ゲキカン!


俳人、文芸評論家 五十嵐秀彦さん

芝居の始まる直前のあの漆黒の闇。
闇が期待感と不安感をちょうどよい具合に煽ってくれる。
演劇っていいよなぁ、と思う瞬間だ。

本公演は基本のキャストだけの回と、スペシャルキャストの回の2種の配役で行われている。
13公演中、5公演がスペシャルキャストの回だ。
私が観た2月5日は「SP」(スペシャルキャスト)の回。
この作品は二人芝居で、通常回は基本キャスト(飛世早哉香と遠藤洋平)だけで演じられるが、SPの回は、小野寺愛美と本庄一登が20代を、飛世と遠藤が30代、そして太田有香と町田誠也が50代を演じている。

SPの回だけだろう。冒頭の場面で3組6人の男女が舞台に現れるが、すぐに4人は下手上手に消えてゆく。
その後、客は常に舞台の上の一組の男女に視線を集中してゆく。
セットは終始、鬼のように変化しない。
そして、それぞれに家庭を持った男と女の秘密の逢瀬を、客という立場でたっぷり2時間窃視するのである。

とは言え、ちょっときわどい場面がないではないが、基本的に濡れ場はない。
浮気をしている男と女の2時間を超える物語にそれが無いのが不自然なほどに、この作品はそのあたりのことはきれいに無視している。
芝居は全6幕。2幕ごとに役者が交代。幕が変わる度にそこに10年、20年の時間経過があるため、役者が変わっても特に観ていてとまどうことはなかった。
いや、それは逆か。
役者が代わることで、歳月が人を変化させていることを無理なく表現している。そのための3組の役者なのだろう。「スペシャルキャスト」といいながら、本来この方が作品の構造に合っているのかもしれない。

ほんの気まぐれと旅先の解放感から、男と女がホテルの一室で夜をともにする。
ふたりとも大人であれば、これは一度きりの遊びになるはずだったのに、互いの若さゆえにそうはならなかった。
若さというか、幼さと言ったほうがいいかもしれない。
ふたりとも愛ある結婚をして子供にも恵まれている。今の生活を捨てるつもりは全く無い。けれどこの出会いが遊びではないと、どこかで感じている。
幼さが浮気を浮気として割り切れないものにしてしまう。
結果として、年一回同じ日に同じホテルの同じ部屋で一泊だけともにするという奇妙な「契約」を結ぶ。
そんな約束はその場限りの口だけのことになるのに決まっているのに、ところがこの二人は不思議な律儀さで逢瀬を続ける。

舞台では毎年会っていることを前提にし、数年を飛び越して6つの物語が暗転を挟んで進行してゆく。
この暗転の仕方が洒落ている。
ホテルマンが薄暗がりの中でベッドメイクしたり掃除をしたりして、次の話、つまり数年後の同じ部屋が浮かび上がる。
ふたりは出会いはしたが、必ずしも性格には共通点があるとはいえない。
女は18歳の高校生の時に妊娠してデキ婚をし学校は中退、職の定まらない夫を持ち子育てに忙しい。男は不器用そうなやつで、人見知りの公認会計士。お世辞にも女にもてそうではない。
なんとなく噛み合わない二人なのだが、しかし普段ならこんな出会いなど絶対にしないタイプなのにも関わらず、どういう神様のきまぐれか、こういうことになっちゃいました、という二人。毎年会わずにはいられないのに、会えば罪悪感に責められている。
男女の交わりはありながら、それが目的ではない。互いの家族をいかに愛しているか、エピソードをまじえて語り合う。
突然産気づき、ホテルの部屋で出産してしまう時、男は女の夫以上に大活躍してしまう。(妊婦役の飛世さんの圧倒的熱演! )

ふと思う。
これは男女の愛なのか、それとも友情なのか。

アメリカを舞台とした25年間。
ヒッピームーブメントやベトナム戦争はこんなふたりをも変えてしまう。ふたりが属する環境の違いから、対立してしまうときもある。
ふたりはさまざまに変わりながら、でも最初の幼さからしだいに大人になってゆく。
しっかりとした考えがあって行動しているのではない。その場その場の状況や時代の流行に影響されながら、それでもしだいに大人に変化してゆく男と女。

会う度に変わってゆく相手を互いに手探りで確認しあう。食い違いながら、その違いを理解しようと必死に努める。
なぜだろう。理解し合えなければもう会わなければいいのに、また来年会うために、いつも苦労の果てに食い違いをのりこえてゆく。

