ゲキカン!

その3
NEXTAGE
「LaundryRoom No.5」 の感想
図書情報専門員 本間 恵さん

 まだ、感動できる感性があるかどうかを確認するために、時々サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』を読み返す・・・という、つかこうへい氏のインタビュー記事を思い出していた。たぶん『LaundryRoom No.5』の再演を観ることも、これからはそんな確認になるのじゃないかな。ちょっと褒めすぎかな。
 
 脚本・演出の川尻恵太氏はリーフレットに、「あなたたちは、どんな物語が観たいですか?」とNEXTAGEの面々に問いかけて、その答えがこの物語になったと書いている。そして、私が舞台で受け取った答えもまた、問いかけだった気がしている。「あなたたちは、何を守りたいですか?」という問い-。
 かつて、他人を守るために自分ができること・・・を思うのは、漫画や小説の読後にはあっても、現実の自分とは距離のある感慨だったように思う。だが3.11によって、否応なく多くの喪失を知ってしまった私たちには、前よりもう少し身近な問いかけになったんじゃないかな。
 友達との軽口。なんてことない会話。どうでもいいバカ話。じゃあ!と、また明日会えることをつゆほども疑わずにかわした挨拶。それらがふだん意識することのない「しあわせ」ってやつの大切な1ピースであることを、御多分にもれず、私たちは失ってから知ったのだ。
 えっ、何でも3.11に結びつけるなって?いいじゃないか。これは私の感想なんだから。震災の1ヵ月後に逝かれた1人の存在のせいで、答えのない「もしもあの時・・・」を、私もまた考えてきたのだ。それこそ深夜のコインランドリーの乾燥機の前で、ぐるぐるまわるタオルをぼんやり眺めている時などに-。だから物語の最後、ムンク青年の決断を知って、不覚にも涙ぐみそうになったのだ。ブラジャーだの異種格闘技だのと笑わされたあげく・・・に、あれっ、そうきたか、である。やられた!
 『LaundryRoom No.5』は、友だちを取りもどす物語だ。あるいは無償の愛の物語。自己犠牲の物語・・・。誰かを愛おしく思う気持ちをすすぎあげ、すすぎあげしたら、魔法のランドリーからこんなピュアな物語が現れたのだ。
 そういやわが青春の70年代には『愛と誠』という漫画があって、「きみのためなら死ねる」というセリフがはやったっけ。負荷を負っても助けたい友だち、自分にはいるかな?(いる!)
 誰かを生き返らせることはかなわなくても、自分を変えることはできるのだ。汚れた水を何度も何度もすすぎ流して、洗いざらしの木綿のシャツみたいになった友情-。丈夫だろうなぁ。
 えっ、しょせんは理想だって? いいじゃないか、理想を語ったって。いや、むしろ舞台に観たいのは理想じゃないのか? それ以外に何が?
 この舞台が提示するように「過去を一つだけ変える事ができる」なら、自分のために変える?それとも、誰かのために変える? 観劇の帰り道、誰かと私が語り合いたかったのはそういうことだ。
 
 余談。ヌーブラがどんなものかがわかって、たいへんためになった。でも洗濯はどうやるのかなぁ。(ほんとにまごうことなく余談!)あなたなら、どうする?

本間 恵
図書情報専門員。現在は札幌市曙図書館勤務。遠い高校時代は演劇部。
プライベートでは、映画『海炭市叙景』製作実行委員会・同北海道応援団や原作の復刊、人気公開句会ライブ『東京マッハ』の番外編『札幌マッハ』のプロデュースなどに携わる。2012年から3年間、TGR審査員。)
在札幌米国総領事館職員 寺下 ヤス子さん

くっだらないことやってるよ、と笑いながら最後は泣いてしまう。「無償の愛」系、「何気ない毎日が青春だった」系に涙腺がゆるむタイプです、はい。初回作を観ているので、早く本題に入って欲しい気もしたが、あの登場人物の面々とルール設定を懐かしく思い出した。これを押さえとかないとね。本題前にウケたのは電磁波がネッキーに与える悪影響についてのアナウンス。さらに開演前のポップコーンボーイも元気で可愛い。ランドリーバッグ700円も買いそうになった。こういう周辺からの盛り上げ方も気合が入っていてプロ仕様だと感じる。

