ゲキカン!


ライター・イラストレーター 悦永弘美さん

法被姿のスタッフが出迎えてくれるコンカリーニョ。
次々と埋まっていく座席や、どうやら初演を観たことのあるらしいお客さんの期待を込めたヒソヒソ話。座席で開演をそわそわと待つ時間がもともと好きな私ですが、今回は特に心が浮き足立っていました。役者の入りを待つ、大掛かりなセットがまた私の心をえらくときめかせるのです。

そうして始まった劇団イナダ組の「カメヤ演芸場物語」。
いやはや笑いました。手を叩いてバカ笑いをし、時には緊張し、ぐっと涙をこらえたりして、あっという間に過ぎた2時間弱。気づけば熱烈な拍手を舞台上に送っておりました。

それぞれの芸の技量も高く、劇中漫才にもケタケタと笑ってしまいました。
藤村忠寿さん演じるロマン師匠は、ガサツで不器用で、哀愁という美しい言葉だけではくくれない、本能的な佇まい。ハッとするような迫力や、脱力するような情けなさもあって、親戚にこういうおじさんが混じっていたら、正月とか厄介だろうなぁと思いつつも、クスリとしてしまう可愛げやほっとけなさに味わいと面白みがありました。
対して弟子である、前田透さんの「マシンガン士郎」がまたすごく良いのです。
「演芸場に立つことをやめた売れっ子のTV芸人」という記号的な存在では決して終わらず、師匠への愛憎入り交じるその様や、複雑さや繊細さが詰まった師弟関係に、私はとびきりの「人情」ってやつを感じました。

「昭和」というノスタルジーは、時として猛毒です。
窮屈な時代を生きているという実感や、現状への不満足があると、「あの時代はよかった」に囚われ、現在や未来を無意識に拒否してしまう危うさをはらんでいます。

「カメヤ演芸場物語」には、どうしようもないやり切れなさや、涙を噛み締めながら、それでも明日を歩こうとする人たちがいます。
学生運動に身を投じながらも、ふとした運命のいたずらで、芸を磨き板の上に立つ喜びを知ってしまった戸澤亮さんが演じる「秋田」が、舞台に残すほろ苦い余韻。
演芸場を取り巻く彼らが向かう明日は、決して明るいものではないかもしれないけれど、「明日は明日の風が吹く」と笑うそれぞれの姿を信じたくなります。
ただひたすら「いい話」で終わらない「カメヤ演芸場物語」には、ノスタルジーという鎖ではなく、現在を生き、未来を歩くための力がありました。

観劇後、誰かとやいのやいの言いながら、美味しいお酒を飲みたいところでしたが、あいにく一人で観劇したため、時折マスク下で思い出し笑いを噛み殺しながら帰宅した私。
イナダさんの「ごあいさつにかえて」にあったビートたけしさんの「浅草キッド」がどうしても読みたくなり、衝動的に電子書籍で購入。
夜通しで読み続けた結果、深見千三郎師匠という男の魅力に痺れつつ、「カメヤ演芸場物語」をもう一度観たくなってしまいました。

悦永弘美(えつながひろみ)
1981年、小樽市出身。東京の音楽雑誌の編集者を経て、現在はフリーのライター兼イラストレーターとして細々活動中。観劇とは全く無縁の日々を送っていたものの、数年前に演劇シーズンを取材したことをきっかけに、札幌の演劇を少しずつ観るようになる。が、まだまだ観劇レベルはど素人。2015年、仲間たちとともに短編映画を制作(脚本を担当)。故郷小樽のショートフィルムコンテストに出品し、最優秀賞を受賞したことが小さな自慢。
作家 島崎町(しまざきまち)さん

楽屋とは、出番を待つ人たちの場所だ。

きらびやかなライト、観客の拍手、その舞台へ行くための場。
そう、それは象徴的だ。

世間という名の舞台で、人気というスポットライトをあびるため、そこへ這いあがろうとするものたちの場。

たとえば本作の、石崎(江田由紀浩)、ちー子(池江蘭)、ヒデ(遠藤洋平)の漫才トリオは、それぞれに温度差はあるものの、「楽屋」から「舞台」へあがるためにもがいている。なかでもリーダー格の石崎は、痛々しいまでの向上心をむき出しにして、なんとかここから這いあがろうとする。

