ゲキカン!


ライター・イラストレーター 悦永弘美さん

私の祖父は樺太生まれだ。少年兵として戦地に赴き、終戦もそこで迎えたそう。樺太から引き揚げた家族と、復員した祖父がどうやって再会できたのか、実は全く聞いたことがない。 初孫だった私は、とても可愛がってもらった。何度も泊りに行ったし、たくさん会話もしたけれど、あの戦争について祖父の口から聞いたことはただの一度もなかった。
祖父は私が15歳の時に、69歳という若さで亡くなった。
生前、祖父はこっそりと自分史を書いていたという。自分の記憶を整理しようとしていたのか、あるいは誰かに残そうとしていたのか、せっせと筆を動かしていたそうだ。しかしある日、祖父は突然書き溜めた自分史を、誰に見せることもなく全て燃やしてしまった。

ソ満国境の町、慶興にソ連が攻めてくる中、命がけで日本に戻った「久美子」は、やがて結婚し、「久美」として過去を話すことなく過ごしてきた。月日が流れ、穏やかな老後を送る「久美」のもとに、戦争で引き裂かれたかつての恋人・真吾からかかってきた一本の電話。物語はここから始まる。

舞台上では夫や孫と過ごすリビングを背景に、過去の「自分」が舞台手前で凄まじい体験を語る。これまで閉じ込めていた戦争の記憶が、堰を切ったように溢れていく様を、この舞台構造がこれでもかと強く、立体的に伝えてくれる。

個人的にもっとも印象に残ったのは、久美が孫や知人たちと、チョコレートケーキや紅茶を囲むシーンだ。穏やかなお茶の時間を楽しむリビングのガラス窓に、過去の久美の姿がぼぉっと映ったのだ。これは演出ではなく、手前に立っている過去の久美の姿が、位置関係上その窓に映ったに過ぎないのだろうが、これには思わずハッとした。
平和の時代を、普通の顔で過ごしているかのように見える戦争体験者たちが、実は凄惨な過去の記憶とともに生き抜いてきたということを、改めて突きつけられたような気がしたのだ。舞台上の偶然から生まれる現象にすらドキリとするほどに、私は物語の中にすっかり巻き込まれていた。

本作は、あの戦争がもたらした悲劇や惨さを、強く語りかけてくれる。
同時に歳を重ねるということの、容赦なさと、温かさも教えてくれる。平和な時代の大切さ。過去を受け入れ、新しい自分に出会う清々しさ。家族や周囲の人々の優しさへの気づき。「二人の長い影」という物語は、様々な愛に満ちていた。
胸が痛むほどの切なさもあるけれど、不器用ながらも懸命に伝えた栄一のラストのセリフは最高にキュート。円熟した役者だからこそひしひしと伝わる、深みのある愛しさが、「老いていく」ということに光を照らしてくれる。
家族と祖父の話をしよう。終演後の帰り道、琴似の街を歩きながらふとそんなことを思った。

悦永弘美(えつながひろみ)
1981年、小樽市出身。東京の音楽雑誌の編集者を経て、現在はフリーのライター兼イラストレーターとして細々活動中。観劇とは全く無縁の日々を送っていたものの、数年前に演劇シーズンを取材したことをきっかけに、札幌の演劇を少しずつ観るようになる。が、まだまだ観劇レベルはど素人。2015年、仲間たちとともに短編映画を制作(脚本を担当)。故郷小樽のショートフィルムコンテストに出品し、最優秀賞を受賞したことが小さな自慢。
ドラマラヴァ― しのぴーさん