初日だったせいか、少しかたい気がしたが、4人の男子はそれぞれ持ち味を出していて好演。クンフー役の佐藤亮太氏、弾んでる!チヅル役の田中温子氏は安定の演技。シャボンのキャピキャピ感と、チヅルの人間性が、うまく演じ分けられていた。
ところで川尻恵太氏の本は必ず?ウンコのギャグがある。よほど愛着があるのだろう。ま、男性としては体内で生成して産み落とす最大のものだから思い入れがあるのかも知れない。女性は赤子を産みますもんでね。

さて、数々のギャグの結末は自己犠牲。自分の存在が消えるのはいい、でも愛する人たちに忘れられること、忘れられると知って消えていくことは、なんという悲しみと孤独。自分が死の床にあって愛する人々が「この人誰?」と話していると想像してほしい。それはまるで「溺れたる夜の海より/空の月、望むが如し。/その浪はあまりに深く/その月はあまりに清く」。冷たい!悲しすぎる!だからムンクとチヅルはきっとまた出会う。互いの名前を忘れていても、「前前前世から僕は君を探し始めたよ」ということになる、と思いたい。

我々は、忘れる。人の名前も、約束も。今、冷蔵庫から何を取り出そうとしたのかも。誰もがいつかは忘れられてゆく。生きた証も痕跡も、大きな功績も小さな罪も、描いた夢も抱えた秘密も。だから人は刻みたいのだ。歴史に、石碑に、人の記憶に、自分の名前を。コンコン、カリカリ、コンカリと刻みたいのだ。

世界最長の吊橋、明石海峡大橋の橋脚に、建設に関わった男たちの手形がついた礎石が沈められている。兄が少し関わったので兄も手形をつけたそうだ。恐らく、もう何百年も誰も目にすることはない。だが関わった男たちの誇りと達成感の手形がついたコンクリートが、海底で橋を支えている。その思い出だけでいい。すごいロマンだ!地上の星たちよ!現場の皆でぺたぺたと手形をつけて、見交わす晴れやかな男たちの顔。その様子を語る兄の横顔は、いたずらを自慢する少年のように楽しそうだった。

そうやって人は人生の一瞬を刻む。指輪に、礎石に、キーホルダーに。胸に、心に、魂に。

忘れられる前に伝えておきたい。あなたに会えて本当によかった。ありがとう。

寺下 ヤス子
在札幌米国総領事館で広報企画を担当。イギリス遊学時代にシェークスピアを中心に演劇を学んだ経験あり。神戸出身。
シナリオライター 島崎 友樹さん

NEXTAGEというのはいい名前だ。だって彼ら彼女らには未来がある。

クリエイティブオフィスキューの若手ユニットNEXTAGEは、かつて6人だったけど、3人が退団、今は3人でがんばっている。未来をめざして。

2015年初演時の『LaundryRoomNo.5』は、出演者は全員NEXTAGEメンバーだったが、今回は戸田耕陽、赤谷翔次郎(パインソー)を客演に迎えての公演。戸田はスッキリとした顔立ちで、物語の中心にいても違和感がなかった(ただし初日は呂律があやしいところもあったが、きっと回を追うごとによくなっていくはず)。赤谷は作品全体の土台といった感じで、彼なくしてこの公演の成功はなかったのではないか。舞台を自分のものにしている存在感があった。

NEXTAGE組では、廃墟となったテーマパークの案内役(人形)を演じた田中温子が光った。演技に幅があり(いろんな意味で)、感情を観客に届けることに成功していた。声の通りもよく役者としての好感が持てた。

佐藤亮太は身体能力の高さを随所に見せるいっぽう、そこにいるだけでなんだか面白く感じてしまうコメディ感があった(看板がなかなか掛からないのは演技なのか素なのか、あれは笑った)。戸澤亮はおいしい役で、ラストシーンでは観客の心を独り占めする。おそらく彼の中にある誠実さみたいなものが、後半からラストの展開を引き立たせたんだろう。

この作品は、わりとガチのSFで、タイムスリップものだ。そこに作・演出の川尻恵太(SUGARBOY)の心意気を見た。役者の個性を生かしながら、演技の訓練の場を作り、さらに舞台としての質を確保し、ファンやほかの観客も楽しめるエンターテイメント作品として仕上げる。なかなかのアクロバットだ。

