ゲキカン!


ドラマラヴァ― しのぴーさん

 実はもっと奥が深いんじゃないか。初演を観た時に感じた、物語の奇妙さと演劇だけが持っているドライブ感を思い出した。やっぱり、この芝居はクセになる面白さがある。韓国の若手劇作家、イ・ミギョンの手になる「そうじゃないのに」を原作に、プロデューサーの木村典子が翻訳し、斎藤歩が北海道という韓国とは異なった実社会を重ねて劇的妄想をまぶした脚色が、やはり秀逸である。原作の持つ物語力にひかれた斎藤の嗅覚もさすがだが、自らのワールドに引きつけて仕上げてしまう匠の技がある。登場人物も5人と少なく、斎藤の十八番ともいえる「亀、もしくは…。」のように、再演を重ねて熟成させられる、イタリアンワインに例えれば、ネッビオーロやサンジョベーゼのごとく長熟に耐えられる濃密な品種のような味わいがあった。
 初演は2017年5月。前年の選挙で圧勝した小池百合子東京都知事が、「東京大改革宣言」なるものをぶち上げて、都民ファーストの会なるものを結成。東京都議会選挙を前に大旋風を起こしていた頃だった。劇中、アジア象に踏みつけられ、その長い鼻で投げ飛ばされ瀕死の重傷を負うのは、5期目をかけて道知事選を戦っている現職の「高梨みはる」だ。初演の時の僕の想像の中では、大通公園の澄んだ青空高く舞飛ばされたのは、グリーンの勝負スーツを身にまとった小池都知事の姿だった。今回の再演を見た後に、既定路線ではあったのかもしれないけれど、高梨知事、いや、(われらの)高橋はるみ知事が5期目の知事選出馬を表明したことが報じられた。いやいや、はるみちゃんもくせ者じゃないの。「もりかけ」でも「公文書改ざん」「セクハラ」でもビクともしない安倍一強の閉塞感というか、正直うんざりした政治状況を見切ったような台詞劇。多分、原作の「そうじゃないのに」を観たら、韓国語の台詞の音の強さと速さを考えると、日本語字幕が追いつかないくらいのスピード感があっただろうし、韓国の置かれているリアル地政学や政治風土を重ね合わせると相当に刺激的な舞台だっただろうと、私用で見比べられなかったことを口惜しく思った。
 3頭のアジア象の「暴走」は、パレードの調教師でもあった飼育員(川崎勇人)を不条理な状況に追い込む。政治的テロだと警視庁からきた公安刑事(斎藤歩)は決めつけ、精神科医(山野久治)は生きものに固執した性倒錯症だと持論を主張する。同僚の飼育員(前田透)も、彼は普段から象舎に寝泊まりして…(ちょっとここでは書けない)と証言して、医師の見立てを補強する。息子を助けに現れた母親(原子千穂子)は、息子は幼い頃から何でも逃がしてしまう性癖があった。論より証拠、お父さんを逃がしたのも実はこの子なんです、と弁明する始末。僕は、札幌座の「飛び道具」女優である原子の大ファンでスペシャルドラマにも出てもらったことがある。原子に和装させたセンスは素晴らしいと思った。
 追い詰められた飼育員は叫ぶ「象じゃないのに」と。原作の「そうじゃないのに」をパロティにしている訳では決してない。これは僕の想像に過ぎないが、ここからの劇の終盤が原作とは違っているような気がする。「父を母という檻から逃がした」息子というのは間違いなく伏線のはずで、原作ではきっと回収されていたのではないだろうか。斎藤バージョンでは、象の言葉が理解できる主人公は、象になりたいという変身願望があり、象たちが企んでいた遁走計画に荷担することで擬似的に象化しようとする。だが、撃ち殺された象の霊に「君は象になれないよ。だって、君は人間だからさ」と軽く言われてしまう。一人異次元のような人間世界に取り残される主人公。さらに想像をたくましくすると、原作では逆ではないかと妄想するのだ。つまり最後、主人公は全てを投げ捨てて象に変身してしまうトカ。カフカのように。そこに父親が絡んでくるトカ。僕の劇的妄想はしょせんその程度のものなので、本作に戻ろう。
 70分という短い劇で、イマジナリーラインを超えるエンディングにたどり着くのが、やはりこの劇の肝だと思う。性的にも未発達で、家庭の中でも母親がアルファ・メスのように絶対上位にいて父性が欠如した環境で育った(と劇中設定で思われる)飼育員を演じる、東京乾電池の川崎勇人の身体と芝居らしくない芝居が味わい深くベースを支えている。札幌の演劇シーンで川崎のようなタイプは思い浮かばない。
 川崎の台詞にあった「マスト期」なる言葉を調べてみた。象さんは、あんなにつぶらな瞳で図体こそデカいけれども温厚な生きものだと思っていたが、大間違いだった。オスには「マスト期」と呼ばれる男性ホルモンが異常に分泌される時期があって、常にいらいらして攻撃的になり、飼育員の命令も聞かず、近づこうものなら殺そうとすらするそうだ。メスも出産後などに異常興奮時期があって、何かの拍子に自分の子どもですら攻撃するとか。実際に、子象を守ろうとして象舎に入った飼育員が襲われて亡くなった事件もあってひどく驚いた。とすると象は極めて飼育しにくい動物ということになりはしないだろうか。だから、象との信頼関係を築くために、飼育員は寝食を共にして象のミカタだからと信じ込ませる必要があるのかもしれない。そう考えると、この劇にはハードエビデンスがあるような気がしてきた。斎藤は、シーズンのパンフレットにこう書いている。「今年、円山動物園の新しい象舎が19億7,964万円の落札金額で、9月20日までに完成し、秋にはミャンマーから4頭の象がやってくるそうです」えっ、やってくるって、あの、象さんがですか。4頭も。