いっぽう、ロマン師匠(藤村忠寿「HTB北海道テレビ」)はベテラン芸人だ。彼は物語冒頭、相方で妻のカレン(山村素絵「劇団イナダ組」)の不在や衣装騒動などをいいことに、舞台にあがらない。そう、彼は「楽屋」から「舞台」へあがることをあきらめてしまった存在だ。

劇団イナダ組『カメヤ演芸場物語』。その主たる舞台である楽屋には、さまざまな人たちが入り乱れ、やって来ては去り、去っていってはやって来る(ちなみに例外がひとりだけいるのだが、それはあとで語る)。

楽屋という、本来は舞台裏である場所で、彼ら彼女らは命を燃やす。燃えすぎて焦げた匂いが、あるいは不完全燃焼になった匂いが、舞台や客席にただよう。人はそれを人情と呼ぶかもしれないし、喜劇や悲劇、はたまた芝居というかもしれない。キザな人は、匂いだけじゃなくその燃焼をもふくめて、「昭和」と呼ぶのかも。

そんな、メインとなってスポットライトがあたる楽屋を出ると、一転、うす暗い路地裏になる。そこでは、メインの舞台(楽屋)で話せなかったことや、本音が吐露される。つまりその路地裏が、楽屋の楽屋(舞台裏)となる。

僕はあの、狭くて日の当たらない、人間のやるせなさが発酵したような路地裏が好きだ。このお芝居でなにが一番かと言われたら、あの路地裏をあげる(下手側なのでよく見たい人はそちらに座ることをオススメする)。

本来舞台裏である楽屋はメインの舞台と化し、路地裏は楽屋となり、演芸場の舞台からは音と明かりが漏れてくる。多層的な構造だ。いや、それだけじゃない。劇中繰り返される「客の拍手が、笑いの渦が、まだ聞こえる、まだ鳴り止まぬ」は、芸人だけではなく演劇人も求めつづけていることだろう。この公演の本番中、コンカリーニョの楽屋にも、「楽屋」から「舞台」へ這いあがろうとする存在がいるのかもしれない。出番をいまや遅しと待ちかまえているのかも。

最後に、役者について。

主役のひとり、藤村忠寿。演出家が役者をやると独特の味が出るのだけど、この人からはそういう演出家の演技とは違うものを感じた。役者の生の部分を残したような、洗練されつくしていない、えぐみを残した味わい。役者歴が浅いからだと言うかもしれないけど、はたしてそれだけだろうか。

愚直に舞台にいどむ姿勢、それが一本気なロマン師匠の姿と重るのだ。彼は「楽屋」から「舞台」にあがることをあきらめたように見えるが、本当はまだ「舞台」を捨ていないかもしれない。そういう気概をにじませるので、彼を見捨てることができなくなる。この人物をもっと見つめていたくなる。だから海千山千のこなれた役者が落ちぶれた芸人の悲哀を演じるのとは違う、それ以上の『カメヤ演芸場物語』になっているのではないかと思った。

そしておなじように、まだ役者としてのずるさを纏(まと)う前のよさを出しているのが戸澤亮(NEXTAGE)だ。秋田という学生闘争に身を投じた若者だけど、ガリガリとした思想ではない、政治の季節の風に吹かれて流されていった若者の寄るべなさが感じられた。公安に追われて彼は、流れ着いた演芸場で、別の熱にやられてしまう。

戸澤は昨年11月の舞台、メロトゲニ『こぼれた街と、朝の果て。~その偏愛と考察~』で見たときも思ったが、無理せずその場にいるたたずまいと雰囲気がいい(ただしどちらも、役としては、違和感のある場所に迷いこんだ存在、というのが面白い。つまり自然なのだ)。