NEXTAGEという名に反して、彼ら彼女らは劇中過去に飛んでいく。なんだか不思議な感慨だ。しかし彼ら彼女らには未来がある。NEXTAGE は10年後、20年後、どうなっているんだろう。ぜひまた『LaundryRoomNo.5』を再演してほしい。10年後には10倍の、20年後には20倍の感動があるはずだ。


※さて、以下はネタバレありで書いていきます。観劇した方だけの特典、あるいはいろいろ考えたい人のものだと思ってください。個人的な考察、物語についての込みいった話です。

さて大丈夫ですか? ホントに劇を観た方だけが読んでますか? 違うなら読むのをやめてくださいね。でですね、劇も後半、チヅルをシャボンに変えた、声だけの存在が出てくるわけです。おそらくそれはネッキーランドのオーナーと予想できますが、だけど本当の正体は、脚本家だと思うわけです。ストーリーの大半は作者がそうしたいからそうなるのであり、ネッキーランドの事故も、チヅルがシャボンになったのも、過去を変えたらなにか代償を払うのも、彼ら彼女らが過去改編の連環の中をぐるぐる回りつづけるのも、作者がそうしたかったからに他ならないわけで。

だから僕は、ムンクが最後にとった利他的行動や、ラストの泣きながら笑い、笑いながら泣く登場人物たちに感動したことは大前提として、そこから先の展開にも思いをはせてしまうのです。過去を変えようと過去にもどり、最初に利他的行動をとった人を救うために、別のだれかが利他的行動をとる。そこで舞台が終わってしまえば、その先もやはり、あの中のだれかがそれに気づいてまた過去にもどろうとするんだろう(と僕は想像してしまう)。だとしたら、いつまでも開かない輪の中で、彼ら彼女らはぐるぐると生きつづけるのだろうか(そうならないとしても、ムンクはあの場所で一人、取り残されたままになってしまう)。

でもね、いつかだれかがその輪をやぶって(あるいはムンクを救って)、未来に進んでいってほしい。だってNEXTAGEという名前じゃないか。きっとそれは不可能なことじゃない。例えば彼らには武器がある。過去を変えてしまったせいで失われたものが、逆に武器になってもいいじゃないか。かけ算ができない、一人称が京都弁、手からオナラが出る。その力を今度は未来へ進むために使えないのか。たった一度しか使われない笑いのネタが、今度はストーリーを変える武器になってもいいじゃないか。

本作はカッチリ作られたタイムスリップもので、だからこそラストの哀切な感動も生まれた。だけどまだ、そこから先へ行けるのではないか。笑いを涙に変え、涙を笑いに変えられたこの舞台の作者なら、笑いの力ですべてを変えられるはずだ。予定されたストーリーを越え、作者の意図も吹き飛ばし、笑いの力で登場人物が連環から解き放たれる姿を僕は見たい。

笑いは自由だ。だからこそ、笑いから自由が生まれる瞬間を見てみたい。

島崎 友樹
シナリオライター。札幌生まれ(1977)。STVのドラマ『桃山おにぎり店』(2008)と『アキの家族』(2010)、琴似を舞台にした長編映画『茜色クラリネット』(2014)の脚本を書く。今年春には、長編小説を出版予定。
ドラマラヴァ― しのぴーさん

