ゲキカン!U-22


今回は大学生にゲキカン!にチャレンジしてもらいました!
なので「ゲキカン!U-22」。

若い世代が作品をどう観たのか。そして何を感じたのか。
自分の感想と比べてみてください。

また、大人の「ゲキカン!」と大学生の「ゲキカン!」で、
演劇を観ることの楽しさを再認識していただければと思います。
北海学園大学経済学部1年 中村 昇太さん
ミュージカルユニットもえぎ色「Princess Fighter」

子供から大人まで、どの年齢層の人が観ても楽しめる作品だと思った。上演時間が2時間以上の長めの舞台だったが、まったく飽きることなく観ることができた。その理由一つとして、役者の個性があげられる。まず、童話の5人のお姫様はキャラがとにかく立っていて、一人一人の役がすぐ頭に入ってきた。さらに、そのキャラクターたちの掛け合いが本当に面白い。それでいて、感情の変化や心の葛藤が直に伝わってきて、楽しい場面は一緒に楽しくなって、つらい場面は応援したくなった。
個人的にはおやゆび姫のマイナの少し病んでいて、でもなぜか憎めない感じがたまらなく好きだった。圧倒的な強さを持つ魔女もこの舞台には欠かせない人物だ。魔女の自己中心的な思想は5人のお姫様たちを苦しめた。彼女が終盤までわかりやすい悪者でいてくれたおかげで黒幕の悪い魔法使いや白雪姫の登場が際立ったんだと思う。魔女は油断していた。アリーが歌うことができるようになるなんて少しも思ってなかっただろう。だが、その慢心が魔女敗北の一番の原因だと思う。魔女を裏切ったコノエも、魔女の性格に嫌気がさしていたのではないだろうか。
また、当たり前だが内容の面白さも飽きずに観られた理由の一つだ。起承転結がしっかりあってすごく観やすかった。さらに後半にかけてどんどん盛り上がっていく感じや、そこから観客をいい意味で裏切る展開は、観客をこの舞台にひきつけた。ラストの白雪姫のところは白雪姫の気持ちがすごく共感できた。
照明のきらびやかな感じとそれぞれのキャラクターが歌う歌が絶妙で心を掴まれた。どの歌もその時々のキャラクターや場面に合っていて、集中力が切れることなく観ることができた。私はミュージカルを観たことがなかったけど、この作品を観てほかのミュージカル作品も観たくなった。はじめてのミュージカルがこの舞台でよかった。

北海道教育大学岩見沢校芸術スポーツビジネス専攻2年 住永 梨帆さん
intro『わたし-THE CASSETTE  TAPE  GIRLS  DIARY-』

私は何を見たんだろう、舞台の上で起こっていたことは何だったのだろうと観劇後にぐるぐると考えていました。それは今でもよく分かっていませんが、観劇していたあの時あの瞬間確実に“私”は“わたし”になっていたのだろうなと漠然と感じます。作中にはたくさんの“わたし”が出てきました。影子、眠子、おじさん子、でしゃばり子…。その一人ひとりが紛れもなく“わたし”ですが、それぞれ個性はバラバラでした。色々なシーンの中で、スポットライトを当てられる“わたし”たちは“私”に様々な言葉や考え、行動を投げかけてきます。“私”はそんな“わたし”たちの投げかけてきたものを自分の中に一つ一つ落とし込み、自分のこととして吸収していったのではないかと思います。だからこそそれぞれの怖い、面白い、楽しい、寂しい、辛い、といった感情が渦巻いてぐるぐるしてしまったのだと感じました。最近は日常の中に純粋な感情というものを少し置いてけぼりにして生きているような気がします。その久しぶりに感じる純粋な感情がいくつも短い時間で押し寄せてくる疾走感と衝撃はまるでジェットコースターのようで、インタビューの中でイトウさんが仰っていた「アトラクションのようなものだと思ってもらえるのが良いかもしれない」という言葉にぴったりと当て嵌まりました。“私”は“わたし”たちに共感できる部分があり過ぎたために少しパンク気味になってしまいましたが、何かきっかけがないとなかなか知り得ない様々な自分の一面に触れることのできた非常に貴重な経験だったと思います。
30名を超える出演者の生を間近で感じることのできる演劇は決して多くないと思いますし、これだけ消費カロリーの半端ない演劇もそうそうないと思います。魂を削って何かをしています、と軽々しく口にする人にこの舞台を見せてあげたいです。肉体と精神が安売りをしているわけではないのに踊りに踊っている、そんな生の塊のような舞台を札幌で拝見することができた私はなんて幸運なんだろう!と思いました。