 また、あの夏がまもなく巡ってくる。日本人にとって8月15日は、戦後74年たった今もなお重い意味を持つと思う。政府の行事は別にしても、甲子園の球児たちはその日の正午、試合を中断して1分間の黙とうをささげる。アルプススタンドの観客も、この瞬間は起立して黙とうする。考えてみれば一年に一回だけかもしれないけれど、そんな日があることに、平成から令和に変わっても終わらない戦後がある(個人的には「戦後という言い方はそろそろいいのではないか」という考えには賛成しない)。
 来年93歳になる僕の父もそうだけれど、戦争を生き延びた人たちもすでにかなりの高齢者となり、「戦争を知らない子どもたち」ではなく、戦争についてまったく想像力を持てない世代はますます増えていくだろう。2019年を生きる僕たちにとって切実なことは、社会格差や世代やコミュニティの分断であり、貧困であり、DVやネグレクトで幼い子どもたちを死なせる親たちであり、一向になくならないいじめや差別なのだ。
 僕は演劇の大きな役割のひとつは、時代の中でナラティブに語り、伝えることだと思っている。この作品を観終わって、戦争の惨さや非人間性についての語り部であろうとすることも、その役割だと深い読後感があった。
 引揚者というと、北海道では樺太(現在のロシアサハリン州)や満州をイメージしてしまうけれど、朝鮮半島は1910年から1945年まで日本に併合されたので、朝鮮半島北部にも大勢の日本人が住んでいた。中立条約を一方的に破棄して、侵攻してきたソ連軍と朝鮮の人々との間に置かれた人たちの逃避行の過酷さは正直想像もできない。西洋史では、1527年に神聖ローマ帝国のカール5世指揮下の西ゴート族の傭兵軍が、当時教皇領だったローマを襲い、殺戮・強奪・破壊・強姦の限りを尽くした「ローマ劫掠(ごうりゃく)」は、今でもヨーロッパの人々に記憶されていると聞いたことがある。ソ連軍の規律はひどかったようで、16世紀並みの蛮行が横行していた。こういうことは歴史の正史には登場しない。久美子(斉藤和子)のような語り部を通して語り継いでいかなければならないのだと思う。戦争が究極の暴力であり、人間性をはぎ取ってしまう狂気であることを。
 戯曲を書いた山田太一は特にテレビドラマに関わったものとしては、ほぼ神様のような存在である。人間を描かせたらならば山田の右に出る作家はいないだろう。この「二人の長い影」の初演は2003年、劇団民芸のために書き下ろしたものである。主演の南風洋子(故人)は満州からの引き揚げ経験のある女優だった。僕は戯曲作家としての山田を知らなくて、ウィキで調べたのだけれど20本は書いている(地人会、劇団民芸、俳優座)。戯曲集も出版されているので今度読んでみようと思った。1960年代からシナリオ作家として活躍している山田にとって演劇のための戯曲は、1980年代から手掛け始めた創作のようである。練達の山田には申し訳ないけれども、僕は、暗転の多い、回想の多い、説明台詞の多い芝居がとても苦手である。この作品も残念ながら劇的な想像力をたびたび遮られて、作品世界に浸ることはできなかった。人物の心象もつながっているとは言えないところもあった。抑揚の少ない台詞立ても僕の苦手とするところで、この点はゲキカン!担当としては適任ではなかったことはお詫びしておきたい。
 物語は実に唐突に始まる。僕には、久美子がなぜ突然あの戦争の経験を書けない、と決然と言い放つ文脈がわからなかった。久美子の初恋の人で、3年前に妻に死なれ脳梗塞で右手が不自由となり、孤独に暮らしている坂崎真吾(山根三男)が、「死ぬ前に一度だけ会いたい」とこれもまた突然電話してくるのかもわからなかった。そもそも、真吾はどうして久美子の自宅の電話番号を知ったのだろうか。そののち、久美子が孫の真理(Aチームは高坂綾乃)には、初恋物語として能弁に話せるのはどうしてだろうか。朝鮮半島北部、ソ満国境の街、慶興で戦争末期、久美子が真吾と出会い、恋に落ち、離れ離れになった後、父母をソ連軍に殺され、必死の逃避行の末(朝鮮北部から命からがら38度線を超えた人々は20万人に上るそうだ)アメリカ軍に保護されるも、直後に弟を亡くしてしまう。
 物語は青春時代を無残に蹂躙され辛酸の限りをなめた久美子に濃密であり、真吾には薄い。むしろ、久美子の夫、小林栄一(Aキャストは鹿角優一。鹿角は好演)との間に、墓場まで持っていくと覚悟した秘密があることが示唆される。僕は、途中で、この物語は究極の中で出会った男女の初恋の後日談ではないかと感じ始めた。そして勝手に想像した。久美子には夫を裏切ろうとした瞬間があるのではないだろうかと。そして、それが真吾の妻をして「あの人の中には別の女性(ひと)がいる」と生涯言わしめたのではないだろうかと。
 シベリアに抑留され生死も分からない真吾を久美子は7年も待ち続けた。区切りをつけるように栄一と結婚し、子どもも生まれた。そんな頃、最後の引き揚げ者として帰国した真吾(玉田裕太)と再会する。久美子(栗原聡美)は思わず真吾の胸に飛び込み強く抱きしめる。多分、久美子は一瞬、夫も幼子も捨てて真吾と一緒になりたいと願ったのだ。その刹那の純粋な気持ちは久美子にとって、生涯の「秘密」となった。肉体関係はなくとも、いやないからこそ、男女としてくちづけを交わしたこの日のことは二人にとって永遠の瞬間になった。このシークエンスの芝居は強い劇的想像力に満ち、実に効いている。衝動に駆られ激しく真吾を求める久美子は切ない(栗原は熱演)。だからこそ、真吾は死ぬ前に一目久美子に会いたいと願い、逆に久美子は思いとどまるを得なかった。
 終幕に近づくほど、山田はこの物語をどうやって回収するのだろうと半ば意地悪に考えていたが、最後は山田太一ワールドの真骨頂だった。あんな台詞を書ける作家は他にはいないだろう。色気のある味わい深い余韻を残した役者たちの芝居も素晴らしかった。
 劇団新劇場は、今年創立59年だそうだ。60年近く続く劇団は地方都市では、そうあるものではないと思う。確かにイマドキの芝居ではないかもしれない。でも、年齢を積み重ねてきた劇団としてのナラティブがあり、円熟の役者たちが発する人生への洞察の深さや愛おしさが舞台を温かく照らしていた。

