ゲキカン!


ライター・イラストレーター 悦永弘美さん

劇団words of heartsの「ニュートンの触媒」は、世界初の合成繊維「ナイロン66」を発明した早逝の天才科学者、ウォーレス・カロザースを描いた作品。1930年代のアメリカを舞台に、当時の時代性も含みながら、物語は一つの結末に向かって進んでいく。

今作の大きな見どころの一つはパンフレットにもあるけれど、やはり舞台上で実際にナイロン66を合成する場面。
劇場の視線をその一点に集めて、観客が固唾を飲んで見守る中、美しく輝くナイロンがガラス容器からゆっくりと取り出されるあの緊張と高揚。言葉にならない歓びに全身を奮わせるウォーレスの姿。ライブならではのこの体験は、これからも忘れることはないだろう。

日系アメリカ人の家政夫、グレッグの存在も胸に迫る。
根深い人種差別は決して過去のものではなく、現代社会のそこかしこにある現在進行形のものと何ら変わりはない。
そしてグレッグとウォーレスの関わりは、今作のあたたかさの一つだ。

「天才科学者の栄光と挫折」という、私が当初描いていた物語とは手触りが違った。
天才を描く作品に共感することは難しい。それは自分が果てしない凡人で、天才ゆえの苦悩は想像はできても、丸ごと理解することはできないからだ。
けれど、今作は違う。
人付き合いの難しさ、他者への嫉妬、自己否定。
ウォーレスは紛れもない天才なのだけれど、彼の抱える悩みのいくつかは、見覚えのあるものだ。そして、自分の内面に図らずも鉢合わせしてしまうのだ。

どうか、ウォーレスが孤独にならないように。
事実を元にした物語だから、結末は変わらないのだけれど、少しずつ、少しずつ自分をすり減らし、孤独に閉じ込められていくその様子を見ていると、そう願わずにはいられない。

劇中、ウォーレスがグレッグに科学について語るシーンがある。
「科学とは起こった現象を観察し、その理由を考える学問だ」
今作は、ウォーレスの辿った結末に目を逸らさずに真摯に向き合い、その理由を考え、想像し、作り出した物語だ。
どうしようもなく切ない。けれど、ウォーレスの人生を描く作り手の視線の中には、確かなあたたかさがあった。

悦永弘美(えつながひろみ)
1981年、小樽市出身。東京の音楽雑誌の編集者を経て、現在はフリーのライター兼イラストレーターとして細々活動中。観劇とは全く無縁の日々を送っていたものの、数年前に演劇シーズンを取材したことをきっかけに、札幌の演劇を少しずつ観るようになる。が、まだまだ観劇レベルはど素人。2015年、仲間たちとともに短編映画を制作(脚本を担当)。故郷小樽のショートフィルムコンテストに出品し、最優秀賞を受賞したことが小さな自慢。

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俳人、文芸評論家 五十嵐秀彦さん

「札幌演劇シーズン2021・夏」から「ゲキカン!」を初めて書かせてもらうことになり、まずは「私の名前は、山田タロス。」に始まり正直言って事態がよく呑み込めないまま2回目を書こうとしている。
ぼくらの世代(ちなみに60代)の多くは若い頃に、寺山修司の「天井桟敷」や佐藤信の「68/71黒色テント」などに激しく揺さぶられ、そして地べたに落とされた経験を持っている。
ひょっとしたら地べたに落ちっぱなしで、「演劇なんてさぁ」とか言ってしまっているかもしれない。
でも時代は大きく変化して、かつてあったある種の敗北感などは微塵もない世代が演劇に強い力を取り戻させている。それは演劇シーズンをひとつでも見に来れば手に取るように分かるはずだ。
2012年から始まったこの演劇イベントが、演劇好きの熱い支持でコロナ禍の今年の夏もみごとに開催されていることに、演劇の再生そのものを目撃している感を強くしている。

ぼくは寺山修司に憧れた世代のひとりとして、この「ゲキカン!」を書く。意識しなくてもそうならざるを得ない。
しかしこだわりなどはない。かつて夢見た「演劇の未来」とは違っていても、生き生きと今を耕す者たちの夢見る未来というものをぼくは見ているのだろう。
そんな立ち位置で、気負わずに実際に感じたことをそのまま率直に書いていこうと思っている。

