ゲキカン!

その4
弦巻楽団
「君は素敵」 の感想
ライター 岩﨑 真紀さん

この文章を読もうとしているアナタ、まずは他の方が書いた『君は素敵』のゲキカンを読んでください。お願いします。私はアナタが、たっぷりの『君は素敵』への賛辞(特に脚本に関しての部分)を既に読んだという前提で、そこは書かないで話を進めます。

…さて、準備はいいでしょうか?

「演出家・弦巻啓太と私とは、弦巻脚本の読み方の好みが合わないような気がする」ということについて、私は以前、ホッカイドウマガジン「カイ」のコラム『客席の迷想録』に書いたわけです。今回、ほとんど確信しました。弦巻脚本は、演出家・弦巻が考えているよりもっとドラマチックだと、私は思うのです。

例えば『君は素敵』の冒頭の、葬式後のシーン。ここはねー、グッときてほしいところなんですよ。親が死んで大変で金が必要だから詐欺師になる。この「大変」の部分に「ああ…」と共感させてほしい。ほら、美人三姉妹が泥棒しまくる漫画『キャッツ♡アイ』だって、なんで泥棒やってるの?という説明はシリアスだったじゃないですか(覚えてないけど断言しとく)。暗があって明が際立つ。しみじみ・鬱々としたトーンから一気にキラリン! そうだ、男をカモっちゃえ♡ となってほしいわけです。その落差で「え、なんでそうなる!?」と馬鹿馬鹿しくなって笑えるわけです。

で、このように導入から乗り遅れた私は、次にスピードが気になりました。…早い。早口、早回し。軽妙さがウリの物語ですから、テンポの良さを重視したのでしょう。尺の長さを詰める狙いもあったかもしれません。観たのが上演4日目なので呼吸が合いすぎる頃合いだったのかもしれません。ともかく、ツルツルとセリフが滑っていって行間にある(かもしれない)ちょっとしたドラマ・背景・情感が立ち上がらない。…いや、1場面に3つも4つも笑える小ネタが入っていて、ふっては落とし、ふっては落とし、そこが大事なので問題ないという判断なのでしょう。

が、今回の脚本は、物語のほとんど全てをセリフとナレーションで書き切ってます。俳優の身体は、もっぱらアメリカンコメディ的な所作をするのに使われます。となれば、声にねー、もっと表情がほしいわけですよ。ストレートでバシバシ投げ込んでも脚本で面白いこと言わせてるからOKなんでしょうけど。実際、お客さんは笑ってるし。でも私は、言葉で説明される芝居は想像で補う必要があまりないので、それぞれの俳優が声で多彩な球種球速を見せてくれないと、気持ちが乗っていけないのです。その点では、塚本奈緒美の声は素敵でした。

他にも、詐欺の打ち合わせシーンが続いて男と女のバリエーションがどんどん出て、演劇としてはメインストリームが見えづらいんで演出が工夫してほしいなぁとか、あるわけですが、もう止めておきます。

…私、いま、大変に自信を喪失しているのです。常識ある人間として。

私がここまで書いたことって、例えば大繁盛しているラーメン屋の、みんなが美味い美味いと絶賛しているラーメンに対して「…この麺の素晴らしいコシと歯ごたえには、もっとこってりしたスープが合うはず! 店主は自分の麺の価値がわかってない!!」とわめいているも同然ですよね。あー、馬鹿みたい。海原雄山じゃあるまいし。

ほんと、えらい迷惑な行為だと思います。はい。しかし書かずにはいられないんですよ。これ、一種の病気でしょうかね? え、今更だった??

注:岩﨑はラーメンが好きというわけではありません。詳しくもないです。普通です

岩﨑 真紀
フリーランスのライター・編集者。札幌の広告代理店・雑誌出版社での勤務を経て、2005年に独立。各種雑誌・広報誌等の制作に携わる。「ホッカイドウマガジン KAI」で観劇コラム「客席の迷想録」を連載中。
図書情報専門員 本間 恵さん