北海道教育大学岩見沢校芸術スポーツビジネス専攻2年 住永 梨帆さん
イレブンナイン「あっちこっち佐藤さん」

次々に巻き起こる笑いと驚きで、観劇しているこちらもまさにノンストップで走り抜けた!と感じるような2時間でした。まず、可愛い南と北の大家さんたちが繰り広げる前説が本当に素晴らしかったです。観劇時の注意事項など、普通の説明ではスルーされがちな内容を上手く注目させて聞いてもらう良い手段だと思いました。この前説があったことによってよりスムーズに観客が物語の世界に入っていけたのではないでしょうか。続く本編は笑いに笑いを重ねて笑いでコーティングした、そんな内容でした。どこが面白かったか、と聞かれると本気で困ってしまうほど最初から最後まで笑わせてもらいました。しかし、ただ面白いだけではなく考えさせられる内容やハッとするセリフなどが要所要所に盛り込まれており、コメディというカテゴリーだけに分類される訳ではないのではないかと思いました。
濃すぎるほどに濃い佐藤さんたちの中でも特に印象的だったのがyhsの小林エレキさん扮する佐藤巡査長です。冒頭からその独特の訛りと動きで観客を沸かせ、普通のコメディ要員なのかな?と思っていました。しかし、その後は佐藤ヒロシを追い詰める重要なキーマンとなり、物語を掻き回していきます。何より痺れたのがヒロシを見逃すシーンです。粋なことするねぇ、という佐藤タロウの言葉に全力で同意したくなりました。そんな一癖も二癖もある巡査長を見事に演じておられた小林さんのパワーは凄まじいものでした。役者さんのぶつけるパワーは観客に確実に届くもので、今回は小林さんの全力をひしひしと感じました。
私が拝見したのは明さん・納谷さんペアの回でしたが、ダブルキャスト全員を見てみたいと強く思いました。ダブルキャスト制は演劇のライブ感をさらに高める役割を担っていると思います。次再演される機会があれば、全組み合わせを制覇したいです。

藤女子大学 文学部 日本語・日本文学科1年 大岩 歩佳さん
イレブンナイン「あっちこっち佐藤さん」

2014年夏の演劇シーズン。それは、私にとって思い出深いものである。それまでの私は札幌演劇をほとんど観たことがなく、友人に連れられて初めて「札幌演劇シーズン」というものを知った。それが、2014年の夏だった。
2014年夏の演劇シーズンの中でも、「あっちこっち佐藤さん」は特に印象深い。舞台をめまぐるしく駆ける役者とその会話のリズム、時々はさまれるネタに約2時間笑わされっぱなしだった。役者の熱量と観客の多さにより会場であるコンカリーニョは熱気に包まれ、スタッフの方がうちわを配るほどであった。帰り道、一緒に見に来た友人に「これが真のコメディか!」と興奮して話したのを覚えている。
そんな作品が、3年の時を経てもう一度観られるという。しかも、コンカリーニョよりもっと大きな、かでる2・7という舞台で。3年の間にすっかりイレブンナインのファンになっていた私は、かなりの期待を胸に会場へ向かった。こんなに自分の中のハードルを上げて大丈夫だろうかと思ったりもしたが、そんな心配は無用だった。彼らはそんなハードルをぴょんと簡単に飛び越えてしまったのである。よりポップになった舞台装置、何度も観たいと思わせるダブルキャストの組み合わせの数、パワーアップした役者陣。どれをとっても素晴らしく、また2時間笑わされっぱなしだった。前回よりも「お客さんを楽しませる」ことに重点が置かれていたような気もする。お客さんを爆笑の渦に巻き込むだけでなく、観ている間に自然と笑顔になってしまうような、そんな劇だった。私は、これがイレブンナインのエンターテイメントなのだと再認識した。

