ゲキカン!


ドラマラヴァ― しのぴーさん

 生温い、口当たりのよいものがなぜかもてはやされる札幌の演劇シーンに少なからず嫌気と観客としての虚しさを感じて、オーバーにいえば演劇好きの看板を下ろそうかと考えていた。いわば表現から遁走しようとしていた僕の前に現れたのは、久々の「劇」だった。なんだ、これは。この台詞の力強さ、役者の強靭な身体、そして劇場をこの世にあらざるべきなにかに変えてしまう魔力のような演出。演劇にしかなしえない矢を放ち、多くの観客の心を深くえぐっただろう。アングラというなかれ、寺山修司の時代のアングラとはシステムに掉さすカッティングエッジな表現集団だったのだ。
 風触異人街をしても(僕は前説や人物相関図が観劇を深めるものとはまったく思わないという立場である)、ポップな前説や人物相関図、しかも観客のリフレに差し込まれ、さらに前説でPCからプロジェクターで投影するという、とても、この「トロイアの女たち」が初演された紀元前(!)415年とはかけ離れたツールを用いなければ、この悲劇は悲劇として受け止められないのだろうか。などと考えていると、いつのまにか芝居は始まり、コンカリーニョはダークマターに包まれていった。
 とにかく、風触異人街の看板女優である三木美智代の異形さ、そして滔々と吐き出される台詞術の確からしさは圧巻。必見と言っておきたい。三木の身体性は完全に劇を支配していた。三木演じる敗戦国、トロイアの王妃ヘカベを取り巻く13人の女たち(コロス)もよく効いていた。三木が演出した舞踏の振付、ダンス振付の柴田詠子はいい仕事をしたと思う。
 「トロイの木馬」の奸計によりギリシャとの10年にも及ぶ戦争はトロイアの敗戦に終わる。男たちは全員殺され、女たちは奴隷や妾として売られていく。巫女として神殿に仕えていたヘカベの娘(巫女、つまり処女である)はギリシャ軍総大将の妾に決まった。劇でもいっているが死ぬまで終わることのない性的奴隷である。そして、おそらく一人残った男子であろうヘカベの孫にあたるアステュアナクスは城壁から投げ落とされる。ヘカベの息子、パリスとギリシャの強国、スパルタ(映画「300」でもその勇猛さはうかがい知れる)王妃ヘレネとの駆け落ち話の因縁はあるのだが、それはわきに置いておくとしよう。宵闇迫る頃、無残なアステュアナクスの遺骸がヘカベのもとに運ばれてから一気に魅せる。せめてもの弔いの最中に、火をつけられたトロイアは炎上し、町を焼き尽くす紅蓮の炎の中、すべてを失ったヘカベらトロイアの女たちはギリシャに引き返す憎き敵の船団に連行されていく。徹底して無慈悲でどこにも救いがなく残酷である。蛇の生殺しのような現実を前にして、女たちはこれからどう生きていくのだろうか。これが戦争の正体だ、と思えば反戦劇と言えるだろう。だが、それだけが、この芝居が優に二千年もの時代を超えて生き抜いてきた理由ではないだろう。殺戮、嫉妬、復讐、絶望、冷酷、侮蔑。そういった人間が持つ暗黒面を剥き出しにしている劇でもあるだろう。そうした状況に置かれてもなお、人は生きていくのである。絶望の中にある残酷な生の在り様が「悲劇」として、時代や社会を重ね合わせて観客に提示できる懐の深さがこの劇にはある。そういえば、亡くなった蜷川幸雄がイスラエルとの国際プロジェクトとして上演したのが、この「トロイアの女」だった。戦争とは究極の暴力である。決して僕たちから遠いどこかにいるのではない。隣人として、ときには僕たちの中に「戦争」は棲んでいる。
 終劇が実に力強い。ヘカベらは絶望し憔悴しているはずなのに、運命に立ち向かうように前を向いて、歩んでいく。ジェンダーではなく、ここは女たちであることに意味があるだろう。人物の造形を優れた意匠で浮かび上がらせ、主題を見事に切り出してみせた演出のこしばきこうに心から拍手を贈りたい。札幌演劇シーズンは初演で好評だった芝居が選ばれて再演される演劇祭である。こうでなくては、ささやかな演劇ファンとしては困る。演劇の持つ物語力に改めて感じ入った素晴らしい芝居だった。今年のTGRでは、あの「身毒丸」に挑むという。ぜひ、大暴れして欲しい。