 早々に前売り券完売。すごいですね。これからご覧になれるラッキーなお客様に一言。現在と過去をタイムマシンのように行ったり来たりする時間軸をきちんと消化してみせる川尻本は面白いし、誰かのために自分の人生や命までを代償に支払うというダブルエンディングはちょっと胸キュンもの。でも、大きな代償を払ってでも守ろうとした一番大切な恋人や友人たちは、そのことを忘れてしまって笑い転げる理由もちゃんと伝わってジーンと来る溶暗だった。
 劇を観ながら、もし僕が過去のあるところまで戻ることができて、できなかった別の「センタク」ができるとする。でもそれには相応の予測できない代償を支払わなければならないとしたらどうするのだろうか?と考えていた。今の妻(という書き方は変だけれども)と出逢った運命のあの日の“前日”に戻りたい。彼女にこれほど迷惑をかけることはなかっただろうから。でも、その代償として“別の妻”とひどい喧嘩別れして、養育費や子どもの親権を争う泥沼の離婚劇になるのだとしたら…。やはり僕は、どのような意味でも妻を愛し、今のままという「選択」で代償を支払い続けるべきだという妙な結論に達してしまった。
 「何かを見せて楽しんでもらうのが好き」という表現者としてのポリシーを持っている川尻恵太は、オーソドックスな演劇の枠にはまらない自由なやんちゃ坊主だ。そういう川尻劇を見慣れている人も、そうじゃない人もとても分かりやすい作品になっている。ちなみに、僕は「チズル」という人物が台詞として登場した段階で、劇の最後まで展開が読めてしまった。ごめんちゃ。
 初演はBLOCHだと聞いて、いろいろ納得したことがあった。ハコが大きくなったことで、舞台装置を含めていろいろなものが洗練されてオトナな芝居になったように感じた。これは演出家としての川尻の成長を反映したものかもしれない。タイトルロールの映像(出てくるまでが少し長いと思うけれど)やヴィジュアルでの演出も面白い。一方で洗練されることは決して劇にとって良い方に転ぶとは限らない。再演の難しさはそこにある。初演のBLOCHではキッチュさがとても愛しく面白かったのだろうと思うけれど、今公演では、キッチュさは引っ込んでしまって、ハチャメチャな青春群像劇としてスケールアップしたかどうかはかなり微妙だと思った。
 観たのは初日だったけれど、役者陣は妙に硬かった。役者同士の呼吸がむしろ合いすぎて、本当は面白いやりとりのはずなのに、なんだかボタンの掛け違いのように間合いが段取りっぽい。まぁ、これはダメ出しで直っていることでしょう。
 くだんのタイトルロールまで繰り広げられる冒頭のブラジャーのシーンはやりすぎてしまって、観客はお腹一杯になったと思う。ぽろぽろとこぼれるウンチを拾ってみたりする川尻らしい小芝居のシチュエーションの方が滑稽で笑える。ブラジャーのシーンは実は伏線になっているのだけれど、うまく回収されたとは言えないだろう。グッズの宣伝を小ネタにしたり、大評判をとった他劇団のくだりをアドリブかどうかは別にして、いじって笑いをとるのは大阪弁で言えば「しょうもない」と僕は思うけれど、若い女性ファンには受けていたようだった。
 川尻は中学時代から演劇を始め、高校時代にはもう「高校演劇」と肌合いが合わなかったようで、同級生とコンビ組んでネタ作りを始めるようになった。亀井健の「and」を観て演劇ってこんなに自由にやっていいんだ!衝撃を受け「劇団ギャクギレ」を旗揚げ。BLOCHのこけら落とし公演をやったと聞いたことがある。その後、ラーメンズの小林賢太郎との出会いがあって上京。小林のネタ作りのアシスタントとして、小林とバカリズム(升野英知)との大喜利ユニット「大喜利猿」の全国ツアーをやったりしているうちに川尻恵太個人名での活動を始めた。「2.5次元」(漫画本が原作でアニメになりさらに舞台化されること)と呼ぶそうだけれど、一昨年には乃木坂46がトリプルキャストで挑んだ舞台「じょしらく」の作・演出も手掛けた異能の人である。
 今、一番イキのいい川尻の作・演出でNEXTAGEがホームで芝居を打つということで、全10公演の前売券はオールソールドアウト。観客もほとんどが30歳前後の女性たちでムンムン。この客層をがっちり握っているとはうらやましい限りだ。だけれども、東京で鍛えられ、実力も評価されている川尻にしては不完全燃焼のように感じた。芝居で人を笑わせることは一番難しい。札幌の観客はちゃんと川尻のボールを受け止められたのだろうか。
 気になったことを二つ。ライブハウスであるcube gardenの作り上仕方がないことだと思うけれど、観客から舞台が少し目線高に感じられるので、舞台上に投射されるテロップはもう少し下げられないだろうか。頭を少し上げないと視野に入らない。読もうとすると、芝居のライブさから少し遠ざかってしまう。これはもったいないと思うのだ。あと、ネッキーランドって大丈夫ですかぁ。
 僕は「夜明け前」とか苗穂聖ロイヤル歌劇団時代の川尻作品を観ていて、おっ、新しい才能が現れた!と予定調和じゃない独自の作風に大きな期待を寄せている。東京と札幌を股にかけて活躍している川尻には、これからも札幌の演劇シーンに新しい「センタク」を作ってもらいたいとエールをおくりたい。