いっぽう物語の脇に立ち、陰に日向に支える存在が、しっかり仕事をしてくれるとうれしくなる。吉田諒希(劇団イナダ組)演じる御所河原は演芸場の事務員で、事務として演芸場を支え、文字どおりカレンを支え、ストーリー進行をうながし、相の手を入れ、その他さまざま雑事をこなす。御所河原が演芸場を支えたように、吉田もこの劇自体を支えていた。

この御所河原こそが、出入りがはげしく変化のある物語の中、唯一不動の立ち位置で、演芸場や物語の中心なのかもしれない。精巧に作られたカメヤ演芸場の、舞台への入り口に祀られ、そっと見守る存在である神棚と、芸人たちを見守り支える彼女を一致させるというのは、さすがにうがった見方……かもしれないけど。

島崎町(しまざきまち)
1977年、札幌生まれ。島崎友樹名義でシナリオライターとして活動し、主な作品に『討ち入りだョ!全員集合』(2005年)、『桃山おにぎり店』(2008年)、『茜色クラリネット』(2014年)など。2012年『学校の12の怖い話』で作家デビュー。2017年に長編小説『ぐるりと』をロクリン社より刊行。縦書きと横書きが同居する斬新な本として話題に。
漫画家 田島ハルさん

私が劇団イナダ組に抱くイメージは「安心して友達を誘える、信頼できる演劇」である。演劇は一人で見たいものと、友達や家族と複数で見たいもの二つに分かれると思う。今回のイナダ組公演「カメヤ演芸場物語」は圧倒的後者で、劇場を後にしながら「おもしろかったね!」と同行者に語りたくなる、体の芯から温まるような幸福が生まれる。

今回の札幌演劇シーズンの参加作品「汚姉妹」が人間の艱難辛苦をあぶり出す内省的なものだとすれば、「カメヤ演芸場物語」は喜怒哀楽、感情豊かなラテン的舞台。己の心に愚直なまでまっすぐに生きる人のひたむきさに触れたとき、全てを抱きしめたくなる愛しさに溢れる。きっと、それを人情と言うのだろう。

舞台は昭和46年、浅草のとある演芸場。支配人から漫才師まで一癖も二癖もある者ばかり。ある日、学生運動の一斉検挙が起き、一人の若者が演芸場の楽屋に逃げ込んでくる…。と、ここから物語が動き出すわけだが、どの登場人物も社会的には「立場の弱い人」「困った人」「はみだし者」の部類に入る人ばかりである。それでも彼らを憎めないのは、それぞれの夢と希望に誠実に生きている姿が眩しいからだろう。不器用でもダサくても、懸命に生きる人はかっこいい。そんな完璧ではない剥出しの人間臭さを、暖かな眼差しで劇団代表のイナダさんは見つめている。…というのも、これはあながち比喩ではない。初日、客席の横の通路の脇でパイプ椅子に座り、公演中の舞台を見守るイナダさんの姿があった。親が子を慈しむような眼差しの横顔が印象的だった。

劇場を出ると、みぞれ混じりの大雪が降っていた。暦の上では立春を過ぎているのに、札幌は未だ冬の表情のままだ。ビルの隙間から容赦なく吹き付ける風が自分を避けているように感じたのは、温かな血の温度と心臓の鼓動を感じ、少しだけ強気でいられたからだ。私はイナダさんの横顔を思い出しながら、駅までの道のりをまっすぐに歩いた。

田島ハル
札幌生まれ札幌在住。漫画家、イラストレーター、俳人、文筆家、ラジオパーソナリティー、小樽ふれあい観光大使。
2007年に集英社で漫画家デビュー。
著書に「モロッコ100丁目」(集英社)、「旦那様はオヤジ様」(日本文芸社)、「北海道の法則デラックス」(共著・泰文堂)他。
北海道新聞旭川面に連載「道北レジェンド!」、北広島市役所Webサイトに連載「キタヒロ☆エゾリス家族」など、北海道愛に溢れる作品多数。
2019年11月から朝日新聞夕刊道内版にて、北海道の"食"を紹介するイラストとコラム「田島ハルのくいしん簿」の週刊連載がスタート。
HBCラジオ「サブカルキック」(毎週土曜28:00放送)パーソナリティーとしても活躍中。
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