ゲキカン!

その4
実験演劇集団 風蝕異人街
「邪宗門」 の感想
図書情報専門員 本間 恵さん

 実はちょっと不安だったのだ。なにせあの、寺山修司作品だ。『書を捨てよ、町へ出よう』の、『家出のすすめ』の、『あなたの詩集』の、天井桟敷の!寺山修司なのだ。
 当方、書も捨てず家出もせず、詩人にもなれずに大人になってしまったが、短歌との出会いを始めとして、寺山修司にはかなりの思い入れがある。恐れもある。
 何といってもあの、『邪宗門』なのだ。70年代のさまざまな逸話が頭を過ぎったわけだ。
 黒衣の人たちに客席から拉致されたらどうしようとか、唾を吐きかけられたらどうよけようとか、すわ暴動になったらどこから逃げようかとか・・・。

 こしばきこう氏の演出ノートによれば、今回の風蝕異人街版『邪宗門』は「暗黒ミュージカル」だという。実際その通りの舞台だった。緋色の長襦袢をはだけた妖しい女性たち、切下げ髪にセーラー服の黒子たち、狐のお面、人形遣い、血の色に塗られた鉄の格子、十字架、磔刑、大音量の叫び-。
 一つには、これは姥捨ての話だ。女と男とその母親。母親と息子とその嫁の、一つ屋根の下に女は二人いられないという三角関係。太古の昔から連綿と続く愛情ゆえのサバイバル物語。
 山太郎の母、おぎん役の堀きよ美氏に脱帽! ありがたくもうっとおしい、そしてときには艶っぽい女でもある母親という存在を強烈に誇示して魅せた。(演技力もさることながら、あの着物の着こなし足さばき!衣装だなんて思えないくらい自然だった)
 山太郎がおぎんを背負い捨てに行く場面では、妙な既視感に捕らわれてしまった。以前は山太郎が自分かもしれないと想像はしても、捨てられるおぎんに自らを重ねたりはしなかった。再演という時を経てこその発見か。「コウコウダイイチ〜」の呟きは呪詛か祈りか-。
 一方でこの物語は、操る者と操られる者との、見えない糸を可視化した物語でもある。どこまでたぐれるのか、絡まってしまうのか、はたまた糸を断ち切ることは(誰から?何から?)可能なのか-。その一応の回答は、フィナーレで明かされるのだけれど。

 で、冒頭に記した感慨にもどる。観客は(たぶん)、初めて観る前衛的アングラ劇に度肝を抜かれはしただろうが、逃げもせず、反抗もせず、自分の客席におとなしく座っていた。コンカリーニョで暴動は、起きなかった。劇場の常よりかなり多めのスモークにびっくりはしても、それは、出口を見失うほど焚かれたわけじゃない。だって2017年だもんな。天井桟敷の初演から、46年が過ぎ去ったのだ。
 リーフレットにも引用され、劇中でも叫ばれた寺山修司の言葉を反すうしている。
 いわく、「どんな鳥だって想像力より高く飛ぶことはできない」
 正直に言えば、黒衣におびやかされることなく客席に座っていた自分を、ちょっと残念に思うのだ。いや悔しかったというべきか-。想像の中の私は、抗ったり、激こうし席を立とうとして役者と小競り合いになったりしていたはずなのに、こんなところに座っていていいのだろうか?という感慨がふと-。でも、2017年の客席には黒衣も客を舞台に引きずり上げる演出もなかった。そして、そのことにホッとしている自分・・・。私はまだまだ闘う覚悟(誰と?!何と?!)が足りないよなぁと感じていた、劇場からの帰り道-。

 ともあれ、エンターテインメント暗黒ミュージカル『邪宗門』。座るなら前列正面がいいかもしれない。過激さは俯瞰するものではないのだな、きっと。

本間 恵
図書情報専門員。現在は札幌市曙図書館勤務。遠い高校時代は演劇部。
プライベートでは、映画『海炭市叙景』製作実行委員会・同北海道応援団や原作の復刊、人気公開句会ライブ『東京マッハ』の番外編『札幌マッハ』のプロデュースなどに携わる。2012年から3年間、TGR審査員。)
ドラマラヴァ― しのぴーさん

