ゲキカン!


ドラマラヴァ― しのぴーさん

 上演時間2時間超、人物50人超、シーン数40にもおよぶ大群像劇!初演はなんと、16年前。弦巻楽団を主宰する弦巻啓太が代表をしていたヒステリック・エンドの最終公演として上演した芝居だそうだ。安倍総理だのトランプ大統領だの2019年的アレンジはあるけれど、ほとんど台詞はさわっていない感じがあって、近頃使わなくなった言葉を使えば、めっちゃイケてる、ハチャメチャ、とってもやんちゃでキュートなお芝居だった。
 札幌演劇シーズンの公式リフレットには上演時間2時間10分とある。僕は2時間と聞いただけでもげんなりする。嘘でもいいから1時間50分と書いてほしい。かなり覚悟して腹をくくって観に行ったのだけれど、劇のドライブ感にうまく乗せられて全然長くは感じなかった。27歳だった弦巻の劇作家としての才気を十分感じることができる。何より札幌の演劇シーンをひっぱっている実力派、個性派、曲者、そして新星たちがコンカリーニョの小屋に一堂に会しているのが実に快感!本あっての芝居だといつもは思うけれど、この芝居を当時の役者年齢を揃えても単なるドタバタに終わったかもしれない。人物の多さも大きな理由だと思うけれど、再演に16年必要だったのにはちゃんと理由があったのだ。凄い役者力にも注目!
 ストリーラインは実にシンプルだ。「世界が終わる」話。この言葉だけでもかなりナラティブですよね。せかいのおわり、セカイノオワリ、SEKAI NO OWARI(この4ピースバンドは海外公演では、End of the Worldというバンド名を使っているそうです)。物語は結構なピースに分かれている。タイトルロールの17歳、白鳥ゼロ(d-sapでお世話になっています佐久間泉真。初演はトランク機械シアターの立川佳吾。どうもゼロ役は少しジュノン系美男子のようだ)が既婚18歳年上のお弁当売り(塚本奈緒美)に唐突に愛の告白をして結婚してくださいと食い下がる話。妻に愛想を尽かされ三行半を突き付けられた葬儀屋(遠藤洋平)が、妻(島田彩華)への執着が昂じて唐突に世界を終わらせようとする話。その葬儀屋のある商店街では祭の出し物として浦島太郎の芝居の稽古をしているのだけれど(この劇中劇は傑作!)、電気屋の夫婦(深浦祐太、木村愛香音)が借金で首が回らなくなって夜逃げを寸前。閑古鳥が鳴いているイケてないラーメン屋(田村嘉規)では宝くじが趣味の妻(塩谷舞)がなんと5,000万円を当ててしまった。やたら芝居を仕切っている演出のはんこ屋(長流3平)はとうとう本をほぼ改ざんした挙句、織姫役を自分でやっちゃって、制作担当の薬屋(柳田裕実)がブチ切れまくる話。白鳥のいる高校では、性欲が可視化されて女性がすべて下着姿に見えてしまう奇病(?)に取りつかれた実はおっぱい帝王の教師(村上義典)がいて、その帝王にお色気たっぷりの同僚教師(成田愛花。成田はすごかったです)が俄然アタックする。一方、女子高校生たち(相馬日奈、斉藤法華、吉井裕香)に陰湿ないじめを受けているイケてない教師(岩波岳洋)もいて、この話はシリアス。そして恋人のミキティ(鈴山あおい)を北朝鮮の工作員に拉致られたパンクなロッケンローラー(井上嵩之)の純愛話。この話は結構ひっぱります。祭の当日打ち上げられる特殊な燃料を積んだ有人ロケット(16年前の虚構が今やホリエモンが投資する大樹町の夢、インターステラーテクノロジズになっているのだから、演劇の遠視力や大したものなのだ)を取材しにきた熱血レポーター(池江蘭)とかなりユルいテレビクルー(温水元、高橋有紀子)は、くだんの拉致事件にからんでいく。必ず犯人が断崖で罪を告白する2時間ドラマのようだ。
 これ以上、書くのはやめておくけれど、一つひとつのパッセージはどちらかといえば唐突なのだけれど、「だって世界が終わるんだから」という劇的暴力でつながって、ちゃんと撒かれた伏線を回収しながら、おお、そこにマージしますか!的にからみあって衝撃のラストまでエネルギッシュに疾走する。そう、疾走。疾走感がとても心地良い。ところどころ僕のイマジナリーラインに入ってくるけれど、読めていても面白い。
 とても丁寧に台詞を書く劇作家だといつも弦巻のことは思っているけれど、原稿用紙に鉛筆で息継ぎもしないで次々書きまくり、直し、しまいには役者に口立てで台詞を言わせているような熱量がある。ハッピーエンドかバッドエンドなのかは観る人によって違うのだろうけれど、僕は希望というものを世界でどう定義するのかということだと思った。希望は僕たちを救うけれど、一方で裏切られ失望させられるものとしても常に僕たちのすぐそばにあるからだ。だから明日世界が終わるとして、今日僕たちはりんごの樹を植えたりするのかもしれない。このお芝居は、弦巻の演劇への愛がいっぱい詰まっていると思う。見逃すと人生棒に振りますよ、ホント。

