ゲキカン!


ドラマラヴァ― しのぴーさん

 ものすごい熱気だった。ベンチシートを入れて入れてもまだ足りず、客席の見切れ席も大開放。老若男女(!)びっしり超満員!今回のBLOCH公演、トータル1,000人超えたのではないか。札幌に演劇シーンというものがあるのであれば、間違いなく「新しい風」が吹いていることを実感した新鮮な驚きがあった。里美ユリヲの一発ギャクを入れつつ手数を繰り出したドライブ感たっぷりの本がとてもいい。台詞が呼吸しているというか、とにかくよく書けている(印象的には男性の書いたものだろうと思ったが、どうだろうか)。過剰なくらいサービス精神にあふれた遠藤洋平の演出は、よく役者を動かせていたし、BLOCHのサイズにぴったり合って楽しかった。なにより女優たちのキャスティングが何より秀逸で面白すぎ。ほぼ当て書きされたとおぼしき女優もちらりほらり。芝居巧者の女優たちが、実に楽しそうに役を演じて見事に跳ねていた。
 「きまぐれポニーテール」は、札幌を拠点におもしろい企画を考えるユニット。通称、「きまポ」。「機会があったら観ておいた方がいいよ、面白いから、彼女」彼女とは、「きまポ」代表の寺地ユイのこと。そう芝居好きの友人から聞いていたけれど、いくら女優フェチとはいえ、若い女優さんの追いかけをする年でもなくなったので……。BLOCHプレゼンツの「LONELY ACTOR PROJECT」を共同開催した、「番外編〜みたことがないがみたい〜」(2017年9月)は、とても面白そうだったけれど、仕事にかまけて行けなかったことを後悔した。
 曽我夕子、池江蘭、寺地ユイ、塚本奈緒美、五十川由華、五十嵐穂、小川征子と女優好きにはたまらないキャスティング。これも寺地の手になるモノか。塚本のすっぴん役で入れ替わる田所竜一もおかしい。入れ替わられる側の塚本も持ち味全開だったし。寺地ユイはずっと体温の低そうなゲーム中毒アラサー女子のもさっとした感じがいい味だったし、池江はブチ切れっぷりをウイットたっぷりに怪演。曽我はyhsでは観れない魅力を発見したり。初めて観たけれど、五十川はサイコー。コメディにはこういうキャラ立ちの役者が絶対に必要だ。また、うざったい乙女キャラを好演した五十嵐は素材感を感じた。
 男子禁制、謎の大家さんがいるちょっと訳ありのシェアハウスが舞台。劇の仕掛けとか見どころはあるけれど、とにかくドストライクな女優コメディ。
小川演じる大家さんを伏線として置くためのエピソード回が少し説明っぽくなって中弛み感があったが、ラストはファンタジックに回収できたのではないか。
ドラマプロデューサーの経験から言えば、女優ってリアル面倒くさい。でも、女優は地元の役者力の指標でもある。札幌の女優陣は素敵だなと改めて感じた。
 寺地ユイ。セルフプロデュースできるって才能だと思う。また、舞台で演じることへの愛情や誠実さがとても感じられた。終演後に、他の劇場でやっているお芝居にもどうぞ足を運んで演劇の楽しさを感じて下さいと話していたけれど、正直、こんな真っ直ぐな言葉を札幌の演劇人から少なくともシーズンで聞いたことがない。ぜひ、「きまポ」には演劇シーズンの常連になってもらって、お芝居の楽しさを多くの人たちへ伝えるエヴァンジェリストになって欲しいと思う。

ドラマラヴァ― しのぴー
四宮康雅、HTB北海道テレビ勤務のテレビマン。札幌在住歴27年目にしてソウルは未だ大阪人。1999年からスペシャルドラマのプロデューサーを9年間担当。文化庁芸術祭賞、日本民間放送連盟賞、ギャラクシー賞など国内外での受賞歴も多く、ファイナリスト入賞作品もある米国際エミー賞ではドラマ部門の審査員を3度務めた。劇作家・演出家の鄭義信作品と故蜷川幸雄演出のシェークスピア劇を敬愛するイタリアンワインラヴァ―。一般社団法人 放送人の会会員。著書に「昭和最後の日 テレビ報道は何を伝えたか」(新潮文庫刊)。
作家 島崎町(しまざきまち)さん