ドラマラヴァ― しのぴー
四宮康雅、HTB北海道テレビ勤務のテレビマン。札幌在住歴27年目にしてソウルは未だ大阪人。1999年からスペシャルドラマのプロデューサーを9年間担当。文化庁芸術祭賞、日本民間放送連盟賞、ギャラクシー賞など国内外での受賞歴も多く、ファイナリスト入賞作品もある米国際エミー賞ではドラマ部門の審査員を3度務めた。劇作家・演出家の鄭義信作品と故蜷川幸雄演出のシェークスピア劇を敬愛するイタリアンワインラヴァ―。一般社団法人 放送人の会会員。著書に「昭和最後の日 テレビ報道は何を伝えたか」(新潮文庫刊)。
作家 島崎町(しまざきまち)さん

ハッキリ言って好みだ。けっこう好きなジャンルなんです。

札幌座『象じゃないのに…。』は、不条理劇だ。そんなこと言ってしまうと、なんだか小難しい劇と思われるかもしれないが、違う。不条理劇は、個性的なキャラクターが生み出す笑いを楽しんでいたら、いつのまにか知らない場所にたどり着いていた、そんな愉快なジャンル。

たとえば、札幌座のレパートリーである『亀、もしくは…。』や、有名作『ゴドーを待ちながら』なんかもそう(ゴドーは12月に斎藤歩、出演&演出で上演されるらしい。これは超楽しみ!)。

不条理劇は、笑いとの相性がいい。ズレ、というのは笑いを生み出す装置のひとつだと思うんだけど、不条理劇にはズレがたくさんある。たとえば劇の設定が、現実的でありつつ非現実的だったりする。その境目を行ったり来たりするときに笑いが生まれる。

さらに、起こる出来事が、正常と異常の狭間にあって、ズレの宝庫。出てくる人物も、通常の枠からズレた人物が多い。設定や出来事、人物のズレをかけあわせて、もう笑うしかない状況ができあがる。そんな不条理劇に出会えば、きっとあなたも不条理劇ファンになること間違いなし。