国際基督教大学教養学部アーツサイエンス学科1年 佐久間 泉真さん
intro『わたし-THE CASSETTE  TAPE  GIRLS  DIARY-』

 役者が演出の意図通りに動き、一つのコンセプトからずれることなく展開していく舞台。観客の理解を助ける台詞での説明や、あっと驚く伏線の張られた物語の要素が少ないため、他の参加作品と比較して「わかりづらい」という感想を持つ人もいるかもしれないが、僕はむしろ過剰な説明にうんざりすることがなく、一貫した世界観に安心して飲み込まれる経験をした。これこそ劇場でしか味わえない面白さだと感じた。

 この作品の出演者は、作品全体のカラーを壊すことなく、しっかりと役割をこなしていく。見どころである歌やダンスも、あざとさを感じさせず、かつ狙いすぎず、ただひたすらに元気に舞台を生きている。決して、「見て見て!すごいでしょ!」とはしない。どうにかして個性を出そうと必死にならなくても、演出の意図をしっかりと汲んでそこに居れば、自ずと個性や魅力は見えてくる。舞台に立つことに慣れている人よりもあまり有名でない役者が魅力的に見える。僕はこういう(作り方をした)舞台が好きなんだなと再確認することができた。内容に関しては、僕自身が太宰治のようなおじさんでもないし女生徒でもないからか、共感するポイントや胸に刺さる台詞は少なかった。
 出演人数が多かったので誰が誰なのか全員を把握することはできなかったが、特に強く印象に残ったのは影子(山下愛生さん)。犬(宮沢りえ蔵さん)を除いて全員が「わたし」で、ひとりひとりそれぞれの魅力があったけれど、僕は気がつけば影子を目で追っていた。他の人ができないような特別「面白いこと」をしているわけではないのに、ただそこにいるだけで、役割を果たしているだけで、どうしてこんなに面白いんだろう!この現象を「演劇の力」と言うのならば、それを一番感じた役者は山下さんだった。

 インタビュー記事でのしろゆう子さんは、「この作品はどこを切っても同じものしか出てこない」と仰っていたが、本当にそう感じた。どのシーンにも一貫した演出の意図があり、メッセージがあり、役者はそれを汲み取っている(全員が完全に理解しているかどうかはわからないけれど)。この作品を作ったチームが、真摯に作品作りに向き合った証拠が舞台上にあった。

北海道教育大学岩見沢校芸術スポーツビジネス専攻2年 松浦 若菜さん
intro『わたし-THE CASSETTE  TAPE  GIRLS  DIARY-』

 女の子たちのパワー、元気、情熱にただただ圧倒され続けました。1つのお芝居を観ているというより、1つの音楽として作品を観ている、聴いている。物語として進んでいくというより、流れるように展開していく舞台に見入ってしまう感覚でした。introの演出家であるイトウワカナさんが、「常々音楽を作りたいと思ってやっている。」とインタビュー内で話していました。その言葉が理解できるように、Aメロとかサビとか、盛り上がりや流れがあって、音楽的な要素が非常に含まれている。多くの人にとって、今までに観たことのないタイプの作品だと思います。
 クスッと笑える部分があったり、心にグサッとくるようなシーンがあったり、感情がぐるぐる自分の中で変わっていきました。冒頭の歌とダンスのシーンでは、耳に残るメロディと、面白い歌詞で笑ってしまいましたが、影子ちゃんが出てきてからは、胸が痛いというか、観ていて切ない。「生きているのに半分死んでいる」という言葉がグサッと刺さりました。誰にも相手にされないとか、集団の中で独りきりにされるとか、生きているのに、自分が生きているのか疑ってしまう。そんな感情が、自分の心の中にも出てきて、ふと悲しくなりました。でも、舞台上にいる人たちは全て同じ「わたし」の中の一部であり、誰にでも自分の中に影子ちゃんみたいなところとか、他の子達みたいなところとか、いろんな性格とか感情があるんだと思います。
 女の子たちが必死に汗をかいて舞台上で頑張っている姿や、今の一瞬一瞬を体現している姿は、観ている自分たちに力を与えてくれるような感覚になります。繰り返される毎日ではあるけれど、この今の一瞬一瞬が大切で、明日もまた頑張ろうって思いました。でもきっと、この作品は好き嫌いがはっきり分かれるでしょう。でも、この作品を見ると、他の劇団の芝居が違った視点から見えたり、演劇ってこんな作品もあるんだという発見になったりする気がします。Introの役者である、のしろさんも話していた「しっかりしたあらすじはあまりないけど、少しの人生の経験として観て欲しい」という言葉。その通りでだと思います。考えるより感じるような感覚の舞台。introにしかできない圧倒的なパワーが、演劇の新たな世界を広げてくれると思います。