 これまで私は弦巻楽団のウェルメイド・コメディのよき理解者ではなかった。だが、今回は声を大にして言いたい。「君たちは、素敵!」だったと。

 家屋と生計を結婚詐欺で守る四姉妹という、ありえない設定の物語だ。劇中でなぞはすべて解き明かされ、一点のくもりもなく終わる。初演は見ていないが台本は読んでいたから、筋は既に知っていたし、本来の自分の好みとは異なる作りこんだ物語なのだ。
 なのにお腹の底から笑わせてもらった。笑いながら、こんなふうにお芝居を観て笑うなんて久しぶりだよなぁと、他人事のように自分を振り返っていた。とにかくこれはもう、女優8名の魅力炸裂のなせるわざだ。みんな、はつらつとしていた。キラキラしていた。キラキラ輝く女性を見るのは心弾むものなのだなぁと、男性諸氏の気持ちが少し解った気がした。や、別に性別は関係ないか。生き生きとした人間を間近に見ると、しあわせになれるのだな。そして、「笑う」とい行為は、人に力を与えるものなのだなぁと、いまさらながらに痛感した次第。

 人物について-。観劇前は、長女叶を演じた阿部星来氏は三女実役かなぁと予想していた。これまで観てきた印象から妹役が合うと勝手に。が、いい意味で裏切られたなぁ。長女だった!(長女の私がいうのだから間違いない)その三女役の森田晶子氏、遅まきながら私は今回の舞台で発見!ひょうひょうとした感じ、まさに三女的かと。次女、明役の塚本奈緒美氏のコケティッシュぶりはどこまでいくのやら!そして四女咲子役の土屋梨沙氏の天然女子高生ぶりには男性でなくともときめいてしまう。騙されたっていい。あんな不器用なウインクを見舞われた日にはもう!
 咲子の独身担任教師役の深津尚未氏、登場したとき彼女だと気付かなかった!ストーカーもあっさりと演じる品のよさ(?)いちばんの乙女は実はくるみちゃんだ。池江蘭氏演じる晴、彼女に捕まりたい男性いるだろうなぁ。しあわせな恋愛をして更生してほしいものだ。御令嬢の依頼人希役、袖山このみ氏。恋に恋する役、どこまでも。舞台を降りてもそんなキャラだと錯覚しちゃいそう。そして晴の愛人の妻役、小林なるみ氏は、出るだけでもう舞台がしまる。騙してそのままで済むと思うなよ(!)と、その存在感で品よくアピール。名脇役!
 唯一の男性キャストである日替わり騙され男は私が観た回は村上義典氏だったのだが、短い出番ながら彼が醸し出すごめんなさいオーラがまたいいアクセントで。ほかの回の騙され男たちも見たかったなぁ。あれ、男性に騙されたことはないはずの私なのに、こうも騙される男性を見て溜飲を下げた気持ちになるのは性格がよほど悪いせいか?や、単に俳優陣の力のせいだよな・・・。

 『君は素敵』の笑いは、上品だ。下品だからダメで上品だからいいという話をしたいのではない。淡々と台本を読んでしまった私が、あの役者たちの動きで、あの絶妙な掛け合いだから笑ったお芝居。言葉それ自体が放つおかしさ(ウンコとかね)に笑ったのではなく、弦巻氏が言うところの「物語として完成したウェルメイド」に、笑わせられたのだ。それは、予想に反して気持ちよかった。確信するが、二度観てもきっと私は笑う。これがウエルメイドの力ってやつかと納得した。今回の演劇シーズン、一つだけ再演を選べと言われたら私は『君は素敵』を選ぶ。北の役者陣のとてもいい顔を見せてもらった。

 未知の舞台もいいけど既知の舞台の再発見もいいな。どんな舞台であれ、いいものはいい。
 

本間 恵
図書情報専門員。現在は札幌市曙図書館勤務。遠い高校時代は演劇部。
プライベートでは、映画『海炭市叙景』製作実行委員会・同北海道応援団や原作の復刊、人気公開句会ライブ『東京マッハ』の番外編『札幌マッハ』のプロデュースなどに携わる。2012年から3年間、TGR審査員。)
シナリオライター 島崎 友樹さん

たいして観てもいないくせに思いきって言うけど、いま札幌の演劇で面白いストーリーをいちばん書けるのは弦巻啓太だ。

妙な言い回しになってしまったけど、つまりホームラン王ではなく首位打者……打率がいちばん高いということだ(今月、道外の劇団が弦巻脚本で公演を打った。彼の脚本にはそういう需要がもうある)。