ドラマラヴァ― しのぴー
四宮康雅、HTB北海道テレビ勤務のテレビマン。札幌在住歴28年目にしてソウルは未だ大阪人。1999年からスペシャルドラマのプロデューサーを9年間担当。文化庁芸術祭賞、日本民間放送連盟賞、ギャラクシー賞など国内外での受賞歴も多く、ファイナリスト入賞作品もある米国際エミー賞ではドラマ部門の審査員を3度務めた。劇作家・演出家の鄭義信作品と故蜷川幸雄演出のシェークスピア劇を敬愛するイタリアンワインラヴァ―。一般社団法人 放送人の会会員。著書に「昭和最後の日 テレビ報道は何を伝えたか」(新潮文庫刊)。
作家 島崎町(しまざきまち)さん

お年寄りはみんな戦争体験者、という時代は終わった。

終戦から73年。8月15日が来たら74年目だ。つまり敗戦の日に生まれた子供はいま74歳になろうとしていて、それより下の人はみんな戦後生まれだ。

かといって赤子に記憶があるわけでもなし。戦争中の記憶が残っているのはたとえば終戦時に5歳でぎりぎり(?)だろうか。だとしたら8月15日時点で79歳以上の人が戦争体験を語れるというわけだ。

だけど、こうしてるうちにも時は流れていく。10年20年たって、いつかだれも、戦争を語る人がいなくなったとき、日本というこの国に、いったいなにが残るんだろう。非戦論者を「平和ボケ」となじる、やたら好戦的な「現実主義者」たちだろうか。

ひとたび戦争が起こればどうなるか。想像力のない者には、思いつきもしないだろう。しかし74年前、たった74年前にそれはあった。すさまじい数の人が死に、その何十倍何百倍の悲しみが生まれ、生き残った者も、心の傷は生涯消えはしない。

直近の戦争から74年。……そうだろうか。これから74年間戦争がなかったら、そうかもしれないが、74年以内に戦争があれば、いちばん近い戦争は、未来の方にあるのだ。

そうしないための手立てはなんだ。想像力だ。戦争になったらどうなるか、想像すること。いやさっき、想像力のない者がいると書いたばかりだ。想像できないなら見せてやればいい。いつか、戦争体験者はいなくなる。だけど、戦争体験は残る。文字として、言葉として、物語として、劇として。

前置きが長くなった。劇団新劇場『二人の長い影』。山田太一の脚本だ。テレビドラマ界のレジェンド、小説や劇作の世界でも活躍している巨匠。本作は2時間たっぷり、山田太一ワールドにひたれる。

