ゲキカン!


ライター・イラストレーター 悦永弘美さん

 座席に腰を下ろし、まだ誰もいない舞台を見て、胸がぐぐっと熱くなってしまいました。

「札幌演劇シーズン2020-夏」の幕開け2日前。
コンカリーニョで行われたyhs「ヘリクツイレブン」のゲネプロには、間引かれた客席に、限られた人数の関係者が座っていました。 
 会場を待つ間は、前後の人としっかり距離を確保。フェイスシールドをしたスタッフの皆さんに検温をしてもらい、密にならないように迂回しながら進む。チケットは自分で切り、手指の消毒(ペダルを踏んで行うのでポンプ部分を不特定多数の方が触る心配も不要)、靴の消毒も行い、客席へ。そして、マスクを外すことなく開演を待つ。
 1年前は、想像もしなかった観劇スタイルです。
 劇団の皆さん、劇場の皆さん、札幌演劇シーズンを取り巻く全ての関係者の皆さんが、出来る限りの対策を丁寧に取り組み、安心して観劇ができる環境を目指してきたのだろうな、と思うとどうしても目の奥が熱くなってしまうのです。

 こうして、開演前から感慨に耽っていた私でしたが、いざ幕が上がると、もう大笑いでした。マスクの下で、クスクス忍び笑いをしながら(ゲネプロなので本来のバカ笑いを少し遠慮してしまった・・・)、「やっぱり劇場での観劇は最高である!」ということをひたすら実感。yhs「ヘリクツイレブン」は、この混沌とした時代に行われる演劇シーズンのオープニングにふさわしい、爽やかさと圧倒的な面白さで、心を晴れやかにしてくれる作品です。

 町役場の職員たちが、町一番の大企業を相手に行う草サッカーは、試合にうまく「負ける」ことを目標とした、いわゆる「接待サッカー」。毎年恒例の接待サッカーに対して、突如「勝つためのサッカーがしたい」と新人職員が一石を投じ、物語は始まります。
 「絶対に負けなくてはならない」先輩職員たちが、ヘリクツを重ねて説得を試みるも、さらなるヘリクツで立ち向かう新人職員。この対立の中で繰り広げられる舌戦が最高に楽しい!
 時間に正確にもほどがある人(最終形態は必見です)、バナナへの愛情と信頼感がヤバイ人、悪そうな男が好き過ぎる女子、お腹を壊し過ぎる人、など連ねるだけでも吹き出してしまうクセが強め(だけど職場の中にいそう)な先輩職員たちも皆さん素敵に面白い!
 途中、換気のために10分間の休憩が設けられているのですが、休憩への入りもキャラクターの仕組みを生かした巧みな演出。ラストのリフティングチャレンジは、まさに生の演劇ならではのドキハラ感だし、あぁ、やっぱりライブは最高だよなー!と終演後は何度も叫びたくなりました(マスクはしたままで)。リフティング、公演中に100回到達なるか!?

 この数ヶ月。私たちは当たり前だったものをいくつも失い、悔しい思いを何度も重ねてきました。yhsの「ヘリクツイレブン」には、そんな私たちを前向きにしてくれる力があります。「大丈夫、時間がかかっても取り戻せるものだってあるよ!」と、力強い前向きなパスを受け取った私の足取りは、数ヶ月ぶりに随分と軽いものになりました。

悦永弘美(えつながひろみ)
1981年、小樽市出身。東京の音楽雑誌の編集者を経て、現在はフリーのライター兼イラストレーターとして細々活動中。観劇とは全く無縁の日々を送っていたものの、数年前に演劇シーズンを取材したことをきっかけに、札幌の演劇を少しずつ観るようになる。が、まだまだ観劇レベルはど素人。2015年、仲間たちとともに短編映画を制作(脚本を担当)。故郷小樽のショートフィルムコンテストに出品し、最優秀賞を受賞したことが小さな自慢。
漫画家 田島ハルさん

まず、「ヘリクツ」って何だろう。

意味を調べれば、筋道の立たない理屈。こじつけの議論。と出る。

例えば、自分に非があるのに素直に謝罪せず、責任逃れのための言葉を重ねたり、他人に責任転嫁をしようとする人がヘリクツと言われるのだろう。漢字にすると「屁理屈」。理屈の上に屁がついて、なんとも嫌~な感じだ。そんなめんどくさいヘリクツに関わらないように、自分自身がならないように、「空気を読む」のが大人の暗黙のルールとも言える。

yhsの舞台のタイトルは「ヘリクツイレブン」。ヘリクツを言う大人が11人も出てくる、ただならぬ雰囲気が漂う。この物語は、めんどくさいけど何故か愛しい、駄々を捏ねまくる大人気ない大人の青春群像劇だ。

物語は夏。高校の空き教室に草サッカーの練習試合のために集まった町役場の職員達。そこで全員に配られたのは、サッカーの試合に負けるためのシナリオ。試合の相手は町一番の大企業で、この試合はいわゆる「接待サッカー」である。しかし、その試合に異議を唱える、「空気の読めない」新人職員が現れる。同僚らが新人を説得しようとするが…。

