ゲキカン!


ライター・イラストレーター 悦永弘美(えつながひろみ)さん

 あぁ、演劇って面白いなぁ。
 終演後、客席に座る各々がこの物語について自問しているような、不思議な余韻が広がる劇場内で、私はしみじみそう思った。

 弦巻楽団の「センチメンタル」は最愛の妻を失った男の20年以上に渡る物語。決して忘れないと誓ったけれど、容赦なく流れる時の中で日常に戻っていく男の姿を描いている。

 本作は18年の時を経ての再演だという。心が悲鳴をあげるほどの切なさもあれば、声を出して笑ってしまう場面もあって、そのバランスがとても絶妙。繊細で端正な側面を持ちながらも、当時23歳だった弦巻啓太さんの「物語を創る」という気概が作品に満ちていた。主人公の秀深を演じた深浦佑太さんの佇まいも素晴らしく、時の流れの残酷さと、幸福さ、けれどやっぱり残酷だという葛藤や揺らぎを、途方もない感傷と共に苦しいくらいに体現していて、物語の奥底へと引き込まれる感覚ってこういうことなんだ、と何度も実感させてくれた。

 舞台美術も見事だった。舞台上には柱しかないのに、カーテンが風で揺らめく静かな白い病室や、古い本たちの香りがする放課後の図書室、テレビを囲むあたたかな家族のリビングが確かに目の前に広がっていた。演劇ならではの喜びと可能性を強く感じることができて、幸福な体験だったと思う。

「人は二度死ぬ」という言葉を時折耳にすることがある。
 一度目は自己の死、二度目は誰からも思い出されなくなった時の死だ。最愛の人のためならば、二度目の死を自分は受け入れることができるだろうか。正直結論は出ないけれど、誰でも良いから時々思い出して欲しいなと思う。「翼にのせて」という物語を残し旅立った静のように、何かを残して生きていきたいとも。

 これまで歩んできた人生や、出会いや別れ、観る者の経験によって、この物語の響き方は異なってくるだろう。残してゆく立場、残された立場それぞれに自分を置き換えて、「自分だったら」と考えを巡らせる。
 だから、本作「センチメンタル」に答えはないのだと思う。
 けれど劇場から出た瞬間、自分自身の物語を誠実に歩いていこうという気持ちにさせてくれる。物語の力というものを改めて思う。やっぱり演劇って面白いなぁ。

悦永弘美(えつながひろみ)
1981年、小樽市出身。東京の音楽雑誌の編集者を経て、現在はフリーのライター兼イラストレーターとして細々活動中。観劇とは全く無縁の日々を送っていたものの、数年前に演劇シーズンを取材したことをきっかけに、札幌の演劇を少しずつ観るようになる。が、まだまだ観劇レベルはど素人。2015年、仲間たちとともに短編映画を制作(脚本を担当)。故郷小樽のショートフィルムコンテストに出品し、最優秀賞を受賞したことが小さな自慢。
ドラマラヴァ― しのぴーさん