 圧巻!劇場に足を踏み入れたが最後、そこはもう異形の世界が広がっている。そして、芝居という虚構の世界が始まると何が起こっているのか分からないままに、観客は次第に予測不能のカオスに突き落とされ、ダークオペラあるいは呪術的ミュージカルの渦に飲み込まれる。演劇シーズン2015-夏-の「青森県のせむし男」で、アングラを知らない若い観客から圧倒的な支持を得た風蝕異人街の放った弾丸は、今回もこれでもかというほどにコンカリーニョを貫いた。ザ寺山。この芝居は何かを理解しようとするのではなく、ただただ客席という名の見世物小屋の座敷で圧倒的な劇の風圧を感じればいいと思う。ブルース・リーも竹中直人も言っている。Don’t think, just feeeeeeel!と。
 戯曲の上演年で並べると天井桟敷旗揚げ公演の「青森県のせむし男」(1967年)、この「邪宗門」(71年)、かの「身毒丸」(78年)を加えて「母捨て-子捨て」物語三部作と言われていると作・演出のこしばきこうの演出ノートにある。確かに「身毒丸」の原型が見て取れるし、「身毒丸」はより分かりやすいというと語弊があるだろうけれども、作家の署名性の変遷を見ることができるかもしれない。
 いわゆる「姥捨て山」劇というのはこの芝居の表層的なものに過ぎない。言葉の錬金術師と評された天才、寺山の今でも色褪せることのない美しいテキストを、言葉の一粒一粒が分からなくとも、ギターでディストーションされようとも躰で聞いて欲しい。そして、今回の公演では看板女優の三木美智代、堀きよ美を筆頭に、21歳から82歳までの役者・ダンサー・ミュージシャンたちが舞台を埋めた。赤襦袢に白塗り、セーラー服に化身し狐面を被った胡乱たち、邪宗の証のような禍々しい化粧、磔にされた女たちは乳房むき出しと、全員が体当たりで挑む赤裸々な寺山ワールドの世界にどっぷり浸かって欲しい。サイケデリックな様々な意匠とこの世の物とは思えない彼岸の人物たちを見事に一つにまとめたこしばの演出は驚嘆の一言に尽きる。
 僕の実家のある大阪で桜の名所と言えば大阪造幣局の見事な桜並木。特に満開時とハラハラと花吹雪が舞う頃のソメイヨシノは本当に美しい。当然のことながら、テキ屋さんたちの出店が軒を連ねる。たこ焼きやお好み焼き、りんご飴は定番だけれども、一番人気はろくろく首や一つ目小僧を売り文句にした見世物小屋だった。お化け屋敷ではなく、見世物小屋。つまりフリークショーだ。子供心にドキドキして父にせがんではいつもその怪しげな木戸をくぐった。当然、妖怪などいるはずもなく、僕が目撃したのは、小人症や巨人症の人たち、片目のない人、両足を戦争で失くした傷痍軍人、顔から上半身にかけて火傷だろうかケロイドになった人。あきらかに精神を病んだ人も確かにいた。しかも彼ら彼女らは檻の中に(仕方なくかどうかは別にしても自らの意思で)入っているのである。許しがたい人権侵害、人権蹂躙であるけれども、当時の人々にとって見世物小屋と花見は同列の愉しみだった。かくも深い人間の業や無意識の差別意識を象徴していると、今から考えればそう思う。
 寺山は、67年の天井桟敷旗揚げにあたって見世物小屋の復権を謳っている。実に半世紀も昔のことだけれども、60年代、70年代の日本はベトナム戦争や安保闘争、陰湿な結末に終わった連合赤軍事件など世の中は騒然としていたと僕たちは歴史の教科書で教わる。一方、人々は総中流社会へ突入しようとしていた。世間が同質化していくと、そこに抗う異形なものが生まれる。演劇で言えば、それは既存のものへのプロテストであり、挑戦であり、革命と言えるものだっただろう。
 特に寺山は、難解な海外戯曲に目を向けるのではなく、僕たちの社会の底辺に泥々と流れ、掃き溜められていた家という因習、家父長制の澱がまだ残る家族のいびつさ、社会の偏狭さや不寛容さ。さらには人々の中に眠っている獣のようなタブーを舞台という虚構の世界へ引っ張り出した。寺山は時代の寵児にして、突如として現れたトリックスターでもあったのだ。生きていれば齢80歳を超える寺山の現役時代をかろうじて覚えている僕の浅薄な理解だけれど、寺山は「自分探しの物語」を追いかけ続けたと思う。寺山が今も新しいものとして現れるのは、僕たちの中に寺山的なものがあるからに他ならないだろう。
 「引き金を引け、言葉は武器だ」と叫び、最後に役者たちは作家自身=つまり既成なるものすべてに「ばかやろー!」と叫ぶ。翻って現世を眺めると、たかがツイッターでディールだか何だかしらないけれど、「お前らは邪宗者だ!」と言わんばかりの危険極まりない怪物を生んでしまった素晴らしき民主主義があり終わりなきテロルがある。地球滅亡までの終末時計は残り2分30秒しかない。もしかしたら、アングラなるものは僕たちの最後の砦かもしれない。自由な一人の人間であることを希求するものとして。