ドラマラヴァ― しのぴー
四宮康雅、HTB北海道テレビ勤務のテレビマン。札幌在住歴27年目にしてソウルは未だ大阪人。1999年からスペシャルドラマのプロデューサーを9年間担当。文化庁芸術祭賞、日本民間放送連盟賞、ギャラクシー賞など国内外での受賞歴も多く、ファイナリスト入賞作品もある米国際エミー賞ではドラマ部門の審査員を3度務めた。劇作家・演出家の鄭義信作品と故蜷川幸雄演出のシェークスピア劇を敬愛するイタリアンワインラヴァ―。一般社団法人 放送人の会会員。著書に「昭和最後の日 テレビ報道は何を伝えたか」(新潮文庫刊)。
作家 島崎町(しまざきまち)さん

前知識など仕入れずに、とにかくガツンと舞台を感じたい、そういう人はぜひこのままコンカリーニョに行ってほしい。うむを言わさぬ圧倒的な悲劇を、リズムと言葉と舞踏で感じてほしい。

ただもしも、ストーリーや背景などを理解しながら楽しみたいなら、山形治江訳の『トロイアの女たち』(論創社)はぜひオススメ。今回の舞台もこの翻訳を使っているのだけど、訳がすばらしい。生き生きとしている。

解説も充実していて、この物語以前になにがあったのか、トロイアの女たちの悲劇のあとになにが起こったのかなど、トロイア滅亡を中心とした歴史を、俯瞰的に知ることができる。本作の理解がかなり進むことは間違いない。とにかく良書。

今回の舞台は、「子どもたちにもわかるギリシャ悲劇」をめざしたとのことだ。どういう状態になればわかったことになるのかは諸説あるとして、すくなくともストーリーや関係性を明快にハッキリわかるとなると、やや厳しい部分もある。もちろん、それをおぎなってあまりあるものがこの舞台にはあるのだけど。

劇団側も、パンフレットや前口上で、人間関係やストーリーを説明しようと腐心しているので、いらぬお節介かもしれないけれど、ここで、最低限これだけわかってれば大丈夫という3つのことを解説したいと思う。

【舞台】
まず本作は、トロイア戦争で負けたトロイアが舞台。勝ったのはギリシャ連合軍。

【戦争の原因】
すっごい美女のヘレネが原因。彼女はスパルタの王(メネラオス)の妻だったんだけど、いろいろあってトロイアの王にとられてしまった。だからスパルタを中心としたギリシャ連合軍が攻めてきた。舞台下手にいる美女がヘレネ。で、途中出てくる王がその夫(メネラオス)。

【物語の見方】
負けたことにより、トロイアの王妃・ヘカベに、つぎつぎと悲劇が襲ってくる。それらに直面してヘカベはなにを語るのか。ここが見所!

と、これらをふまえておけば、基本楽しめる舞台。リズムに酔うもアリ、言葉の洪水におぼれるもヨシ、荒れ狂う肉体にうっとりするのも一興。

個人的には今回、ギリシャ悲劇というものをはじめてちゃんと観たのだけど、ああセリフ劇なんだなあと思った。それも、非常に理性的な言葉で感情が描かれている。なのに、理性ではとうてい割りきれない悲劇が登場人物を襲い、感情を爆発させる。その、理性と感情のせめぎ合いなんだ。

それは、原作者・エウリピデスと翻訳者・山形治江が作り出した言葉の力によるものなんだけど、舞台の上に出現させるためには、なにより役者の力が本当に大きいのだと、あらためて感じた。

トロイアは破れたが、王妃ヘカベは負けない。どんな悲劇が襲おうと、彼女は屈しない。その姿を表現した、三木美智代。図抜けた表現力は圧倒的で、身体、そして言語の使い手だった。

そんな三木とセリフで渡り合えるものは少ない。今回の舞台では、アンドロマケを演じた堀きよ美、メネラオスの齋藤雅彰との舌戦は、さすがの見応えだった。言葉を自分のものにできているものだけが、2000年以上も前に書かれた劇曲を現代によみがえらせることができるんだろう。