最後の6つ目の物語に私は感動した。
その日、ようやくふたりは互いに求めてきたものが何だったのかを理解する。
ハッピーエンド? いや、違う。
アンハッピー? それも違う。
観客はラストシーンで自分たちが舞台の上に何を見続けてきたのか気づくのだ。その時、この作品の真の深さに触れた気がするのだった。

男の名前はジョージ。女の名前はドリス。
どこにでもいるふたりの男女の25年の人生…。


※どうやらSP回は予約でほぼ満員らしいが、他の回には空きがあるらしい。
今回SP回を見て、これが飛世・遠藤組だけで演じられるとどうなるのか、とても気になった。達者なふたりの役者である。それは見応えのある演技を披露してくれるはず。
そっちも見逃せないよ!

五十嵐秀彦(いがらし ひでひこ)
1956年生れ。札幌市在住。俳人、文芸評論家。
俳句集団【itak】代表。現代俳句協会理事。
北海道文学館理事。
北海道新聞「新・北のうた暦」(共同執筆)、「道内文学時評」執筆。
朝日新聞道内版「俳壇」選者。
月刊「俳句」(角川書店)「令和俳壇」選者。
著書 句集『無量』(書肆アルス)
1995年 黒田杏子、深谷雄大に師事。
2003年 第23回現代俳句評論賞受賞。
2013年 北海道文化奨励賞受賞。
2020年 藍生大賞受賞。
漫画家 田島ハルさん

いつまでも楽しく、ずっと観ていられる作品だ。
OrgofA公演「Same Time,Next Year-来年の今日もまた-」の初日の舞台を観た。上演時間約2時間30分というやや長編作品なのだが、笑って泣いて、あっという間に終演の時が訪れた。それはまるで特別な人と過ごす時間のように、幸福に一瞬に過ぎ去っていった。熱く触れあった温もりをわずかに残して。

物語の舞台は1951年のカリフォルニアの海辺にあるコテージ。互いに伴侶がいながらも一夜を共にしたドリスとジョージ。それ以来、一年に一度同じ日に同じ場所で逢瀬を重ねる様子が描かれている。
つまりまあシンプルに言って不倫やないかい、と全うなツッコミを入れざるを得ない二人なのだが、愛憎と醜悪をごった煮にしたドロドロ昼ドラ的関係とは真逆の、馬鹿馬鹿しいぐらい明るくて爽やかに手を取り合う二人の姿が印象的だった。
家族でも恋人でも友人でもない、名付けようのない歪な関係は25年に渡り続いていく。アメリカの社会から、互いの家族関係や社会的な立場、思想もそれぞれに目まぐるしく変わっていく。人生という荒波をサーフする二人は戦友に近い間柄かもしれない。励まし合いぶつかり合い支え合い、公園で遊ぶ子ども達のように無邪気に、ソファでベッドで言葉と肌を重ねて互いをなぞっていく。伴侶がいながらにしていい気なものと言うよりないのだが、そうして幸せな気持ちに浸っている人をどうして非難できようか。

チャーミングでセクシーで勇敢なドリス役を演じた飛世早哉香さん。場面が変わる毎に成熟していく女性の姿を見事に演じていた。スリップの衣装を纏った姿に思わず鼻血ブーしそうになった。危ない危ない。
知的で繊細で時にクレイジーなジョージ役には遠藤洋平さん。昨年上演されたラボチプロデュース「4A.M.」でのパンツ一丁の体当たりの演技が記憶に新しいが、今回もまたパンイチ。それもまた男の情けなさに拍車がかかり、観客の笑いを誘った。
ジョージのピアノは美しい花束のようなプレゼントだった。録音ではなく生演奏というから驚いた。

また、場面転換も見所のひとつ。ホテルマンの手によってスマートにスピーディーに、乱れたベッドが整えられ小物が片付けられ、空気を入れ換えたように部屋が清潔に整っていく様が見ていて気持ちが良く、作品の雰囲気を壊さない芸術的な転換が見事だった。

5年毎に少しずつ年をとった二人が部屋で顔を見合わせる時も、互いの伴侶や子どもについて語る時も、ぶつかり合う時も、部屋を去る時も、どの場面も美しい。かりそめの待ち合わせを続けた二人の強くて優しい繋がりが「今」を生きる感覚というものを垣間見せてくれる。人生のどの瞬間もすべて美しいのだと。

田島ハル
札幌生まれ札幌在住。漫画家、イラストレーター。2007年に集英社で漫画家デビュー。朝日新聞朝刊道内版で北海道の食の魅力を紹介するイラストとコラム「田島ハルのくいしん簿」、北海道新聞で4コマ漫画「道北レジェンド!」など連載中。菓子処梅屋さんの「北海道梅屋名物しゅうくりぃむ」のパッケージイラストを担当。TwitterとInstagramで読める漫画「ネコ☆ライダー」を描いています。
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作家 島崎町さん


2時間30分もあるの!?