 20年にわたる愛妻物語。きっと妻への愛情の深さで観劇度合いが違ったりするのかも知れない。ずっと傷つけてばかりで、近頃では感謝の言葉すら口に出せなくなってしまった僕は、なにかを必死に思い出そうとしていた気がする。彼女と初めて出会った頃の気持ちとか、プロポーズした時の胸の高まり、そして初めて子どもを授かった日のこととか。その記憶は鮮明なのに、いざ手元にたぐり寄せようとすると現実的な質量がなく、ぼんやりとしていて、焦点の合わない写真のようだった。キツいなぁ。純愛って、憧れていたはずなのに、その気持ちっていつのまにか穢れていってしまうものなのだろうか。
 冒頭の短いシーンがとても印象的に提示される。主人公の小学校教師、時任秀深(深浦佑太)ともう余命幾ばくもない妻で児童文学作家の静(成田愛花)とが交わす会話が愛おしい。タブローもリリカルだ。深浦と成田の役者としての身体性で、成立しているところがすごい。静の死は描かれない。ただ、秀深は静と約束するのだ。静が生きて見届けることのできない未来を。シンプルに言えば、その未来を描く芝居と言えよう。
 時制の取り扱いは映像も芝居も難しい。回想ではなく時間軸がリニアに20年続くといろいろなことが秀深の人生に起きる。妻の死から立ち直り、教師としての日常を取り戻す。そんな時、母子家庭の姉妹の転校生とその母との出会い。静が未完のまま残した遺稿の謎。火事で全て燃えてしまった静との空間。物語はさまざまな手がかりという名前の伏線を張りながら巧妙に前へと進む。このあたりのアヤは弦巻らしく端正な味わいがある。人物の誇張やあざとい笑いへの持って行き方も嫌みではない。ただ、観客が裏読みしているところに乗っかってしまうと、説明的なシークエンスになり、芝居のトーン&マナーというよりは人物の心象がつながらない箇所があった。クリエイティブに飛びついているシーンもあれば、段取りに思えるシークエンスもあった。劇的暴力でつないでいるところは、もっとアクセントが欲しかった。のちのち、秀深の再婚相手となる島本頼子(袖山このみ)を運命的に引き合わせる頼子の長女、由羽(相馬日奈)。相馬は注目している若手女優の一人で、思い詰めたような強い芯のあるどちらかと言えば暗い佇まいがいい。遠くからでも眼力が感じられ、近づいたら斬るぞ的なオーラがある。未来で義父となる秀深と初めて図書室で出会うシーンの由羽はもっと攻めても良かったと思う。
 一際愛情深い時期に亡くした妻への愛情なんて振り切ることは誰にもできないだろう。「未来を一緒につくろう」という秀深の約束が、静のことを一生忘れないというものであれば、どんなに頼子や義理の子どもたちを愛していても、欠落した心の穴は誰にも塞ぎようがない。新しい家族との幸福な時間。完璧な幸せかもしれないと思えた時に、亡き静への深い思いが突然20年もの時を超えてこみ上げてくる。忘れられないことへの罪深さとともに。深浦佑太は台詞術も巧みで秀深の感情を最後までバックキャストして、実に深い芝居をしてみせた。
 考えてみれば結構残酷な終劇である。舞台には秀深の誕生日を祝ってくれる新しい家族との団らんが取り残され、秀深はかすかに微笑む静の面影の前でただただ号泣するばかりである。このラストは、弦巻の紡ぐ深さのある台詞立てと深浦と成田の役者の存在感で押し切って成立させている。
 この「センチメンタル」は弦巻が18年前に書いた作品だとリフレットにあった。作劇環境として厳しい時期に劇作家は置かれていたようである。そのせいだろうか、弦巻らしい端正さと同時に、何かを書き切ろうという荒々しさが同居した作品のように感じた。
 あなたは愛を知っているか。狂おしく誰かを愛したことはあるか。そして、その愛を失ったことはあるかと。その問いは、明らかにセンチメンタルである。でも、その問いに一体誰が答えられるというのだろうか。溶暗していく舞台の空間に、妻や子どもたちの姿が一瞬でも浮かんだ僕は、善人といえるのだろうか。

ドラマラヴァ― しのぴー
四宮康雅、HTB北海道テレビ勤務のテレビマン。札幌在住歴27年目にしてソウルは未だ大阪人。1999年からスペシャルドラマのプロデューサーを9年間担当。文化庁芸術祭賞、日本民間放送連盟賞、ギャラクシー賞など国内外での受賞歴も多く、ファイナリスト入賞作品もある米国際エミー賞ではドラマ部門の審査員を3度務めた。劇作家・演出家の鄭義信作品と故蜷川幸雄演出のシェークスピア劇を敬愛するイタリアンワインラヴァ―。一般社団法人 放送人の会会員。著書に「昭和最後の日 テレビ報道は何を伝えたか」(新潮文庫刊)。
作家 島崎町(しまざきまち)さん

セリフの力を信じてる。そう感じた。

20年にわたる、ある男の物語。それは、ある女性の物語でもあるし、周囲にいる人たちの物語でもある。喜びや悲しみ、苦悩や希望、それらをセリフでつくりあげている。

弦巻楽団『センチメンタル』。初演は2000年だという。18年後の再演、劇場も役者も時代も違う。シナリオを、セリフをどう変えたのか、わからない。だけど当時23歳の弦巻啓太が、自分の言葉で世界をつくろうとしたのがうかがえる。人をつくり世界をつくり、物語をつくる。