悲劇、敗戦、女たち……それらをいま舞台でやる意図はなんなのか。観た人がどう感じるのかはその人しだいだけど、僕は、理不尽に死んでいくものの中にあって命の光りを燃やし続けるヘカベの輝きに、未来を見たような気がした。

島崎町(しまざきまち)
1977年、札幌生まれ。島崎友樹名義でシナリオライターとして活動し、主な作品に『討ち入りだョ!全員集合』(2005年)、『桃山おにぎり店』(2008年)、『茜色クラリネット』(2014年)など。2012年『学校の12の怖い話』で作家デビュー。昨年6月に長編小説『ぐるりと』をロクリン社より刊行。縦書きと横書きが同居する斬新な本として話題に。
ライター・イラストレーター 悦永弘美(えつながひろみ)さん

 うーん、ギリシャ神話かぁ・・・・観劇前、率直に言うと不安であった。と言うのも、私の「ギリシャ神話」に関する知識は正直皆無だからだ。「トロイの木馬」=コンピューターウイルスだし、ポセイドンやアテナは漫画(聖闘士●矢)の中で聞いたことがあるなぁというなんとも情けない状況。重ねて、これは私情になるが盆前の駆け込み案件に追われており、私はドロドロに疲れていた。知識もなく、体力もなく、脳みそがあまり働かないというコンディション的にはもう、なんというか最悪な状況。

 そうしたモヤモヤを抱えながら、ぼんやりと座席に腰を下ろしたのだが、結論から言うと・・・・「最高にカッコイイではないか!!!!!!」である。
 余計なものがないシンプルな舞台上。舞台装置は演者の身体そのものだ。舞台奥に鎮座する荒ぶるドラム、トロイアを滅ぼすギリシャ男たちの躍動感あふれる肉体の動き、そしてトロイアの女たちの苦悩にまみれた歩み・・・・これほどまでに刺激的で、完璧にカッコイイ舞台ってあるのだろうか!?

 ヘカベとアンドロマケの嫁と姑の会話に固唾を飲み、ヘレネを前にしたメネラオスには「いつの時代も男は美女に弱いよねぇ」と思わず怒り混じりの溜息を。
 そして女たちの身体から伝わる激しい悲嘆に、ヘカベの激情に、「戦争は人類が起こす何よりも愚かな行為である」ということを改めて思い知らされた。2500年以上も前の物語は、自分が想像するよりもはるかに近くで響いたのだ。

 演出ノートには「トロイアの女たち」には、現代の世界情勢、国内で抱える幾多の問題、人間関係の原点が含まれている、とある。
 国も時代も違うのに、神々の存在など思ったこともないというのに、こんなにも魂が揺さぶられるのは、なるほどそういうことか。
 本作は圧倒的な悲劇だ。
 ギリシャとの10年にわたる過酷な戦争の末、男たちは殺され、すべての希望は奪われ、略奪と暴力の中で過酷な運命をただひたすら待ち続けるトロイアの女たち。あれほど祈ったというのに、神は何ひとつ叶えてくれない、とヘカベが叫ぶ。救いなど存在しないのだ。しかし、圧倒的な絶望の中にいても、人は前に進もうとする。燃えたぎる復讐心ですら時には糧となり、進もうとする。悲しく、嘆かわしいけれど、鍛え抜かれた身体たちが叫ぶ戦争と人間の本質に迫る物語には、女たちの逞しさと美しさがあった。

 終演。場内はいつまでも拍手が鳴り止まなかった。
 無知だし、疲れているしーとぼやいていた観劇前の私は何処へやら。「カッコイイ!スッゲーカッコイイ!演劇とドラムは無双だな!すっごいの観た!すっごいの観た!」と語彙が失われるほど年甲斐もなく大興奮。隣に座っていた方、本当にすみません。っということで、もう一度観ます。

悦永弘美(えつながひろみ)
1981年、小樽市出身。東京の音楽雑誌の編集者を経て、現在はフリーのライター兼イラストレーターとして細々活動中。観劇とは全く無縁の日々を送っていたものの、数年前に演劇シーズンを取材したことをきっかけに、札幌の演劇を少しずつ観るようになる。が、まだまだ観劇レベルはど素人。2015年、仲間たちとともに短編映画を制作(脚本を担当)。故郷小樽のショートフィルムコンテストに出品し、最優秀賞を受賞したことが小さな自慢。
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