ゲキカン!


作家 島崎町(しまざきまち)さん

小さな一間(ひとま)、その空間に答えがあるのかもしれない。

札幌座『フレップの花、咲く頃に』。終戦後の樺太を舞台にさまざまな民族が交わる物語だ。

舞台は家のとある一間、それだけ。外ではおそらくソ連の兵士が歩き、戦争の臭いがまだ漂っているだろう。物語途中、外の出来事として、乱闘があったり身の危険を感じることがあったりもするが、それらは一間の中にはやってこない。

では一間の中ではなにが行われるのか。そこでは、帰国できない日本人、新しく来たソ連人、古くから住むアイヌ人、強制連行された朝鮮人が、食べて、飲み、笑い、怒り、理解をしたりしなかったり、支え合ったり助け合ったり、つまり、生きていくという生活がある。

彼ら彼女らは、戦争に翻弄され、戦後も苦しむ者たちだ。だれかが起こした戦争に飲みこまれ、いまも漂いつづける生命だ。一間の中央にあるちゃぶ台、その上に置かれた赤いフレップの実は、彼ら彼女らのようにも見える。輝く命のようにも。

戦争はみんなの人生を変えた。しかし一間の中に戦争が入りこむことはない。たとえば兵士が現れ入ってくるようなことはない。なぜならこの舞台で描かれるのは「戦争」ではなく「人間」だからだ。人の営みと交流を描く舞台だからだ。

そして重要なもうひとつ。舞台中央に存在するドアだ。一間からつづく奥の部屋の存在。設定上はソ連人アンナ(アリョーナ[MASKジャイブプロモーション])の部屋、ということになっているが、それだけではないだろう。この舞台の上に生きる彼ら彼女らは、それぞれなにかを抱えている。その秘められた心のように、ドアはときどき開くのだけど、全開にはならずさっとすぐに閉められてしまう。

この舞台のすぐれたところは、人物が心のドアを開ける瞬間を描けていることだ。人の心がわずかにでも開かれるとき、まるで古い部屋に新しい空気が流れ込むように、気配が、においが、密度が変わる。それは相手を理解して開く場合もあるし、差別や偏見を晒しているときもある。

舞台で心のドアが開くとき、客席にいる僕たちの心もまた開けられている。だから、心が揺れる。感情が動く。

一間の中に6人、異なる民族が交わって、偏見や差別もある。だけど、つかの間、心が通った、そんな気がして、もしかしたら僕たちも、と灯がともる、わずかな希望の舞台だ。

島崎町(しまざきまち)
1977年、札幌生まれ。島崎友樹名義でシナリオライターとして活動し、主な作品に『討ち入りだョ!全員集合』(2005年)、『桃山おにぎり店』(2008年)、『茜色クラリネット』(2014年)など。2012年『学校の12の怖い話』で作家デビュー。2017年に長編小説『ぐるりと』をロクリン社より刊行。縦書きと横書きが同居する斬新な本として話題に。
ライター・イラストレーター 悦永弘美さん

75回目の終戦記念日に初日を迎えた札幌座「フレップの花、咲く頃に」。
物語の舞台は終戦直後の樺太だ。
昭和21年、日本に帰れずソ連占領下での生活を余儀なくされていた、樺太庁落合で暮らす吉男(山田百次)と、妻アキコ(西田薫)。二人の家に一人のロシア人女性・アンナ(アリョーナ)がやってきて、夫婦は彼女と暮らすことになる……。

日本人、ロシア人、朝鮮人、樺太アイヌ。もともと暮らしていた人、新たにやってきた人、連れてこられた人など、樺太との関わり方もそれぞれの6人が、戸惑いながらも助け合い、心の交流をする1年間の物語だ。

月日の経過が室内のカレンダーをめくることと、セットの傾きの方向を変えることで表現されていく。照明の差し込み、客席から見えるわずかな角度の変化。美しくて、質の良い舞台だとしみじみ思う。

それぞれの出自を脱ぎ去り、ふと一人の人間同士になる瞬間がとても優しい。
フレップの実をつまみながら顔を見合わせて笑ったり、言い争いをしていたけれどアイヌ料理を食べて美味しい!と感激したり、着物を可愛いとはしゃいだり。「食べる」「暮らす」がもたらす心の交流には嘘偽りがなく、あたたかい。アリョーナさんが演じるアンナがとてもチャーミングで魅力的だ。

非日常の中において、暮らし方に工夫をしながら、料理をこしらえたり、家計をやりくりしたりしながら、なんとか日常の営みを続ける人々。舞台上にポカンと佇む畳の上で繰り広げられるその様子は、彼らの暮らしの一部をのぞいているような、丁寧に書かれた日記帳をめくるような不思議な感覚になる。

