真心を尽くして作った贈り物をいただいたような、幸福感に満ちた舞台だった。2019年度のTGRで大賞を受賞した、RED KING CRAB公演の「ありあけ」。
「ありあけ」とは、まだ月があるのに夜が明ける空の様子をいう。秋の季語でもある。いつも私たちの頭上に浮かぶ月は、秋の澄んだ空気の中ではいっそう輝きを増す。外は氷点下の札幌の劇場に、ぽっかりと浮かんだ月が観客をあたたかく照らした。
ものづくりが栄えていた戦後の札幌創成川東を舞台に、おもちゃ作りを生業にする「玩具製作所ありあけ」で働く人々の物語。おもちゃ開発を担当する青年とその仲間たちの葛藤と成長が丁寧に描かれていた。
印象的なのは、どの役者もまっすぐな眼差しであること。役柄もそうさせているのだろうが、それぞれが誠実に舞台に立っている姿に胸を打たれた。声の響きや息づかい、人間の熱を感じるのは劇場でしか味わえない醍醐味であると改めて感じた。
また、物語の中に出てくる「ある人」の存在を感じさせる演出が巧妙。「ある人」に関して多くは語られず、それぞれの何気ない言葉や視線で、その人物の輪郭を浮かび上がらせている。全てを言い尽くさず、想像の余地を観客に委ねさせてくれたことが作品の大きな魅力になっていたと思う。
物語の重要なシーンではないが、困惑の流れの中で不意に生じるお茶と和菓子のシーンが好きだった。ベテランの職人が青年に不器用ながらも思いやりをもって接してくれるのが良い。上司も同僚もいない孤独な稼業である私は、青年にやや嫉妬した…。
薪ストーブ、真空管ラジオ、ブリキのおもちゃなど、昭和20年代を感じさせる舞台セットや小物は博物館さながらの充実ぶりで細かなところも見ていて楽しい。青年がペンを走らせていた半透明の紙は初めて見たが、当時の職人が使っていた紙なのだろうか。(ご存じの方がいらっしゃいましたら、こっそり教えてください。)
丹精を込めて丁寧に作られた舞台は観れるようで観れないものだと思う。この良さはオンラインでは伝わらない、是非劇場で。ものづくりの担い手である劇団の矜持に触れ、私もまたものづくりの端くれとして襟を正す思いだった。
連日劇場に足を運べる喜びを噛み締めながら、シアターZOOの階段を降りて中へ入ると、そこは昭和20年代の札幌だった。
RED KING CRABの「ありあけ」は、開拓期より工業の拠点として札幌を支えたものづくりの町「創成川東」に建つ「玩具製作所ありあけ」が舞台。
細部までこだわり抜いた見事な舞台セットがとても素晴らしくて、眺めているだけで胸が高まってくる。
物語は戦地から戻ってこない前工場長「どんぐり」の代わりに、新しい工場長がやってくる、という会話から始まる。
社員や地域から愛されていたというどんぐり工場長だが、その姿が終始見えないのが良い(影として印象的に出てくる場面はあるけれど)。登場人物の会話をもとに、あれこれ想像をめぐらすことができて、とても楽しい。
経費の削減に躍起になる女性工場長くるみと、容赦ないコストカットに反発を覚える古株の社員やパート陣、自分の存在価値を問う新人社員。対立しているようでいて、目標は同じく「工場再建」。葛藤を繰り返しながらも、やがて心を通わせる人間ドラマが心にじんわりと染み渡る。登場人物すべてが愛しく、一番の若手社員「とんぼ」と最年長社員の「ななかまど」のやり取りがまた不器用で、すごく良い。
私自身、一度も見たことのない「あの頃の札幌」。
「ありあけ」はその時代に生きた人たちの思いや、彼らに対する深い尊敬が込められた、あたたかくて優しい物語だ。
そして時代背景をしっかりと活かし、当時を知る人の言葉を大切に取り入れた丁寧さは「ありあけ」の世界に説得力を与えてくれる。この玩具製作所がかつて実在していて、どこかで見たモノクロのアルバムの片隅に、彼らの姿を見かけた気にすらなってくる。
人と関わる機会が減っている昨今。
実は殺伐・混沌とした物語が好みな私だけれど、こんなにもあたたかく、優しい人たちに囲まれる物語は、疲れた心をならし、存分に癒してくれた。
そして、時にはぶつかり合いながらも新しいものを受け入れ、進んでいこうとする「玩具製作所ありあけ」の社員たちの姿に、「あの頃はよかった」と懐かしむだけではいけない、と背中をバシンと叩かれるような力をもらった。何かと立ち往生しがちな今だけれど、しっかり英気を養い、マスクの下で清々しい笑みを浮かべ、力強い足取りで劇場を後にした人は、私だけではないはずだ。
昭和ユートピアだ。
汗と涙とあたたかい人の思い。いつかあったかもしれない、心のかよった交流が舞台の上にある。もしもふらっと劇場に入って、思いがけずこんなお芝居に出会えば、お、いい芝居を観たと、あたたかい気持ちになれる、そんな舞台。
RED KING CRAB『ありあけ』。横文字の劇団名から勝手に、オシャレなものを作ってるんだろうな、などと思っていたけど全然違った。むしろ人間同士の思いを描こうとする愚直な劇団だった。
終戦後のおそらく札幌を舞台にしたドラマ。「ありあけ玩具製作所」は前工場長が戦争から帰ってこず、女性の新工場長を迎えることになる。これがいまでいうコストカッターで、赤字がつづく工場から人手や賃金を切ろうとする。もちろんそれは社員やパートのおばちゃんたちとの軋轢を生む。そうしてある日、大きな事件が起きて……。
本当に悪い人などいない、心の奥底のどこかには善なる部分があって、それがきっとなんとかしてくれる。そういう思いが劇全体に通底していて、最後までぶれることはない。仕事を通じて心を通わせる人たちの物語は、劇場を出た観客の、冬の寒い帰り道をあたたかくしてくれる。
昭和ユートピアだと冒頭書いた。ユートピアという言葉はそもそもの由来からして批判的な意味をふくむのだけど、この劇は僕にとってはすこし甘口だった。登場人物を観て、ずいぶんみんな優しいな、と思ってしまったのは、現代のあまりの寒々しさゆえだろうか。だとしたら、僕のスレた心にこの劇のやさしさが塗られることで、すこしは傷が癒えているのかもしれない。いまどきめずらしいくらいの「あたたかさ」が、帰り道の僕をあたためてくれていたのかも。
そうだ、帰り道、僕は考えていたんだ。あの劇の設定が、もしも現代ならどうだっただろうと。あのストーリーのまま展開できただろうか。コストカッターの工場長はまったくいまでも通用するけど、社員たちとどうやって心をかよわせるのだろう。玩具会社はスマホ会社とかになるのだろうか? おもちゃを作る喜びはスマホ作りに置き換え可能なんだろうか。75年前のあたたかみは、現代にはもうないんだろうか。あるとしたらそれはいま、どこにあるんだろう。
気温は1度。あまり寒さを感じない道を、歩いて帰った。そうだ、やっぱりすこし、あたたかかったんだ。