主人公・小林久美は結婚して数十年になるが、夫にも戦争のときのことを話していない。夫もそのことはあえて深く聞こうとしない。老境にさしかかった平穏な日常に、電話が鳴る。それは隠していた過去。戦時中、結婚を約束して離ればなれになった男からの、50余年ぶりの連絡だった。

劇団新劇場は1961年に設立され、これまで71回の定期公演を重ねてきたという。本作初演の2010年に札幌市民芸術祭の大賞を受賞。歴史、実力ともにある、北海道の演劇を支えてきた劇団だ。

じっさい、劇を観ればよくわかる。主役の小林久美を演じる斉藤和子の品と奥深さ。その夫役の鹿角優一(「劇団新芸」。齊藤誠治とのWキャスト)のはつらつとしたユーモア。戦争で離ればなれになった男・坂崎真吾を演じた山根三男がかもしだす、数十年におよぶ秘めた思い。

熟練の役者たちが見せてくれるのは、人間それ自体だ。人間としての喜び、人間としての悲しみ、生きるとはどういうことなのか。舞台でそれを表現するのは、一朝一夕にはできないだろう。札幌にもうまい若手俳優は何人もいるが、はたしてあの領域にまで達するには、あと何十年を要するのか。

そして、坂崎の娘を演じる高野吟子。昨年、今回とおなじ劇場、PATOSで『マグノリアの花たち』でも観た。演劇シーズンでは2016年夏にやはりPATOSで吟ムツの会『八百屋のお告げ』で好演していた。ガガガガガ!とたくさんの言葉をいっぺんにしゃべるときに、うるさくなく自然に伝えることのできる話術を持っている。劇団新劇場では年齢として中堅どころ(という位置づけでいいのだろうか?)であり、こういううまい役者がしっかり脇を固め、さらに若手が生き生きと演じていた。

小林久美の若き日を演じる栗原聡美の力強さ。踏まれても踏まれても生き抜いていこうとする生命力。坂崎真吾の若き日は玉田裕太。本当に戦時中から兵士を連れてきたかのような神経の張り詰め方。

年代の違う役者たちが、舞台の上で過剰にではなく、にじみ出るようにそれぞれのよさを発揮する、これは演出・山根義昭の力によるところも大きいだろう。

そして、やはり山田太一の脚本。2時間を2時間に感じさせない緻密な設計で、グイグイと引きこんでいく。注意深く劇を観てほしい。戦争パートで出てくるのは若き日の久美と坂崎だけ。そこでの壮絶な体験は、ほぼ久美による語りで説明されている。「~は~でした」というように。しかし僕たち観客は、本当にその場面を目撃したかのような衝撃を受ける。語り、それのみなのに。山田太一のマジックと、演出の技量、そして役者の努力がそれをつくりだしていた。

最後に。これは戦争の悲惨さを伝える反戦劇であると同時に、数十年のときを越えたラブロマンスでもある。さらにもうひとつ描かれていることがあって、それは人間という孤独だ。

戦争で離ればなれになった久美と坂崎は、50年以上、誰にもそのことを話せなかった。夫にも妻にも、家族にも。ふたりにとっての戦後は、さまざまなことがあったが、平穏で幸せな日々だっただろう。それでも心に影が、長い影が差しつづけていた。そのまま人生を終える可能性もあっただろう。それで不幸だとは言われないだろう。しかしふたりは違った。坂崎がかけた一本の電話が、ふたりの影を、消すかもしれない。

山田太一はこの劇を、反戦という物語のみにはしなかった。ラブロマンスという世俗だけに落とすこともなかった。人間、それ自体を見つめ、その影にスポットライトをあてて、照らす。そこに、山田太一の希望、あるいは願望がある。影は、消えただろうか。劇場に行って、観てほしい。

島崎町(しまざきまち)
1977年、札幌生まれ。島崎友樹名義でシナリオライターとして活動し、主な作品に『討ち入りだョ!全員集合』(2005年)、『桃山おにぎり店』(2008年)、『茜色クラリネット』(2014年)など。2012年『学校の12の怖い話』で作家デビュー。2017年に長編小説『ぐるりと』をロクリン社より刊行。縦書きと横書きが同居する斬新な本として話題に。
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