で、今回は劇団words of heartsの「ニュートンの触媒」。その初日を観た。
「私の名前は、山田タロス。」の冒険的なライブ感とは対照的な、かっちりと組み立てられた舞台であった。
主人公はアメリカの実在の科学者。ウォーレス・カローザス。
ナイロンの発明者として知られているが、同時に発明者の栄光を知ることなく自ら命を絶った悲劇の人である。
実在の人物をそのまま主人公としているのだから、すでに彼の悲劇というのは観客にとって既知のものであり、そこにこの物語の困難さがきっとあるのに違いない。

カローザスの死という一点に向かって物語は進められる。

そこに当時のアメリカ社会が、典型的な人物やさまざまなエピソードを通し背景として描かれてゆく。
1929年の大恐慌のあとの厳しいビジネス状況、そしてひたひたと近づいて来る戦争の気配と不安。日系人を登場させることで黄禍論の吹き荒れた時代でもあったことを観客に思い出させる。
そんな時代をひとりの天才がどう生きたか。あるいはどう生きざるをえなかったか。なぜ死を選択してしまうのか。

天才を都合のよい型にはめようとする組織。すぐに得られる成果を期待する企業に対し、研究そのものにしか価値を見いだせない天才。
文字通りの天才を主人公に据えながら、この確執は今の日本のどこの組織や企業でもいつも起きている確執であることを知らされる。
人嫌いで世渡りの下手な、苦悩する人間像に観客は共感してゆく。カローザスの内面を演じる「アナザー」という登場人物の存在が天才の内にひそむ当たり前の人間の一面を表現し、彼の苦悩が身近なものとして受け止められるように物語は構成されていた。

観客は次第に、背景となっている戦前のアメリカ社会と現代日本の持つ矛盾の共通性に気づかされてゆく。
見終わった後、おそらく誰もが身近にいる「カローザス」の誰彼を思い、また自分の中にもいる「カローザス」に気づかされてしまうことだろう。

疎外されてゆく個人の姿を真っ正面から描き出した力作、力演だ。

五十嵐秀彦(いがらし ひでひこ)
1956年生れ。札幌市在住。俳人、文芸評論家。
俳句集団【itak】代表。現代俳句協会理事。
北海道文学館理事。
北海道新聞「新・北のうた暦」(共同執筆)、「道内文学時評」執筆。
朝日新聞道内版「俳壇」選者。
月刊「俳句」(角川書店)「令和俳壇」選者。
著書 句集『無量』(書肆アルス)
1995年 黒田杏子、深谷雄大に師事。
2003年 第23回現代俳句評論賞受賞。
2013年 北海道文化奨励賞受賞。
2020年 藍生大賞受賞。

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作家 島崎町さん


混ざり合う物語だ。

劇中、化学者であるカロザースがふたつの薬品を混ぜる。舞台は静寂に包まれ、客席もぐーっと引きこまれる。カロザースがビーカーの中をかき混ぜていくと、合成された繊維がみるみる生みだされていく。

彼の夢、追い求めていたものがついに叶った。そのとき、観客は歴史を体感する。

彼が作った世界初の合成繊維、ナイロン66は世界を変えた。劇団words of hearts『ニュートンの触媒』は、ナイロン66を作りだした薬品のように、混ざり合う舞台だ。

カロザースはときおりもうひとりの自分と会話する。自分のうちなる声とカロザースの声、ふたつは舞台で混ざり合う。また、彼はニュートンを敬愛している。しすぎるあまり、ニュートンに自身を重ね、混ざり合おうとする。

カロザースは偏狭な性格で、自宅に研究室をかまえ、会社には行かず、ほかの研究者と混ざろうとしない。それが物語後半で彼の人生を変えてしまう。そんな彼と心を通わすのが使用人の日系人……アメリカに混ざっている日本人だ。

そしてこの劇自体が、ナイロン66を作るまでの明るい前半と、それ以降の苦悩する後半が混ざり合うことで、カロザースという人間の光と影を描き出す。

欲を言えば、もっとストーリーの展開があってもよかった。史実をもとにしているので架空の出来事をどのくらい入れるかは悩みどころだが、けっきょくどんなに忠実に描いたところでフィクションだ。だとしたらもっとこの世界を創造して、新たなるストーリーを生みだし、この舞台ならではの飛躍があってもよかったのではと思う。

精緻な、一枚一枚しっかり敷き詰められた作品であることは間違いない。そこに気概も感じた。だからこそ、そのひとつひとつが混ざり合い、新しいなにかが生みだされる余地もあるように思えた。

創作は難しい。カロザースが合成繊維の創作に苦悩する様は心を打つ。研究者だけでなく、演劇や物語づくりにたずさわる人も共感するだろう。いや、あらゆる仕事、あらゆる人生にも共通しているのかもしれない。そういった意味でこの物語は普遍的なんだ。