物語を作るとき、時代から逃れられないと思う。過去や未来、どんな時代を描こうと、作者の生きてる(書いてる)時代の影響を受ける。時代性を意識して書く人もいれば、無意識に書いてる人もいる。仮に、意図的に時代性を排除しようとしても、どこかに必ず現れる。逃れられない。

そういった意味で、物語とは時代を描くことだともいえる。いま生きてるこの時間、この世界――それはまったく膨大な情報量だ――から枝葉をどんどん削ぎ落とし、シンプルにすることによって、伝えたいものを浮き彫りにする。まるで、石のかたまりをどう削るか、削る人によって、「ダビデ」になったり「考える人」になったり「お地蔵さん」になったりするかのように。

物語は、時代を削って作品にしたもの。シンプルに物語化された「時代」を、僕たち観客は観たり読んだりして、なにかを感じる。感じるだけじゃく、つぎの自分の原動力になったりもする。そこに物語が存在する理由のひとつがあると思う(あくまでも、ひとつだ)。

リアル社会、リアル現実が抱えている問題や、リアル自分が抱えている問題を、シンプルな、物語化されたものとして観る。そういう風に物語化されたから、観られるようになる、ともいえる。直視するにはしんどかったり、観たくもないものもあるし。

物語化されると、僕たちは(物語内で描かれる)問題や現実を観られるようになる。そうしてストーリーやキャラクターを楽しみ、いつしか、その行く末に注目するようになる。最後はいったいどうなるんだろうと。大半の人はそこで、よい結果を望む。がんばって幸せになってほしいと。たとえ不幸な結末になったとしても、登場人物の行動を見つめつづける。そして、努力を知る。

物語を通じて観客は、立ち向かい成功したものを観る。あるいは、失敗してもなにか行動したものの姿を。観る、というよりは疑似体験だ。あたかも行動したのは、努力したのは自分であるかのように。これはすごく大事なことで、だから物語を観終えたあと、僕たちは少し強くなっている。現実に立ち向かう力を、もらってる。

つまり、現実をシンプル化して物語にする、それを体験することによって、現実を生きる力を得る。
「現実→物語→現実」だ。長々とつまらない物語論を書いてしまったので、ここまで読んでる人はかなり少ないと思うけど、実はこの構図「現実→物語→現実」を、『アピカのお城』は物語内で(!)おこなっているのだ。

『アピカのお城』は、ノートに書かれたおとぎ話を読むシーンからはじまる。登場人物を、お姫様、ネズミなど寓話上のキャラに置き換えて、楽しいシーンだ。そのあと、現実パートの本編がはじまる。しかしそれは、単なる面白い導入部分というだけでない。本編が進むにつれ、現実をおとぎ話化(物語化)してノートに書いたのはだれなのかが、わかってくる。そして最後に、受け入れづらい現実を物語化したことによって、少しだけ強くなって、現実に立ち向かう力をもらった人物がいたとしたら……。

つまり「現実→物語→現実」の構図だ。そしてそれをさらに観ている観客が、少しだけ強くなって、現実に立ち向かう力を、もらって……という構図だから、ひとすじなわじゃない。本作はいっけん楽しい女子コメディーの体裁をとっていながら、実は深い物語構造で観客を未知の領域にいざなう、そうとう刺激的な舞台作品なのだ。

たとえばあのシェアハウス「パレス・ド・アピカ(アピカのお城)」とはなんなのか、それだけとっても、また文字数が必要になるからもうやめるけど、彼女たちがお城から出ていくのはなぜなのか、どうしてそのタイミングなのか、それにはもちろん理由があるし、最初に出ていった人物の意外な真実を考えるとじゅうぶん納得がいくものかもしれないし……