ドラマラヴァ― しのぴー
四宮康雅、HTB北海道テレビ勤務のテレビマン。札幌在住歴四半世紀にしてソウルは未だ大阪人。1999年からスペシャルドラマのプロデューサーを9年間担当。文化庁芸術祭賞、日本民間放送連盟賞、ギャラクシー賞など国内外での受賞歴も多く、ファイナリスト入賞作品もある米国際エミー賞ではドラマ部門の審査員を3度務めた。劇作家・演出家の鄭義信作品と故蜷川幸雄演出のシェークスピア劇を敬愛するイタリアンワインラヴァ―。一般社団法人 放送人の会会員。
シナリオライター 島崎 友樹さん

地獄の門が開いたのだ。

札幌の地下奥深く、アトリエ阿呆船と名づけられた空間で、暗黒と邪悪と呪術と寺山修司の血脈を絶やすことなく活動していた風蝕異人街は、それまでも札幌演劇界隈では知られた存在で、異質な輝きを放っていた(初めてアトリエ阿呆船の長く深い階段を降りていくときには足が震えたものだ)。

そうして風蝕異人街のもと、札幌のアングラの火は、芸術という暗闇の中でいつまでも孤高に灯されつづけていく……はずだった。

だが、演劇シーズンがそれを解き放ってしまった。門が開けられてしまったのだ。2015年夏、風蝕異人街はアトリエ阿呆船から動き出し、別の長く深い階段の底に現れた。シアターZOOだ。演劇シーズンの一作品として上演された『青森のせむし男』は、初日をまたずして全公演前売り完売。人々は暗黒の虜(とりこ)となった。

おぞましいのだけど美しい、見たくないのだけど見てみたい、光と闇、正と邪、善と悪、男と女、老女と少女、すべての境界はもろくも崩れ、ただひたすら、声と肉体が叫ぶ。寺山修司が描いた世界の、そのさらに向こうまでも視野に入れた意欲作に、観客は眼差しをうばわれ、心を絡め取られ、もう二度と、観る前の自分には戻れなくなってしまっていたのだ。

あれから1年半、地獄の門は閉じてはいなかった。2017年冬、今度は琴似に現れた。『青森のせむし男』と同じく寺山修司の魔書『邪宗門』。初日、開場したばかりのコンカリーニョに入って、魔力は衰えるどころかいっそう勢いを増してると知った。

荘厳で呪術的な音楽、あきらかに焚きすぎのスモーク。もうもうと煙るその奥には、すでに半裸の狐女が身をうねらして待っていた。開演までの30分間からすでに舞台は始まっているのだ。この開場時からの雰囲気を感じずして『邪宗門』を観たとは言えないだろう(惜しむらくは15分後に流された演劇シーズンの宣伝VTRが仕方がないとは言え場違いだったことと、前説に怪しい雰囲気がなかったことだ。それは前作『せむし男』でもそうだった)。

さて本編だ。前作『せむし男』が(比較して)ストーリー的だったのと違い、今回は音楽劇。パンフレットに「呪術音楽劇」と書かれているが、まさに呪術的。肉体と脳髄にドロドロ入りこむ調べにのせて、肉欲ゆえに母を殺そうとする子という、姥捨てを表層とした物語が進んでいく。しかしそれはあくまでも表層で、徐々にその奥底にあるものまで迫っていく。劇や物語、作者や人類の起源にまでさかのぼり始めたとき、一瞬、地獄の門の中が見える。決して追いやすいストーリーだてでなく、ともすれば歌詞も聴きとりづらく飲みこみにくい部分もあり、一筋縄でいかないと思う人もいるかもしれない。しかしこれは体験だ。目の前で、自分たちと同じ空間で起こっている出来事を見つめ、聴き、肌で感じるしかない。最後は必ず、ガツンと殴られた感覚で舞台は終わるだろう。

しかしそれは本当の終わりではない。いずれまた、どこかの場所に現れるだろう。そのときは、一カ所ではない。数十人が参加したこの舞台は、それぞれが暗黒の子種を宿しているのだ。これから、札幌じゅうで、いや北海道じゅうで、いや世界中でアングラの胎児が育ち、産声をあげていくのあろう。地獄の門が閉じることはない。

島崎 友樹
シナリオライター。札幌生まれ(1977)。STVのドラマ『桃山おにぎり店』(2008)と『アキの家族』(2010)、琴似を舞台にした長編映画『茜色クラリネット』(2014)の脚本を書く。今年春には、長編小説を出版予定。
在札幌米国総領事館職員 寺下 ヤス子さん

赤襦袢、セーラー服、狐のお面、白塗りの顔。怪しい。おどろおどろした寺山修司の世界が始まる。叫ぶ、叫ぶ。歌う、歌う。役者さんたちは、皆、体当たりの力一杯の演技。彼らの情熱が感じられて清々しい。よくこれをまとめたものだと演出家、こしばきこう氏にお祝いの拍手を送りたい。