演劇シーズンではストーリーの面白い舞台がたくさんあった。『フリッピング』『12人の怒れる男』『亀、もしくは・・・。』『しんじゃうおへや』『OKHOTSK』『狼王ロボ』……あげていけばキリがないけど、なかでも弦巻作品は(既成、オリジナルをふくめ)『ブレーメンの自由』『ユー・キャント・ハリー・ラブ!』、そして今期の『君は素敵』とどれもストーリーの力が強かった。

軽快なコメディ感、軽やかなセリフ、舞台全体にただよう雰囲気の良さ、キャラへの好感度など、弦巻脚本が好まれる要素は多々あるのだろうけど(もちろんダークなものもあるけど)、演劇シーズンで観た2つのオリジナル作品(『ユー・キャント・ハリー・ラブ!』『君は素敵』)から感じたのは、絞りこみのうまさだ。伝えたいものをよりよく伝えるために努力して、とっ散らかさずに、キャラやストーリーをラストへ導いていく。その様はストイックと言ってもいいくらいだ。

たとえば本作『君は素敵』は、結婚詐欺師の4姉妹の話なのに、実際に男を誘惑するシーンがない。舞台は姉妹の家(応接間)のみで、観客が観るのは結婚詐欺の事前と事後のありさまだけ。この作品はあえてそこを省(はぶ)き、計画とその結果のみを見せる。ふつうであれば、男を誘惑する結婚詐欺シーンは面白そうだし、描きたくなる。しかし目先の面白さに飛びついて、そこを描いたとたん、テーマがぶれるしストーリーがとっ散らかってしまう。この作品は結婚詐欺について伝えたい作品でなく、偽りの恋を計画し、演じているだろう女性たちの、本当の恋についての話なのだ(あるいはその女性たちに反射して映る、男側の恋の物語でもある)。

あえて欲を言えば、高嶋晴の初登場シーンはそのあと別のエピソードで分断されてしまうので、もう少しつづけた方がいいのではないかと思ったし、男が1シーンのみ登場するけど、出すならそれのみに終わらずに、もう一度ストーリーにからんだ方が素材を使い切った感が出ると思った(男をそもそも出さないという選択肢も?)。ラストは爽快感があって楽しいので、それをさらに増すためには、4姉妹が財政的に逼迫(ひっぱく)してる感か、家を手放したくない感なりを随所に入れた方がいいのではと今後の再演を期待して思った。

ともあれ、アバンタイトルが終わると大瀧詠一「君は天然色」が流れる。爽快だ。いっけんポップで軽やかだけど、それは膨大な知識とたしかな理論によって作られた玄人好みの作品だ。なるほど、この劇とずいぶん似てる。

※最後に
カーテンコール後、本作や他の弦巻脚本の販売が告知されていた。僕はもっと、お客さんと脚本が近しい関係にあってほしいと思う。昔、まだビデオやDVDなどがなかった時代、映画ファンは雑誌に載ってる脚本を読んで、楽しかったシーンや胸に響いたセリフを何度も味わっていた。時代が変わり、いま演劇では過去の公演を映像として販売するところもある。それの意味もわかるけど、伝わる面白さは実際に観たものの何十分の一かもしれない。しかし脚本は、お客の中にある楽しかった思い出をもう一度再生させてくれるはずだ。それだけじゃない。脚本に書かれてある生のセリフを1つ1つ読んでいくことで、脚本家の意図がより鮮明にわかるだろうし、あるいはなにげなく聞いてたセリフがあらためて脚本を読むことでこんなにも強く訴えかけてくると気づかされることもあるはずだ。舞台を観て楽しみ、終演後に脚本を買って帰宅後もう一度味わう。あるいは一度と言わず何度もかみしめる。そういう風に演劇とかかわることで、きっともっとお芝居は楽しくなるはずだ(それに、劇団にお金も落ちるしね)。

島崎 友樹
シナリオライター。札幌生まれ(1977)。STVのドラマ『桃山おにぎり店』(2008)と『アキの家族』(2010)、琴似を舞台にした長編映画『茜色クラリネット』(2014)の脚本を書く。今年春には、長編小説を出版予定。
ドラマラヴァ― しのぴーさん