島崎町(しまざきまち)
作家・シナリオライター。近著『ぐるりと』(ロクリン社)は本を回しながら読む不思議な冒険小説。YouTube「比嘉智康と島崎町のデジタルタトゥー」で楽しい「変な本」を紹介中! https://www.youtube.com/channel/UCQUnB2d0O-lGA82QzFylIZg

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漫画家 田島ハルさん

シアターZOOでのと☆えれき公演「私の名前は、山田タロス。」が千秋楽を迎えた一方で、劇場のコンカリーニョでは劇団words of hearts公演「ニュートンの触媒」初日の幕が上がった。

開演前、オールディーズのジャズが流れる会場でパンフレットを開く。
私はてっきり物理学者ニュートンの伝記的舞台だとばかり思い込んでいたが、全く別人の実在した科学者の話だそうだ。
そして、「触媒」とは。聞きなれない言葉なのでスマホでググる。
「触媒とは、化学反応においてそのもの自身は変化しないが、反応速度を変化させる物質」
うーん、わかったようなわからんような。
「触媒とは わかりやすく」と検索しかけたところで会場が徐々に暗くなる。だ、大丈夫かしら…ついてゆけるかしら…。無知の不安をよそに舞台は始まった。

物語の舞台は1930年代のアメリカ。合成繊維「ナイロン66」の開発をした科学者ウォーレス・カロザースが主人公だ。
ナイロンといえば歯ブラシやストッキングに使われている今となっては身近な素材であるが、当時は世界を揺るがす大発明。世界恐慌を救い化学工学の進歩を促進した素材でもある。
その偉業を成し遂げた天才科学者のサクセスストーリー…ではない。

この作品は、苦難の人生を歩んだウォーレスに捧げる美しいレクイエムだった。

ウォーレスはその飛び抜けた才能で上司からの評価も高く、美しい婚約者や親しい仲間もおり、一見すると順風満帆。
しかし、気難しい性格と研究熱心が災いして身近な人とのトラブルをしばしば起こす。

人の話を聞かない。
人との約束をやぶる。
キレると自宅の研究室にこもる。…エトセトラ。

うう、近寄りたくないなあ、この人。
ハタからみると自己中心的で、お世辞にも「生き方が上手ですね」とは言えない。
周囲との関わりの中で生じる、妬み、嫉み、焦躁、執着、虚栄…あらゆる思いが渦を巻き彼を孤独にさせる。彼が持つ人間的な不器用さ、人間臭さは、図らずも親しみを持てる部分だった。天才と謳われていても、愛すべき普通の人だ。
どちらかといえば私も生き方下手の人であるので、色々と耳が痛かった。悪気は無いんですよ、不器用なだけなんですホント…と彼を庇いたくなる。

印象的だったのは、舞台の半分に設けられたウォーレスの研究室。清潔な机に規則正しく並ぶ実験器具と本、そしてニュートンの肖像画。照明が雲間から差す太陽の光のようにそれらを照らす様は、美しく、儚い。研究に陶酔できる場であり、時には外部との結界になり、彼の内面世界も露になる。
研究室では実際にナイロンを合成する場面もあり、ただならぬ緊張感が会場を包む。思わず固唾を飲んで見守る。
化学反応が起きた後ウォーレスが放つ言葉、私はヒヤリとした。
研究室に、日矢が差す。

果たして、タイトルの「ニュートンの触媒」の意味とは。今作の投げ掛けに、観客は何を思うだろう。光、色、熱、匂い…作品との化学反応により何が生じるかは劇場へ足を運び試してみてほしい。

作・演出は劇団代表の町田誠也さん。札幌演劇シーズン2021冬のレパートリー作品、「空の村号」の主人公の少年を演じた姿が記憶に新しい。役者としても作家としても丁寧で実直、あたたかい眼差しで作品を届けている方だと思う。

田島ハル
札幌生まれ札幌在住。漫画家、イラストレーター、俳人、文筆家、小樽ふれあい観光大使。
2007年に集英社で漫画家デビュー。
著書に「モロッコ100丁目」(集英社)、「旦那様はオヤジ様」(日本文芸社)他。
朝日新聞道内版のイラストとコラム「田島ハルのくいしん簿」、北海道新聞の4コマ漫画「道北レジェンド!」、角川「俳句」の俳画とエッセイ「田島ハルの妄想俳画」など連載中。
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