母親おぎん役の堀きよ美氏が、芝居に歌に本領発揮! 山太郎役の三木美智代氏と絡むシーンは二人のベテランの表情が迫力満点! そして稲川実加氏(山吹役)が魔性の女を好演。倖田直機氏(角兵衛獅子役)、この人こういう化粧と道化的な役がよく似合う。風蝕異人街の役者さんたちは、声と体を鍛えるべく地道に練習を重ねていると聞くが、やはりそういう努力が芝居の安定感、底力となって現れる。努力は裏切らない。後ろにいても、端にいても、上にいても、舞台上にいる限り、役から抜けない集中力が、観客への誠意となって伝わる。

役者、黒子、演出家、観客、と「芝居を操るのは誰か」を問いかける作品でもある。演劇の構造からぶっ壊したいのだ。ばかやろー!と叫んで、既成の殻に風穴を開けたいのだ。
家、親子、情欲、様々なしがらみに絡め取られる人間たち。メインのストーリーに色々な要素が組み込まれて、単純に筋を追うのは難しいが、それぞれのシーンが真摯に熱く演じられるので個々に面白い。一寸法師に耳なし芳一、寺山の想像力についていくのは楽しい。詩人の言葉は刺さる。今回は、「化けたい、消えたい、変わりたい」という怨念のように吐かれるセリフにシビれた。姨捨、近親相姦など、残酷であれ、淫靡であれ、人間の世の暗黒を舞台に引きずり出す。提灯を下げた狐面の一行に案内されて、観客はしばし寺山の世界に迷い込む。

狐に迷わされたことがある。12歳だった。公園で友人と遊んで、夕方5時近くになったので別れて帰宅することにした。夏の日でまだ5時は明るかった。家までは、山手へ上がっていくだけで、そう複雑な道ではない。ところが、目指す曲がり角がない。あれ、通り過ぎたのかと思って振り返ると、いくつもの同じような角が延々とあり、それぞれにぼんやりと明かりが灯っている。気がつくと、日はとっぷりと暮れもう真っ暗なのだ。不安になって今度は前方を見ると、同じように灯りの灯った曲がり角がいくつも延々とある。泣きそうになって立ちすくんでいると、前方から人影が近づいてくる。サラリーマンらしい。顔はぼんやりしてよく見えないが、この人に訊くしかない。「御影山手に帰る道はどれですか?」と訊ねる。サラリーマンは、自分の来た道を振り返り、「4つ目の灯りを曲がりなさい」と言う。「4つ目ですね」と礼もそこそこに、1、2、と数えながら歩く。しかし、3つ目を過ぎたあたりになると、なぜかわからなくなる。あれ、どこから始めたんだっけ。前にも後ろにもまったく同じ町角が無数にぼんやり灯りを灯しているだけ。もうサラリーマンの姿はない。仕方なく、多分ここが4つ目と思われる灯りを曲がる。家に帰りたい一心でただただ目の前の道を歩く。誰もいない。やがて人の声がした。親子が花火をしているらしい。声の方へと歩く。ガサガサと藪の中から出てきた私に、親子は大そう驚いた。そこは、近所の神社のお稲荷さんの祠前だった。親子には、私が祠から出て来たように見えたらしい。お父さんらしき人は、尻もちをついて声も出せず目を見張っている。子供達も花火を手にしたままこちらを見て固まってしまった。ふと見上げると、二対の狐の像はすましていた。そこからは無事に家に帰れたのだが、早速この奇妙な体験を家族に話したところ、母も、たまたま遊びに来ていた叔母も、笑いながら「ああ、狐やね」と驚く様子がない。母も叔母も類似現象を経験済みだった。叔母にいたっては、狐の化身と思われるサラリーマンのインストラクションを言い当てた。「いくつ目の灯りを行けとかゆうやろ」ときたもんだ。なんだ、パターンかと安心する。後に、友人たちからそんなことは滅多にないと気味悪がられるまで、よくあることなのだと思っていた。「私の時はね」と母も叔母も嬉しそうに語り始め、「ああ、そうそう!」と「狐ばかされアルアル」で盛り上がる。そこへ叔父が加わって、「俺はタヌキにやられた、運転中にな。」とタヌキ版体験談。・・・どういうことでしょう。狐は歩行者、タヌキは車、と役割分担があるのでしょうか。それとも女性は狐、男性はタヌキなのでしょうか。うちの家族は動物霊に呪われているのでしょうか。それとも単にばかされやすい人間が集まったのでしょうか。
ともかく皆さんが今宵、無事に家に帰れますように。

寺下 ヤス子
在札幌米国総領事館で広報企画を担当。イギリス遊学時代にシェークスピアを中心に演劇を学んだ経験あり。神戸出身。
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