この舞台の見どころは、言葉の掛け合いだろう。ヘリクツにヘリクツの応酬で、まるでサッカーの華麗なパス回し。小気味よいテンポで軽快に物語が進んでゆき、やがて一人の正義が周りを覆していくさまは、密室劇の金字塔「十二人の怒れる男」に通じるような感動さえある。とは言うものの、公務員らしからぬキワモノのキャラが勢揃いのコメディなので、全く重々しくならないところが気楽で良い。ヘリクツを捏ねていても何故か憎めないのは、どの人物も根幹は懸命に生きているというひたむきさだ。

そして、もう一つの見どころは、舞台の終盤にある「リフティング対決」。二人がボールを蹴り上げ続けるリフティングの回数を競うもので、その場面では劇場がそれまでとは異なる緊張感と笑いに包まれた。サッカー経験者であるという設定上、役者にはいくばくかのプレッシャーがのしかかっているはずだろう。

余談だが、劇場で俳優の小林エレキに会った。観劇後の立ち話の中で、「能登英輔はリフティング100回できる。」と証言していたので、観客は大いに期待しても宜しいかと思う。
(私が観た回では、30回ほどだったが…。)

「舞台は生きもの」と言う通り、舞台には毎回異なる驚きや感動がある。
未だ先行き不透明な世の中ではあるが、札幌演劇シーズン2020-夏は開催の火蓋をきった。劇場に足を運べる方は、感染対策と体調を万全にして、心ゆくままに生の舞台を楽しんでほしいと切に願う。

田島ハル
札幌生まれ札幌在住。漫画家、イラストレーター、俳人、文筆家、小樽ふれあい観光大使。
2007年に集英社で漫画家デビュー。
著書に「モロッコ100丁目」(集英社)、「旦那様はオヤジ様」(日本文芸社)、「北海道の法則デラックス」(共著・泰文堂)他。
朝日新聞夕刊道内版に北海道の"食"をテーマにしたイラストとコラム「田島ハルのくいしん簿」連載中。毎週水曜日掲載。
角川「俳句」では俳画の連載も。
twitterInstagram
作家 島崎町(しまざきまち)さん

演劇は逆境だ。かつてこれほどまずい状況になったことがあるだろうか。

しかし、こういうときこそ本質が見える。これまでやっていたあれこれが制限されてなお、舞台をやろう、いま自分たちができる最大限のことをしよう、そういうふうにして行われる公演からは枝葉がなくなり、本当にやりたかったこと、やるべきことが浮き彫りになる。

札幌演劇シーズン2020夏、yhs『ヘリクツイレブン』。初日2日前のゲネを観させてもらった。札幌を代表する劇団、yhsが、コロナ禍でどんな舞台を作るのか。期待と不安両方あったが、1時間45分、たっぷり観劇して、変わることのない笑いへの姿勢、エンターテイメントを貫き通す確たる意思を感じた。

密とやらを避け、劇場を避け、演劇と観客は多くのものを失った。しかし、舞台が失ったものは舞台でしか取り戻せない。yhsはいまできる最高の舞台、最良の内容でそれを証明しようとしている。

『ヘリクツイレブン』は2013年の演劇シーズンでも再演されていた演目。yhsの笑えて楽しい作品の代表作だ。わざと負ける接待サッカーに反旗をひるがえしたひとりの男を発端に、その輪がしだいに広がっていく。

つまりこれは『12人の怒れる男』の爆笑サッカー版という……書いていて自分でも変な字面だなと思うけど、実際そうだから仕方がない。おなじ演劇シーズンのレパートリー作品、ELEVEN NINES『12人の怒れる男』同様、個性派役者たちが葛藤しセリフで応酬し、しかも扇の要として中心に能登英輔がいる構図まで期せずしておなじ。

そして、笑いのオブラートに包まれたテーマのなかに、『12人の怒れる男』同様、熱いメッセージが込められている。これでいいのか、このままでいいのか、失ってはいけない本当に大切なものがあるんじゃないか。こんな時期だから、余計にいまの状況と重ね合わせてしまう。いまを生きる同時代の観客と、その心に共鳴するだろう。

前述のとおり、僕はゲネを観た。客席には関係者しかいないから、本来笑いが起こるところでも量は少ない。僕は想像する。完璧なコロナ対策がほどこされた劇場に、安心してお客がやってくる。適切に配置され距離がとられた席に座り、劇場は埋まる。たくさんの笑い声が起こり、多くの拍手に包まれる。

これが舞台だ。観客なくして成立しない。『ヘリクツイレブン』は、あなたの笑いと感動をもって完成する。

島崎町(しまざきまち)
1977年、札幌生まれ。島崎友樹名義でシナリオライターとして活動し、主な作品に『討ち入りだョ!全員集合』(2005年)、『桃山おにぎり店』(2008年)、『茜色クラリネット』(2014年)など。2012年『学校の12の怖い話』で作家デビュー。2017年に長編小説『ぐるりと』をロクリン社より刊行。縦書きと横書きが同居する斬新な本として話題に。
pagetop