 痛快な女優劇!実に面白かった!作・演出の弦巻啓太は、去年の札幌劇場祭TGR2016にニール・サイモンの初期の傑作「裸足で散歩」、しかも青井陽治氏が弦巻のために新訳した本で挑戦したのは記憶に新しい。「裸足で散歩」は不完全燃焼だったと僕は思うけれど、やはり優れた作家・演出家でであることを見事に示してみせた。
 少しは手を入れたかもしれないけれど、本は10年前の輝きを失ってはいない。暗転が多い芝居は基本的には失敗するものだけれど、薄明りでの場転で時間軸をうまく転がし、役者の無言芝居が素晴しい編集点でつながれたフィルムのように劇のシークエンスをスムーズに進めている。あらゆるところに女心のあれやこれやという楽しい伏線が張り巡らされているのだけれど、洒脱な台詞とテンポのいい展開で観客のイマジナリーラインを巧みにすり抜けて、最後はみんなシュルシュルと見事に回収してしまう終盤は「さすがは弦巻!」とニヤリとしてしまった。カーテンコールに相応しい仕上がりだった。
 きちんと彫られた人物造形にマッチしたキャスティングの妙も成功の鍵だったと思う。経済的困窮から恋愛詐欺で一儲けしようという泉家の四姉妹の長女の阿部星来、次女の塚本奈緒美、三女の森田晶子。森田はくだんの「裸足で散歩」のオーディションで弦巻が主役のコニーに抜擢したと記憶しているけれど、この芝居のポジションで水を得た魚のように存在感があった。この劇の一番美味しいところをかっさらっていくのは語り部役でもある四女の土屋梨沙。とってもキュートで見逃せない。土屋なくしてこの芝居はなかったと言ったら女優押し過ぎるだろうか。去年の北海道戯曲賞大賞作の舞台化「悪い天気」の演出にあたった五反田団を主宰する前田司郎のオーディションに合格して初舞台を踏んだそうだ。前田で磨かれたのか、ファンを自認する弦巻との相性が良いのか、舞台映えもするし素材感抜群で伸びしろの大きさを感じさせた。演劇部でシェークスピアの「ロミオとジュリエット」の稽古にいそしんでいるという彼女のさりげない設定がのちのち生きてくる。人物の下地を丁寧に敷き詰めているせいもあるだろうけれども、女優を見極める弦巻のセンスは脱帽もの。不倫相手の刑事部長に復讐心を燃やす女刑事役の池江蘭は、男にとっては“あるある”な怖い女の本性を好演した。高校教師役の深津尚未がとても滑稽であたふたとした女心も楽しい。特別出演の小林なるみの押し出しは言うまでもなく、暗転から姿を現した瞬間に思わず笑ってしまった。
 一方、男と言えば最初に金を巻き上げられる役で日替わり出演のみ。この劇の「影の主役」で、”恋のヴァンパイア”と呼ばれる恋愛詐欺常習者のスミトモも舞台には登場しない。僕も含めて男という本当にぐだぐだしたものを怪しげな「なんとか水」にすり替えて魅せる脚本の妙!本当に良く劇に刺さっていて、同じパターンで繰り出されても、やっぱり爆笑してしまう。恋愛至上主義って、他人事じゃなく本当に怖いですね。
 弦巻の形容詞で「ウェルメイドのコメディを得意とする」といつもあるので、手元のコウビルド英英辞書で”well-made play”を引いてみた。日本語に訳すると「巧みに描かれたプロット」とあって思わず膝を打った。よく映画やドラマの脚本作りには「ハコ書き」という方法論がある。最初からほぼ全ての台詞が天啓のように降って来る天才肌の作家もいるだろうけども、この「君は素敵」は場面のハコの一つ一つがとても良く書かれている。シーンごとに起承転結があって、ショートドラマを見ているようだ。ミルフィーユのようにハコを丁寧に積み重ねた劇の一番美味しいところを爽快に蹴とばしてみせるエンディングが見事だ。
 最近読んだある調査によると、「女子力」という流行り言葉に約6割の女性が男性目線を感じて好きではない答えている。でも、弦巻が紡いだ「女子力」満載のお芝居。女性の観客の皆さんは多分もっと笑えると思う。タイトルにも、そんな女性に対するあらゆる意味での弦巻の畏敬の念が込められている、そんな気がしてならない。
 来年の演劇シーズン2018-冬-に、レパートリー作品として「ユー・キャント・ハリー・ラブ!」を引っさげてくるそうだ。「勝ちパターン」を持っている作家はそう多くはない。そんな魅力をいかんなく発揮した「君は素敵」。これはもう、観るっきゃないでしょ!