本作はその、いい不条理劇の見本のような作品。おかしな人物がしゃべったり動いたりすることによって笑いが生まれ、最後は、なんでこんな心境になってしまうんだろう、という境地にまで僕らを運んでくれる。

象にただならぬ愛情をそそぐ飼育員(川崎勇人、劇団東京乾電池)は、パレードで象が暴走し、知事を負傷させてしまった責任を問われる。病院とおぼしき場所に留置され、まず医師との会話がはじまるのだけど、この精神科医を演じる山野久治(風の色)の、迫力のある軽さ、のようなものがもうおかしい。

そこへ、今回の事故を取り調べる刑事(斎藤歩)が登場する。猛烈なセリフをはきつづけるさまは圧巻で、見所のひとつだ。この刑事のキャラクターを、ディストピアもの(不条理劇とは仲のいい兄弟のようなもの)によく出てくる冷たい公務員(取調官)といった風にもできるはずだが、ここでは、なにかあやうさを感じさせる人物のように見える。

ディストピアものの取調官は、冷たさと頑(かたく)なさゆえに、背後にある国家やシステムの堅牢感が際立つが、本作の刑事のゆるさは、現実社会でいままさに崩壊しつつある国や制度(憲法や法律や行政システム)が透けて見える。刑事が長々と話す内容に耳をすますと、言ってることの滑稽さにおかしくなるが、まるでどこかで聞いたことのある話だなあと思った瞬間、ゾッとする。「おかしい」という言葉には、「笑える」以外にも意味はある。

刑事のあとに登場するのが同僚飼育員(前田透、劇団・木製ボイジャー14号)で、彼の話すエピソードの、なに言ってんの感は最高。ムダに記憶残ってしまって困る。つぎに出てくる飼育員の母(原子千穂子)は和服姿で、この人がどんな母親なのかがわかってくると、和服のキッチリ感の意味もわかってくる。

そのあと、もうひとり(?)出てくるのだけど、それはお楽しみ。このシーンになって、とつじょ劇は変化する。簡易な(すばらしい)舞台装置しかないのに、出てきたキャラクターは特殊なこともせず、むしろチープ感があるのにもかかわらず、ほんと、魔法にかけられたようにグッと引きこまれる。

どうしてこんなことができるのだろう。それまで着実に積みあげたセリフ、シーンのおかげなんだろうか。それとも演出力なのか、俳優のよさなのか。ともあれ終盤、大げさに言うなら奇跡のようなシーンが生まれる。この、美しくもせつないシーンを、ぜひ観てほしい。言葉にできない感情が心にあふれる。演劇の、本当にいい部分だと思った。

最後に、なぜ象なんだろう。この舞台を観てすぐに思い出すのが、ポーランドの作家スワヴォーミル・ムロージェクの『象』という短編だ。動物園の園長が経済的という理由で、ゴムに空気を入れた象の偽物を置くのだけど、ラスト、象は風に飛ばされていなくなってしまう。『象』も『象じゃないのに…。』も、別の動物に置き換えると、なにか、違う。象じゃなきゃダメなんだ。

僕たちはいったい、象になにを見ているのだろう。

島崎町(しまざきまち)
1977年、札幌生まれ。島崎友樹名義でシナリオライターとして活動し、主な作品に『討ち入りだョ!全員集合』(2005年)、『桃山おにぎり店』(2008年)、『茜色クラリネット』(2014年)など。2012年『学校の12の怖い話』で作家デビュー。昨年6月に長編小説『ぐるりと』をロクリン社より刊行。縦書きと横書きが同居する斬新な本として話題に。
ライター・イラストレーター 悦永弘美(えつながひろみ)さん