ほっこりとしたり、くすくす笑ったりと、楽しい物語なのだけれど、随所でハッと息を飲む瞬間もある。
例えば高橋海妃さん演じる日本人女性・スミエの存在。一途な恋心と併せ持つ社会主義への憧れが、可憐な佇まいに一種の危うさを添えていて、とてもヒリヒリする。
そしてアイヌを初めて見たスミエに戸惑われた樺太アイヌのタケ(熊木志保)に、アキコが言う「知らないから、怖いのよ」と言うセリフ。知らないことから生まれる戸惑いや恐怖は、知ろうとしないことで差別を助長したり、分断をもたらすということを、私たちは現代もなお続けていることに愕然とさせられた。

中学の頃に60代で他界した私の祖父も樺太生まれ。樺太で洗濯屋の息子として育ち、成人を前に志願兵となり、終戦後に帰るべき故郷はなく、家族との再会には随分と苦労したそうだ。
祖父は若い頃、自分のこれまでの人生を文章にしていて、それをスーツのポケットに忍ばせていた。見つけた祖母がその文章の出来に驚いて褒めたところ、照れ屋な祖父はすべて燃やしてしまったそうだ。お酒が好きで、歌が下手で、面白い祖父だった。
燃やしてしまった原稿の中にも、フレップの花は出てきたのだろうか。

これまでとは違う日常を生きる毎日だけれど、劇場に入ると、知ることができないと思っていた祖父の故郷を少しだけ知ることができた。

悦永弘美(えつながひろみ)
1981年、小樽市出身。東京の音楽雑誌の編集者を経て、現在はフリーのライター兼イラストレーターとして細々活動中。観劇とは全く無縁の日々を送っていたものの、数年前に演劇シーズンを取材したことをきっかけに、札幌の演劇を少しずつ観るようになる。が、まだまだ観劇レベルはど素人。2015年、仲間たちとともに短編映画を制作(脚本を担当)。故郷小樽のショートフィルムコンテストに出品し、最優秀賞を受賞したことが小さな自慢。
漫画家 田島ハルさん

ステージの上に、小さな家があった。

会場はかでる2・7。ここを訪れた方はご存知だと思うが、通常521席ある大ホールだ。そのステージの上に、小さな、つましい家を再現した舞台セットが置かれている。ちゃぶ台に日めくりカレンダー、畳にドアのある昭和を感じる家だ。この家の周りには何もなく、ステージが前後左右に有り余って黒い影を落としている。
この大きなホールの中に、ひっそりと置き去りにされたように存在する、この小さな家で舞台「フレップの花、咲く頃に」の物語が繰り広げられる。

物語は、戦後間もない樺太・落合町(現ドリンスク)。日本人家族が引き揚げるまでの一年間、突然同居することになるロシア人女性や強制労働で連れてこられた朝鮮人、樺太のアイヌ民族の女性らと、時に戸惑い時にぶつかり合いながらも助け合って生きる姿を描く。

実話を元にした物語と知り、驚いた。戦後の貧しい生活の中で文化の違う者同士、ましてや争っていた国の者同士での暮らしは相当困難だっただろう。それでも、共生の道を探していくことが明るい未来への希望だったのかもしれない。混乱の中で懸命に生きるひたむきな登場人物の姿を見て、胸を打たれた。

印象的なのは「食」のシーンだった。
例えば、タイトルにもなっている「フレップ」の実。これを皆で食べ、和気あいあいと徐々に打ち解けていく。
(フレップとは、アイヌ語で「赤いもの」を意味する赤い実。コケモモ。寒さに強く樺太に多く自生。味は甘酸っぱく、そのままおやつとして食べたり、ジャムやお酒に加工されていた)

また、アイヌ民族の女性がフレップを使った料理「チカリペ」を提案したのをきっかけに、文化の違いを知ることになる。
(チカリペとは、塩ゆでしたジャガイモにフレップとトッカリ《アザラシ》の油を入れて一緒に潰したもの)

国籍や言語が違う人らがちゃぶ台を囲み、一緒に美味しい物を食べる。互いを許し合い支え合う、思いやりの心を感じる幸福なシーンだ。

冒頭にも記したように、ミニマムな舞台セットに役者は6人のみ。だからこそ、しんとした空気の中で穏やかなピアノの音色が際立ち、役者の繊細な演技にはっとする。台詞にも余計な言葉がないからこそ、観客に想像の余白を持たせてくれるような気がした。

大山アキコを演じる女優の西田薫さんは稚内出身。笹だらけの平野を風が滑るように通り過ぎる風景と、海の向こうにぼんやり見える島を眺めながら育ったと舞台の冒頭で語った。
今後こちらの舞台は、江別、名寄、稚内でも公演を予定しているらしい。
北の地に吹く風のように、静かに力強く、多くの人の心を揺さぶるだろう。

田島ハル
札幌生まれ札幌在住。漫画家、イラストレーター、俳人、文筆家、小樽ふれあい観光大使。
2007年に集英社で漫画家デビュー。
著書に「モロッコ100丁目」(集英社)、「旦那様はオヤジ様」(日本文芸社)、「北海道の法則デラックス」(共著・泰文堂)他。
朝日新聞夕刊道内版に北海道の"食"をテーマにしたイラストとコラム「田島ハルのくいしん簿」連載中。毎週水曜日掲載。
角川「俳句」では俳画の連載も。
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