ドラマラヴァ― しのぴー
四宮康雅、HTB北海道テレビ勤務のテレビマン。札幌在住歴四半世紀にしてソウルは未だ大阪人。1999年からスペシャルドラマのプロデューサーを9年間担当。文化庁芸術祭賞、日本民間放送連盟賞、ギャラクシー賞など国内外での受賞歴も多く、ファイナリスト入賞作品もある米国際エミー賞ではドラマ部門の審査員を3度務めた。劇作家・演出家の鄭義信作品と故蜷川幸雄演出のシェークスピア劇を敬愛するイタリアンワインラヴァ―。一般社団法人 放送人の会会員。
在札幌米国総領事館職員 寺下 ヤス子さん

われは恋の女の、恋に満ちたる肉体(からだ)なり、
わが草は明るき涙に濡れたるまつげにて
わが昼顔は瞳の如く開きたり。

命短かし、恋せよ乙女!恋する女より輝きに満ちたものはない!楽しい!日替わりゲストだった櫻井保一氏以外は、女性ばかりの「恋のあるある」舞台。女性遍歴を重ねた殿方には、ドキッとした話もあったのでは? 女たちの男への復讐、とはいえ、気まぐれ、純情、人情、で面白おかしく展開。サクッとクスッと楽しめる。さすが弦巻啓太氏!

女優陣はいずれも適役。セリフもテンポよく痛快だ。特に、三女みのり役の森田晶子氏は、キレよく好演。胡桃沢先生役の深津尚未氏は、いかにもコメディらしい演じぶり。皆んな、かわいい、いじらしい!仕事の一端で、女性起業家支援の支援などしているので、女性が集まってビジネスを始めるとなると応援したくなるのだ。

ある恋の終わり。体の右鎖骨から右臀部までぽっかりなくなったような気がした。いつも彼の左にいたから。仲代達矢さんが奥様を亡くされた時、両手両足をもがれたような、と形容しておられたから、比べればはるかに軽いダメージだった。とはいえ、もう彼の腕にしがみつけないお化け屋敷、彼の車が迎えに来ない大学裏門、彼の肩にもたれられない映画館。ゲレンデで芽生えた恋は、港の夜景に消えた。 お先真っ暗。どうすりゃいいのさ、この私。一緒に口ずさんだサザンももう聴かない。中島みゆきにする。スイトピーはドクダミに、ポップコーンは炙ったイカに。悲しいときは寝てしまおう。悲しい夜にも朝が来る。涙の跡とまぶたの腫れ。夢ではなかったのねと回想する。昨夜は意地を張って、ふてくされてはいるものの、物分かりのいい女でいたけれど、やっぱり素直に泣いてしまえばよかったんじゃない? 印象悪かったかなあ。冷たい女だと思われたかなあ。今からでも、涙を見せに行くか。一応、ちゃんと今までのお礼も述べて、わがままを謝って。例えば、プレゼントにもらったスヌーピーのぬいぐるみがパチモノだったこと責めたりしてごめんなさい。だってあんな大きなただの白い犬、置き場所にも・・ごめんなさい。ブランド志向じゃないの、スヌーピーが欲しかったの。あんなにでっかくなくてよかったの。でもただの耳が黒く長い白い犬がオレンジ色のズボン履いてるのじゃ、違うの。でも笑顔でありがとうって受け取って抱きしめるべきだった。ごめんなさい。それから、それから・・。だから、そしたら、もしかしたら・・。当時は携帯電話はない。家に電話して彼が出るかどうか。会いに行くしかない。どこにいるかはわからないけど、とにかく心当たりの所へ行ってみる? 授業に出てるのかな。ああ、でも未練たらしいよね。でも会えばスッキリするかもね。ええい!とりあえずパジャマから着がえよう。クロゼットの引き出しを開けて、はっと息をのむ!引き出しの防虫剤が、「おしまい」と表示。淡き悲しいもの、紫陽花色のものよ。その淡い紫色に浮き出た文字は、恋の終わりを告げていた。「おしまい」が出たら「お取替えください。」

寺下 ヤス子
在札幌米国総領事館で広報企画を担当。イギリス遊学時代にシェークスピアを中心に演劇を学んだ経験あり。神戸出身。
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