「象が逃げてねぇ、それはそれは大騒ぎだったんだよ」
というのは幼い頃、母から何度も聞かされた昔話だ。
今から60年ほど前、札幌まつりの恒例となっていたサーカス小屋が突然火を吹いた。逃げ惑う人とやじ馬で、辺りは大騒然。ちょうどこの時、出番を控え、鎖を外されていた象のユウコは、騒ぎと炎に驚いて火の粉を浴びながらテントを脱走。創成川を越えて民家に突進し、怪我人を出してしまったそう。
「サーカス小屋から象が逃げ出した」、というこの話は子どもだった私にとって、恐ろしい出来事ではあるけれど、どこかおとぎ話のように聞こえたものだ。煌びやかなサーカス小屋からぐんぐんと遠ざかる象の姿を何度も想像したりした。
そんなこんなで、本作「象じゃないのに…。」は、私的に「60年の時を経て再び札幌の街を象が駆け抜けた!」という勝手な感慨があった。
二足倒立でパレードを行なっていた象たちの大反乱。動物園を飛び出して、人々を蹴散らし、大通公園を東に走り続け、西11丁目の交差点の警察による包囲網も突破。ついに選挙演説の会場に到達した象は、現職の道知事を踏んづけた挙句投げ飛ばしてしまった……。
容疑者として事情聴取を受けている飼育員、テロだと決めつけてかかる警視庁の公安刑事、容疑者は心の病を抱えているのではと言う精神科医、容疑者と象によるとんでもない現場を目撃してしまった同僚飼育員、そして息子を溺愛しているものの、やたらと縛り付けているように見える母という、5人の登場人物によって物語は進んでゆく。
主役の飼育員を取り巻き、「心の病だ!」、「テロだ!」、「逃がしてあげたいという本能だ!」とそれぞれが好き勝手に持論を展開。一つの事件に対して、立場の違う人々があらゆる解釈をするのだけれど、どれも妙に説得力があり、観ている私もいちいち納得してしまうほど。あぁ、真実はどこへ!?とドキドキしながらも、しまいには変態説までも浮上し、飼育員本人を置いてきぼりに、話がどんどん飛躍してゆく様がどうにもこうにも面白い。飼育員役の川崎勇人さんの板挟みになり、自分の言葉が押し込まれてゆく演技が素晴らしい。劇中に出てくる道知事や都知事はどう考えてもあの女性たちだし、首相はあの方だし、と日本の政治社会を背景に風刺を効かせたセリフの数々はこの上なく逸品で、とにかく笑えて笑えて仕方なかった。
しかし、大いに笑いながらも、誰も自分の言葉に耳を傾けてくれず、意思疎通ができずに追い込まれてゆく飼育員の姿には、歯がゆさを感じると同時に、真実が埋もれてゆく空恐ろしさも覚えた。3人それぞれが自分たちの思う真相を演説するたび、口を閉ざしてゆく飼育員の姿には、気づけば施行から1年が過ぎてしまった共謀罪の存在や、日々報道されるワイドショー的な政治スキャンダルにまみれながら、いつの間にかぼんやりとしてしまっている今の日本の現状を見てしまう。「これでいいのか?」「もう、これでいいや」という、知らずに私たちが繰り返してしまっている問答が、物語の背景にじんわりと浮かび上がっているような気がしてならなかった。
飼育員は精神科医とも、刑事とも、母とも、すべて平行線だった。果たして大切にしていた象たちとはどうだったのだろうか……?
劇場を出て、地下鉄に揺られながらも続く余韻に浸りながら、ラストのおとぎ話のような世界の中で、パオが放った言葉を思い出し、胸がホロリと痛むのを感じた。

悦永弘美(えつながひろみ)
1981年、小樽市出身。東京の音楽雑誌の編集者を経て、現在はフリーのライター兼イラストレーターとして細々活動中。観劇とは全く無縁の日々を送っていたものの、数年前に演劇シーズンを取材したことをきっかけに、札幌の演劇を少しずつ観るようになる。が、まだまだ観劇レベルはど素人。2015年、仲間たちとともに短編映画を制作(脚本を担当)。故郷小樽のショートフィルムコンテストに出品し、最優秀賞を受賞したことが小さな自慢。
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