と尻込みするなかれ。途中に休憩15分あるので安心。さらに全体が6つのシーン、6つの年代に分かれいて観やすい! なにより、2時間半じっくり見せることに意味のある舞台なのだ。

OrgofA『Same Time,Next Year-来年の今日もまた-』。不倫関係にある男女が1年に1回おなじホテルのおなじ部屋で会う。週末をふたりですごし、別れ、1年後にまた会う。繰り返しの25年間。

1年ぶりに再会するとき、ふたりが毎回ぎこちないのがいい。1年間の空白があるから当たり前だ。それに、1年のあいだに起きた出来事をサラッと言えなかったりもする。言いづらいことや隠しておきたいこともあって。

そんなふたりを近づけるためなのか、毎回の決まりごとがある。おのおのの配偶者の、いいところと悪いところを1つずつ言う儀式。これが面白い。

不倫しているふたりだけど、夫や妻に対しての愛あるいは不満点が語られる。しだいに、ここにはいない夫、どこかにいる妻の存在が浮かびあがってくる。

1年に1回の密会が、単に情欲を満たすためでないのは観てると自然にわかってくる。ふたりにとってこの週末は、人生を見つめ直す日だ。共犯関係にあるからこそ、だれにも言えない本音を語りあえる。そういった意味でいいパートナーを見つけたのかもしれない。

男・ジョージ(遠藤洋平「ヒュー妄」)は妻を恐れている。なんでもお見通しの妻から逃れられる時間だ。軽薄さと繊細さをあわせ持つ彼は、外部によりどころを求め、密会の中で安らぎを得る。

いっぽう女・ドリス(飛世早哉香)の方は早くに結婚出産をし、窮屈な生活の中で自分という存在があまりない。彼女ははじめ無知なように描かれるが、ジョージとの出会いをきっかけに自分自身について考えるようになり、年代を経るごとに聡明になり自立していく。

ジョージは自分の外に救いを求め、ドリスは自分の内部を掘り下げ人生を見つけていくのは対象的で面白い。

そういうふたりの人生を、テンポを速めてサクサク2時間以内におさめることも可能だったかもしれない。しかしふたりの時間を“ちゃんと“描くことでしか表現できないものがあるのだ。舞台を観ていてそう思った。観客もまた、ふたりの人生の同行者なのだ。

ジョージを演じた遠藤洋平は、はじめは軽薄な男だが年を経るにしたがって慎重さや思慮深さを身につけていく男を好演している。抱えている弱さを吐露するときにジョージはいちばん輝く。そこがよかった。

ドリス役の飛世早哉香はすばらしく、まるで彼女のためにある脚本のようだった。だれかが敷いた人生というレールからはみ出し、別のルートを切り開いていく女性。しかし成功していくなかで彼女も社会という軽薄さに飲まれているときがある。単純には割り切れないドリスの人生にラスト、胸が熱くなった。

物語とは時間が経つことだ、と以前「ゲキカン!」に書いた。この劇はまさしくそうだった。月日を経るごとに変わっていくふたりを見つめ、人生の豊かさと悲哀をうたう。観終わってドリスとジョージを好きになる。この劇を観た自分たちの人生も少し、前向きに捉えられるかもしれない。

僕が観た初日初回は遠藤、飛世が最後まで演じたが、場面ごとに役者が変わる公演もあるという。スペシャルキャストバージョンは遠藤&飛世と、小野寺愛美(EGG)&本庄一登(演劇家族スイートホーム)と、太田有香(劇団ひまわり)&町田誠也(劇団words of hearts)の3組ですぎゆく時間を演じる。

時代ごとに人が変わるとどんな面白さが生まれるのだろう? どちらを観るか、あるいは両方観るか。

島崎町(しまざきまち)
作家・シナリオライター。近著『ぐるりと』(ロクリン社)は本を回しながら読むミステリーファンタジー。現在YouTubeで変わった本やマンガ、絵本など紹介しています! https://www.youtube.com/channel/UCQUnB2d0O-lGA82QzFylIZg
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