ほかにも、顔入れ換え(文字にするとすごいな)や謎のちりばめ、完全に明かしきらない真相など、あげたらキリがない。これ、そうとうな野心作だ、めまいがいする。

現実を物語化して現実に還る、という物語を観終えて現実に還った僕たちは、『アピカのお城』というお城(またの名をBLOCH)から出ていく。

つづきは、これから。

島崎町(しまざきまち)
1977年、札幌生まれ。島崎友樹名義でシナリオライターとして活動し、主な作品に『討ち入りだョ!全員集合』(2005年)、『桃山おにぎり店』(2008年)、『茜色クラリネット』(2014年)など。2012年『学校の12の怖い話』で作家デビュー。昨年6月に長編小説『ぐるりと』をロクリン社より刊行。縦書きと横書きが同居する斬新な本として話題に。
ライター・イラストレーター 悦永弘美(えつながひろみ)さん

アラサーというのはとてもセンシティブな時期だ。
ついこの前まで、一緒にバカ話をしていた友人たちが、仕事で役職を得たり、結婚したり、出産したり。18歳くらいで時が止まっていたつもりが、気づけば10年近く経っていて、いわゆる「大人の女」と呼ばれる世代になっていることに、否が応でも気づいてしまう。大人っぽく見られたい!という気持ちがいつの間にやら消え失せて、若く見られたいという願望が巨大化するのも、古くからの仲間内での悪口合戦の切れ味が良くなったのもこの頃だったと記憶している。

「アピカのお城」は、シェアハウスに住むアラサー女子を取り巻くコメディだ。
「大人になったら普通に幸せになれると思ってた!!!!!」という本作のメインコピーは、当時私が何万回と口に出したり、呪いのように頭の中で繰り返した文句でもある。

とはいえ、今やアラフォーで、一児の母で、恋なんてものはうん十年も休んでいる私にとって、この物語がどう響くのか少しばかり不安だった。けれど、いざ蓋を開けてみれば、もう笑った、笑った。常に何かに追われ、焦り、もがいていた「アラサー」という戦国時代を生きていたあの頃を思い出したし、胸に迫る切なさもあれば、温かい気持ちになる優しさにも包まれていて、魅力に溢れている。

まず、何と言っても女性陣のコメディアンヌっぷりが素晴らしい。動きも顔もテンポもキレッキレで、これでもかと笑わせてくるのに、ちゃんと(といったら変だけれど)みんな可愛いのだ(オープニングのダンスも可愛いがいっぱい。男性陣必見)。そして、矢継ぎ早に小ネタを連投してくるのだけれど、決して物語が破綻しないのは、練られた脚本と演出の冴えによるもの。是非とも劇場でみて欲しいので詳細は控えるが、ある女子のスッピンを取り巻く仕掛けには、椅子から落ちそうになるほどに笑った。もう、それ、反則です(笑)。

良い意味で、肩の力を抜いて楽しめる作品なのだが、大箱での上演も想像できてしまうクオリティがあって、舞台を取り巻く全てがキラキラとした明るい可能性に満ちている。
演劇シーズンも後半戦となったこのタイミングで、こんなにも心を軽くして、笑って、楽しめて、可能性がみなぎる作品の幕が上がるのは、とても素敵なことではないだろうか。

観劇後の心地よい爽快感や、劇場を出ると少しだけいつもより風景がカラフルに見えるというポジティブな変化が嬉しくて、いつの間にやら女の子から遠ざかってしまった自分のことも愛しく思えるような良作だ。ちなみに来場者に配られたクリアファイルがとても可愛い。

悦永弘美(えつながひろみ)
1981年、小樽市出身。東京の音楽雑誌の編集者を経て、現在はフリーのライター兼イラストレーターとして細々活動中。観劇とは全く無縁の日々を送っていたものの、数年前に演劇シーズンを取材したことをきっかけに、札幌の演劇を少しずつ観るようになる。が、まだまだ観劇レベルはど素人。2015年、仲間たちとともに短編映画を制作(脚本を担当)。故郷小樽のショートフィルムコンテストに出品し、最優秀賞を受賞したことが小さな自慢。
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