ドラマラヴァ― しのぴー
四宮康雅、HTB北海道テレビ勤務のテレビマン。札幌在住歴四半世紀にしてソウルは未だ大阪人。1999年からスペシャルドラマのプロデューサーを9年間担当。文化庁芸術祭賞、日本民間放送連盟賞、ギャラクシー賞など国内外での受賞歴も多く、ファイナリスト入賞作品もある米国際エミー賞ではドラマ部門の審査員を3度務めた。劇作家・演出家の鄭義信作品と故蜷川幸雄演出のシェークスピア劇を敬愛するイタリアンワインラヴァ―。一般社団法人 放送人の会会員。
ライター 岩﨑 真紀さん

「無邪気に遊んだ日々をパラダイスとして追想し、当時のマドンナを今に取り戻そうとする」というのは、脚本家・川尻恵太のお気に入りのパターンであるように思う。NEXTAGE『Laundry Room No.5』は、今は廃墟である遊園地のアトラクション「ランドリールーム」に幼なじみの若者4人が集い、記憶から消えてしまったマドンナの存在を取り戻そうとする物語。ないはずのランドリールームNo.5に入ると、過去の選択をやり直すことができる…という設定だ。

「覚えていないものを取り戻そうとする」という展開は、推進力としてはなかなかに難しいものがある。恋人役の、本人にも理解し難い衝動・熱意の表現がほしいところ。川尻脚本では「おそろいのキーホルダー」「そこに書かれた名前」を上手に配置し、物語を進めている。

「過去に戻って選択をやり直したい」という気持ちは、私にはない。その意味で、登場人物の中では唯一、「なんか気持ち悪いんだよ」と言って過去の選択をやり直さないパンサーに共感を覚える。
愚かな過ちの数々は、やり直すというよりは忘れ去ってしまいたい。そのシチュエーションにもう一度行く、と考えるだけでも恥ずかしさで発狂しそうだ。恋しく思う亡き人も、取り戻せば、別れの辛さを再び経験することになる可能性がある。耐えがたい。悶えを時間薬でなだめなだめ古びてきた身としては、人生の出来事は、あるべきままに通り過ぎていってほしい。

…などと個人的には思いつつ、物語では、愛するものを取り戻そうとする自己犠牲の切なさが広がっていく。舞台上を漂うシャボン玉のようにはかなく美しい、若い恋の純粋な輝きだ。

アニメや漫画で見かける「お約束ごと」のギャグが多く、演出もアニメの実写版的な表現を多用。大変にわかりやすい芝居だろう。川尻脚本特有のシモネタ(冒頭のブラジャーパラダイスの長さよ!)は健在だが、お下劣表現はマイルドで、女性客も笑える範囲と思う。

『Laundry Room No.5』の初演は2015年5月、会場は演劇専用小劇場BLOCHだった。今回の上演を観て、会場が変わると芝居の見え方が随分変わるなぁ!と驚いた。cube gardenは音響・映像機器などが大変素晴らしい。殴る蹴る効果音などの精度が上がり、芝居の実写アニメ感はぐんとアップ。BLOCHでは生身の勢いを感じたところが、虚構的な完成度を目指す方向に変化しているように感じられた。舞台美術も、廃墟感より遊園地感がアップ。ここにお約束の決めポーズをガチッとはめるか、ちょっとずらすのか。演出家によって面白いと思うものが異なるのだ、という話を聞いた。私としては、ここまで虚構感溢れる演出なら、虚構としての完成が素敵と思う。

岩﨑 真紀
フリーランスのライター・編集者。札幌の広告代理店・雑誌出版社での勤務を経て、2005年に独立。各種雑誌・広報誌等の制作に携わる。「ホッカイドウマガジン KAI」で観劇コラム「客席の迷想録」を連載中。
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