国際基督教大学教養学部アーツサイエンス学科1年 佐久間 泉真さん
イレブンナイン「あっちこっち佐藤さん」

 初日の藤尾・納谷ペアを観に行った。この作品は2014年の再演も観て楽しんだので、あれより面白いものが観れるのかと期待大。SNSやYoutubeで宣伝に宣伝を重ねていたこともあり、ハードルはぐんぐんと上がっていく。きっと他の観客もそうであったに違いなく、開演1時間前からパンフレットを読む人々の長蛇の列。納谷さんは「札幌演劇の中で一番面白いのはイレブンナインです」とまで言うのだから!

 非常に質の高いコメディだった。イギリスの著名な劇作家が原作なのだから脚本の構成はもちろん、「イレブンナインならではの演技」(うまく説明はできないけれど、イレブンナインの役者の演技には共通したものを感じる)や舞台美術・音楽も上質。子どもやお年寄り、普段演劇を観ない人への配慮が十二分になされており、笑いのポイントを提示するような演技、説明的な場面転換、前説までもが観客に優しく作られていたことにも好感を持った。僕の前に座ったおばさま方は5人くらいのご友人と来ていたみたいで、全員肩を揺らして拍手をして笑っていた。どこかで「札幌演劇は初日から完成されたものを持ってくる劇団が少ない。千秋楽に近づくにつれ良くなっていくのだけれど。」というような感想を見たが、「あっちこっち佐藤さん」は初日からきちんと作り込まれており、千秋楽かと言わんばかりに観客を大いに沸かせていた。好きかどうか、笑えるかどうかは人それぞれだと思うけれど、演劇作品として非常に完成度の高いものであったことは間違いない。
 お気に入りの役者を一人あげるとするならば、巡査長役の小林エレキさん(yhsより客演)。彼の演技は「イレブンナインならでは」ではないけれど、作品のカラーにふさわしい表情や息遣いの巧さに感動を覚えた。お客さんに親しまれる「おいしい役柄」であるのに、決して狙いすぎず、巡査長として舞台で真剣に生きる様は、2週間前までコンカリーニョで別の芝居をやっていたとは思えないほどの完成度。「もえぎ色」でも感じたyhsの役者の層の厚さには、いつもいつも感嘆する。
 この作品はきっとまた演劇シーズンで上演されるだろう。その時はもう少し大きい劇場で。

北海道教育大学岩見沢校芸術スポーツビジネス専攻2年 住永 梨帆さん
ミュージカルユニットもえぎ色「Princess Fighter」

私は小さい頃、プリンセスがあまり好きではありませんでした。いつもピンチの時には王子様が助けに来て、守ってくれる。それに自分とは正反対で可愛くて、お淑やかで、世界観も非日常で境遇に共感できない…。しかし、今回は戦うお姫様のお話です。王子様は一切出てこず、幸せを掴むために悪と戦うプリンセスたちの姿は子供の頃の自分に見せてあげたいと思います。それだけ劇中の戦うプリンセスは本当に格好良くて、まさに私にとっての憧れがぎっしり詰まったような存在でした。劇場を見回すと他作品より遥かに小さなお子さん連れの親子が多く、印象的でした。子供から大人まで幅広い年代の方が面白い!と思える作品を作ることは簡単なことではありません。そこでミュージカルという形式は幅広い年代をカバー出来る素晴らしいものだと改めて感じました。キャラクターの感情を歌に乗せて紡ぐことで更に言葉の力が強まり、受け取り易くなります。ストレートプレイだとどうしても子供は飽きてきてしまうことがありますが、歌にダンス、そして今回は力強いアクションが盛り沢山になっていたことで最後まで楽しく観劇することが出来ていたのではないかなと思いました。
私の隣に座っていた小さな女の子は、終演後に「親指姫が可愛かったね!」とお母さんに話しかけていました。今作の登場人物は一人ひとりが個性的で、私達が知っている童話のお話しとは少し違っていました。様々な事実が明らかになる中でその理由も明かされますが、その個性が最大の魅力となっていたのではないかと感じます。男だけどシンデレラ、メンヘラで少し年増(⁉)な親指姫、歌が歌えない人魚姫…童話に出てくるプリンセスとは違い、彼女たちに弱さがプラスされていたり現代を反映した個性を持っていたりしました。完璧なプリンセスにせず、どこか共感できるポイントをつくることでより身近に感じられたのではないでしょうか。だからこそ隣の女の子のように観劇された方はキャラクターの中で誰かは必ずお気に入りを見つけられたと思います。演劇にとっての観客の感じる親近感とは、最高の演出のひとつではないかと考えさせられました。

