテカミテがあるかは疑問だが)
劇が始まる。
沖縄本土復帰を沖縄の人たちがどう思い考えているか、それをさまざまな人たちを集めて意見交換をし、新聞で記事にするということが趣旨の会合らしい。
有識者(学者)、復帰派、独立派、沖縄芝居の役者、主婦、若者、老婆、沖縄在住本土人、そして司会の記者。
復帰の年を舞台にして、議論がたたかわされるのだが。

有識者が復帰にいたる日米の交渉経過などを説明し、復帰派が本土並みの沖縄にしなければならないと語り、独立派は琉球独立・貿易立国を主張し、本土人は基地の島という現状から利益を得ることの重要性を語り、主婦は本土並みの教育の実現を望む。
芝居役者と老婆が語ることはホンモノのうちなーぐち(沖縄方言 沖縄語といってもいいぐらい)で、なにを言っているのかわからず、復帰に賛成なのか反対なのかも(観客には)まるでわからない。
賛成、反対、無関心、それぞれにそれなりの筋が通っていながら、みなどれも真実味に欠けている。何を言っているのかわからない沖縄芝居役者と老婆の存在がとても重要に思えてくる。そこに沖縄人の本音が響いているように聞こえた。

ところがこの芝居は実は二重構造になっていて、劇中劇の手法で現代とつながっていた。そこに9人それぞれが復帰の年の問題と現代の問題とを背景に持ちながら「ふたつの劇」として進行してゆく。
登場人物がそれぞれ辛い思いを心に持ちながら、もどかしいほど噛み合わない会話を続け、突然声を荒げて建前の考えを切り裂いてしまう。自分の力ではどうにもならない圧倒的な矛盾の存在が暗転の場での戦闘機の爆音に象徴される。
密度の高い会話劇だ。タイミングのいい笑いも絶妙だった。

見終わって、あまりにたくさんのことを考えさせられてしまった。ここに何をどこから書けばいいのか困惑している。
1972年、米国の軍政下にあった沖縄が日本に復帰した。
いまの若い人たちにとっては沖縄は疑いもなく日本だし、本土復帰も教科書的な知識にすぎないだろう。ひょっとすると日本史の中で昭和は時間が足りなくて割愛され学校でも教わっていない、あるいはサァ〜と流されて終わった、なんてこともあるのかもしれない。
私は復帰のその時、高校生だった。
沖縄本土復帰のことで日本中が大荒れだったことを、いまも覚えている。
そのころのいろんなことがいっぺんにフラッシュバックするようで、終始複雑な思いでこの芝居を見続けた。
日米安保と一体化された「復帰」は、沖縄だけではなく日本全体を米国の軍事戦略の最前線にすることであり絶対に許されないという主張が吹き荒れ、当時の私もそのとおりだと思っていたものだ。
テレビに映し出された復帰式典での佐藤栄作の万歳三唱をにがにがしく見ていたこと。
どんなに反対しても大きな力の前では無力だということ。
それでも闘わねばならない。と、十代の私は拳を握りしめていた。
しかしそんな私は、1974年当時、沖縄に暮らす人たちのことを考えていただろうか。
復帰後も基地があることで沖縄に生きるひとびとが負わされている労苦について、自分のこととして考えることをしてきただろうか。
現在の普天間の問題も、安易に作り上げられた対立構造の上で知ったようなことを言いながら、所詮傍観者でしかないのではないのか。
図式的な対立や、論理化された将来像などが、実はなにひとつ人々の「生きる」という現実に寄り添っていないことを暴いてゆく舞台上の会話。
そのひとつひとつが、傍観者であり続けた私自身への告発にも思えた。

アフタートークもあった。その中、客席からの質問に答える形で、舞台で演じられたこうした議論は現実の沖縄ではタブーに近い、との説明があった。だからこそこの作品を書いたのだと。
今回沖縄の人が作った沖縄の人のための作品が、アフタートークで言われたように沖縄を飛び出して位置的には日本の真逆な場所まで来て演じられた。
南の端から北の端へ、ということだろう。
そんな話を聞きながら、中央があるから端という考えも生まれるとも思った。
日本には中央がある。それが東京なのか関西なのかは、政治経済で見るか、文化で見るかで違うが、いずれにせよ全国民が中央と呼ぶ「存在」がある。中央は中央の考え方で全ての地域を平準化しようとする。
そのとき、平準化しきれない土地が生まれる。
それを「辺境」と呼ぶとすれば、沖縄と北海道は辺境だろう。
両方とも、「内地」とは違う問題を抱えている。「内地」とは違う文化を持っている。
演劇シーズンが初めて道外から劇団・作品を呼んだその一番手が沖縄であったことは、すばらしいことだ。北海道と沖縄の演劇文化が互いに握手したとき、私たちの中にある「中央」がゆらぐかもしれない。そうなるべきだとも思う。

沖縄からやってきてくれた作家、演出家、役者、スタッフの方々、そしてこの作品を選んだ斎藤歩さん、皆さんに勇気をもらった。こころから感謝。
なんだか希望の湧いてくる演劇界のすばらしい第一歩を目撃できたような気がした。

五十嵐秀彦(いがらし ひでひこ)
1956年生れ。札幌市在住。俳人、文芸評論家。
俳句集団【itak】代表。現代俳句協会理事。
北海道文学館理事。
北海道新聞「新・北のうた暦」(共同執筆)、「道内文学時評」執筆。
朝日新聞道内版「俳壇」選者。
月刊「俳句」(角川書店)「令和俳壇」選者。
著書 句集『無量』(書肆アルス)
1995年 黒田杏子、深谷雄大に師事。
2003年 第23回現代俳句評論賞受賞。
2013年 北海道文化奨励賞受賞。
2020年 藍生大賞受賞。
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