 話は変わるけれど、シーズンの最中、あいちトリエンナーレ2019で開催された「表現の不自由展・その後」事件があった。権力を持っている人たちが個人的な感想だかなんだか知らないけれど、日本民族への侮辱だ、冒涜だ、けしからんと言ってたった3日で中止に追い込まれた。芸術監督が津田大介だったこともあって二重の衝撃だった。システムの側からの口先介入で一旦レッテルを貼られると、反日だ、非国民だと恐怖を煽り、ネトウヨが群がって、世論という見えない空気を恐怖で制圧する。この劇の中では、北朝鮮による拉致というリアルポリティクスや特定の企業・宗教名、さらに安倍-トランプの政治的友情への笑えるディスりも登場する。何気なく観てしまっているけれど、とても勇気のいることだと思った。
 演劇は、芝居小屋は一番表現の自由が担保されていると、テレビなんかにいる僕は尊敬している。弦巻は普段「人生で一番の最高傑作は『ワンダー☆ランド』」と言っているそうだ。表現者の最高傑作は常に最新作である。最新作にして最高傑作。いいじゃないですか!

ドラマラヴァ― しのぴー
四宮康雅、HTB北海道テレビ勤務のテレビマン。札幌在住歴28年目にしてソウルは未だ大阪人。1999年からスペシャルドラマのプロデューサーを9年間担当。文化庁芸術祭賞、日本民間放送連盟賞、ギャラクシー賞など国内外での受賞歴も多く、ファイナリスト入賞作品もある米国際エミー賞ではドラマ部門の審査員を3度務めた。劇作家・演出家の鄭義信作品と故蜷川幸雄演出のシェークスピア劇を敬愛するイタリアンワインラヴァ―。一般社団法人 放送人の会会員。著書に「昭和最後の日 テレビ報道は何を伝えたか」(新潮文庫刊)。
ライター・イラストレーター 悦永弘美さん

上演時間2時間10分、登場人物50人以上!
恋する少年、悩める教師、借金夫婦に、恋人を拉致されたバンドマン、妻に捨てられた男、宝くじ当選、商店街のお祭り、浦島太郎の芝居作り、有人ロケット発射……!「人の数だけ人生はある!」とはよく言うけれど、それを作品に詰め込んだのが弦巻楽団の「ワンダー☆ランド」だ。代表の弦巻啓太さんは本作を、「生涯の最高傑作」だと述べている。大納得。間違いなく、超大作の大傑作。だって、こんな演劇、見たことない!
演劇シーズン後半戦、ここにきてこんなミラクルな作品に出会えるなんて。札幌は演劇の街なんだ!と確信できる、幸せな体験だった。本当に。

人はみんな自分の人生を生きている。そしてそれは当たり前だけれど、同じ空の下で同時進行している。誰かにとって人生最良の瞬間は、誰かにとって人生最大の危機だったりする。自分の人生も、他人の人生も実は同じ線でつながっていることもある。そしてその人生が本人の意思とは全く関係なく、突然幕を降ろされることだってある。
こうした時に残酷とも言える世界の仕組みが、「ワンダー☆ランド」の2時間10分の中に詰め込まれている。愛を求める気持ちや、憎しみ、嫉妬、裏切りといった人間の持つ本質も隠すことなく、眩しいほどの疾走感とともに、物語はぐんぐん進んでいく。

大いに笑い、切なさに胸が痛み、やり切れなさに苦しくなり、だけどやっぱり大いに笑う。これだけ多くのドラマが、同時多発的に舞台で繰り広げられ、交錯しているというのに、絶対に破綻しない。多角的な視線で時間が進むから、物語は立体的になっていく。ユニークであり美しい舞台美術の上を縦横無尽に駆け抜ける役者陣の熱に引っ張られて(個人的にはQTVの奈取さん、ラーメンこぶしの藤さん、薬の青木さんがすごく好き)、私たちは想像を超えたエンディングに向かって突き進む。音楽の力、演劇の力、可能性、挑戦を強く感じた。

16年前の作品だということにも、驚いた。あまりにも今を生きる私たちにビシビシと響き過ぎる。16年という1人の人間がこの世に生まれ、青年になるくらいの年月を経ても、拉致やテロ、首相など、同じ問題を抱え続けているのだ。そう考えると怖くなる。
いや、もしかしたら16年前よりも、この世界はうんと厳しいものになっているのかもしれない。そしてその事実に気づかないふりをしている自分にも気付かされた。

漂う終末観にドキドキするし、2時間10分という長丁場を一切感じさせない、底抜けに楽しく、ワクワクする爽快感に満ちた物語。鳴り止まない拍手の中で、この物語が、世界に届け!と思わず祈ってしまう。
不条理に満ちたこの世界。笑って生きるか、諦めて生きるかと問われたら、前者を選択したい。そんな強さを「ワンダー☆ランド」からもらった。