若さからくる自信なのか、それとも、とめどない創作意欲をあふれる言葉にぶつけたのか。それが、ここちよい。観客の何歩も先をいき、まだ見ぬ地平を切り開いて、どうだこの世界は、と提示してくる。みなぎる才気だ。セリフと、セリフがつくる物語への情熱がある。

その世界をつくりだす役者たちがすばらしい。いま札幌でいい役者は? と聞かれたら、yhsの櫻井保一と、本作の主演・深浦佑太(プラズマダイバーズ)をあげる。深浦は端正な演技で、澄んだ弦巻脚本のよさを引き出す。うちにためているが、ある瞬間にガン! と感情を出す。その苦悩や憤(いきどお)りの中に、本人すらわからない感情をも吐き出している。それがとてもよかった。むずかしく、入りこむだけで負担のかかる役だったと思うが、多くの人の賞賛によって報われると思う。

妻・静を演じた成田愛花(劇団ひまわり/あづき398)と、教え子の母・頼子を演じた袖山このみ(words of hearts)の動と静、生と死の対照的な演技もよかった。妻・静をメインとした冒頭。数分で客席から嗚咽が漏れはじめ、この感じで1時間数十分つづいたら劇場はいったいどうなってしまうんだろうと、それくらい観客の心をつかんでいた。冒頭は静謐で、神秘的ですらあった。

いっぽう人間的である頼子の物語は、この劇のあとに、深みを増す。なぜなら、主役の秀深(ひでみ)の20年間を観終えたあと、これだけの喜びや苦しみ、人生の物語が、もうひとりぶん、頼子の側にもあるとわかるからだ。妻・静と頼子の対比と書いたが、秀深と頼子も合わせ鏡になっている構成は、見事だ。

脇を固めるのは、主任教師・五所瓦(ごしょがわら)の松本直人、編集者で友人役の塩谷舞。味のある好演で、ここがしっかりしていないと世界が崩壊してしまう。このふたりがいることで、主役のまわりに社会が形成されていた。特に塩谷舞は、この舞台の影のMVPだと思う。

村上義典は、小細工ではなくストレートに編集者を演じ、好感が持てた。ちなみに、2年も原稿を追うあの編集は有能だ(笑)。(あの小説は、最終回は書かれたけど雑誌に掲載されなかった、とした方がいいような気がする。雑誌に掲載されたのであれば見つかる可能性は高く、少なくとも国会図書館にはあると思うので)

同僚教師役の井上嵩之(劇団・木製ボイジャー14号)のコメディー感は、暗くて悲しい話にならないための、必要なピース。そっち側に引きずられずに徹底していた。

教え子の由羽を演じた相馬日奈(島田彩華とダブルキャスト)は、言葉を大事にしている感が伝わった。セリフひとつひとつの意味、感情を漏らさずにハッキリ言う。その姿勢が由羽という人物と重なる。

由羽の妹・真奈は、ぜひ観てほしい。演じる木村愛香音の熱演もあって、今作一の怪人物……という表現が適当かどうか。日本の現代史をひとりの人物でなぞるという出色のこころみだ。

演劇シーズン2018夏も本作が最終ランナー。演劇シーズンは集客もあるし、どこかお祭り気分で、派手なコメディーが好まれるし、実際よくあう。本作も、笑いを入れようと思えばいくらでも入れられただろう(もちろん笑いもたくさんあるのだが)。しかし、あえて過度な笑いに走らずに、描くべきものを信念を持って描いているように見えた。

最後、物語が終わって、セリフはもうない。なのに、その空白に僕たちは感動をおぼえた。ひさびさに完璧なエンディングだった。いい舞台にはいいセリフがある。すると不思議なことに、セリフのない部分すらもかがやいてくる。

言葉をつらね、思いを描き、感情をつみあげることで、いまこの地、この場所、あの空間でしかなしえないものを、つくりだしていた。こういう舞台を「美しい」というんだろう。

島崎町(しまざきまち)
1977年、札幌生まれ。島崎友樹名義でシナリオライターとして活動し、主な作品に『討ち入りだョ!全員集合』(2005年)、『桃山おにぎり店』(2008年)、『茜色クラリネット』(2014年)など。2012年『学校の12の怖い話』で作家デビュー。昨年6月に長編小説『ぐるりと』をロクリン社より刊行。縦書きと横書きが同居する斬新な本として話題に。
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