悦永弘美(えつながひろみ)
1981年、小樽市出身。東京の音楽雑誌の編集者を経て、現在はフリーのライター兼イラストレーターとして細々活動中。観劇とは全く無縁の日々を送っていたものの、数年前に演劇シーズンを取材したことをきっかけに、札幌の演劇を少しずつ観るようになる。が、まだまだ観劇レベルはど素人。2015年、仲間たちとともに短編映画を制作(脚本を担当)。故郷小樽のショートフィルムコンテストに出品し、最優秀賞を受賞したことが小さな自慢。
作家 島崎町(しまざきまち)さん

才気あふれる若手脚本家と、人気・実力を兼ね備えた札幌を代表する演出家の、夢のコラボレーションだ。

脚本家の名前は弦巻啓太。演出家の名前も、同じ。偶然……なわけなくて、どちらも同じ人物。違っているのは時間。16年という月日がたっている。

弦巻楽団『ワンダー☆ランド』、初演は2003年。彼が当時所属していた「シアターユニット・ヒステリックエンド」の最終公演だ。

16年のときを超え、若くギラギラした自分の脚本を、経験を積み熟練しつつあるいま、演出する気持ちはどんなだろう? 脚本家としても、同じ題材・同じ登場人物で描けと言われても、こういう風にはならないんじゃないか。

2003年に書かれたこの脚本には、ただならぬエネルギーがある。前へ前へと進んでいく力がある。細部の繊細さよりも、突き進んでいくパワー、むき出しの感じがある。

小澤征爾がカラヤンの教えだと言っていた。細かいところは多少合わなくても、太い長い一本の線がなにより大切で、それがつまりディレクションなのだと。

ディレクションというのは指揮(演出)だけじゃなく、脚本にも言える。そういった意味でこの舞台は、(細部にアラがあるという意味ではなく)ひたすらクライマックスと最後のセリフに向けて猛烈に突き進んでいく。腹をすかせた物語が、物語自身を食べながら成長していくように。

結果、2時間10分にも達するこの大作が、体感時間で言えば1時間にも満たないような、恐るべきスピード感と忘我を生み出す。正直僕は、短いとすら感じた。

弦巻演出で(少なくともこの舞台において)もっとも重要とされているのはリズムだろう。どんなセリフでも、どんな物語でも、だいじなのはリズムで、なにを言ったかではなく、どのように言ったか。それをとことん追究した結果、セリフがリズムを刻み、ストーリーはメロディとなり、舞台は音楽劇的様相を呈する。そうしてこの、お化けみたいな一大エンターテイメントができあがった。間違いなく、2019年、札幌の舞台において最高の1作だろう。

演奏者たる役者たちも応えた。ひとりひとりに言及できないのが残念だが、あえてふれておくべきは、温水元、長流3平、柳田裕美だ。すべての役者がリズムを生みだしていたこの舞台において、キャラというよりもシーンのリズムをよく作れていたと思うからだ。(ほかにも、成田愛花、池江蘭、木村愛香音、相馬日奈、深浦佑太、遠藤洋平、塚本奈緒美……岩波岳洋、伊能武生、村上義典も最高に笑えたし、井上崇之&鈴山あおい、田村嘉規&塩谷舞のコンビも最高で、佐久間泉真の純真も……ああ、書き切れない。つまりこれは弦巻楽団版アベンジャーズだと思ってもらえばけっこうだ!)

スタッフもよかった。宣伝美術・勝山修平(彗星マジック)の勢いあるフライヤー、高村由紀子の神秘的な舞台美術。スタッフワークがよければ演出もそれに応える。物語後半、演技領域が増えていくという空間演出も巧みだった。

それにしても、である。拉致、核、ミサイル、首相、ジャーナリスト……。16年前の脚本に、それらがすでに記されていたのだ。あえて僕は、このことを予言的だとは言わない。あのころからいまを予感していたのではなく、当時の問題が16年たってもまだつづいているということなんだ。

劇中、商店街の一同がおこなうのは「浦島太郎」だ。竜宮城から帰ってくると、数十年(数百年?)のときがたっている。世界は変わってしまった。『ワンダー☆ランド』もまた、16年の月日を経て帰ってきた。しかしこちらの方は(僕たちの現実は)驚くべきことになにも変わっていなかった。ゾッとする。

この劇は、16年後、ふたたび上演されると思う。これは予言だ。そのとき、いったい、なにが変わっているのか。あるいは変わっていないのか。

願わくば、この劇の最後のセリフ、あの精神は消えずに残っていてくれたらと思う。

島崎町(しまざきまち)
1977年、札幌生まれ。島崎友樹名義でシナリオライターとして活動し、主な作品に『討ち入りだョ!全員集合』(2005年)、『桃山おにぎり店』(2008年)、『茜色クラリネット』(2014年)など。2012年『学校の12の怖い話』で作家デビュー。2017年に長編小説『ぐるりと』をロクリン社より刊行。縦書きと横書きが同居する斬新な本として話題に。
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