国際基督教大学教養学部アーツサイエンス学科1年 佐久間 泉真さん
ミュージカルユニットもえぎ色「Princess Fighter」

 お腹いっぱい大迫力のミュージカル!札幌で様々なジャンルの舞台で活躍する役者たちが音や光に合わせて戦う様は、衣装や音、プロジェクションマッピングを含めた照明の効果もあり、見所満載で常時ワクワクしながら楽しんだ。
 この壮大なファンタジーを描いたのは、役者としても評価の高い深浦佑太さん(ディリバレー・ダイバーズ)。僕は彼が出演する舞台が大好きで、自分のエゴよりも作品に従事することを重要視する役者としての姿に惚れ惚れするが、脚本家となると独特の深浦節を炸裂し、胸躍らせる漫画チックな要素を持ちながらも矛盾の少ない世界観を作り出す。一見理解に時間がかかるように思える世界観にも、彼の脚本には不思議とすんなり入り込むことができる。少年心をくすぐる武器や魔法の数々、クライマックスの展開も「お約束」をふんだんに盛り込んだ清々しいラストになっていた。少女心をくすぐる衣装や踊りの数々、プリンセスの煌びやかさを彩る数々の装飾もぬかりなく作り込まれていた。子どもから大人まで、全世代が一緒に楽しめる作品だった。
 とにかく魅力的だったのは魔女役の青木玖璃子さん!演技はさることながら、歌も踊りもとても見応えがあって素敵だった!発声や身体の動かし方ですぐにわかる青木さんの基礎力の高さが、この舞台の要となっていたと言っても過言ではない。そう感じたのは僕だけではないらしく、劇場を出た周りのお客さんの会話にも「魔女すごかった」の声をたくさん耳にした。今シーズン1作目「忘れたいのに思い出せない」でも感じたことだが、yhsという団体の役者の層の厚さは札幌屈指のものだ。
 開場中の前説から終演後のレビューショーまで、とにかく見所満載なのだが、満載すぎて上演時間が長く感じてしまったことは否めない。演出家のこだわりがあるのもわかるし、それらも含めて楽しんだお客さんも多かったようなので好みの問題だが、僕は最初から最後まで深浦さんの描いた世界観(=「PrincessFighter」)を楽しみたかった。劇場を出る際に残ったのは作品の印象ではなく、「もえぎ色」という団体の印象だった。

北海道教育大学岩見沢校芸術スポーツビジネス専攻2年 松浦 若菜さん
ミュージカルユニットもえぎ色「Princess Fighter」

 子ども向けの作品だと思ったら大間違いでした。これは大人も楽しめるエンターテイメント的作品だと思います。始まる前、ミュージカルが、この小劇場でどこまで出来るのかと、甘く見ていました。しかし、あの小さい空間の中でも、迫力のある殺陣や、ダンス、プロジェクションマッピングなど、予想をはるかに超えるものばかりでした。衣装や動きに目を奪われ、歌声に心を奪われる。客席を見るとみんなの表情がキラキラしていて、大人の人も、目を輝かせて観ているのが印象的でした。
 この物語が大人にも受け入れやすくなっているのは、登場人物の背景が現代っぽく描かれていて、おとぎ話のお姫様ではあるんだけど、どこか共感しやすいお姫様たちだからだと思います。お姫様なのに、狂気的とか、とっても強いとか、歌が歌えないとか、童話の世界の人物のように別次元の人とは思えない。可愛らしいお姫様と言うより、愛くるしい、心の温かさに溢れた人たちだと思います。ありきたりな童話みたいに、王子様が出てきて姫を助けるとか、いじめられつつも誰かに助けられて最後は幸せに暮らしていくとか、そんなよくあるハッピーエンドではない。お姫様が、自分たちの未来を、自分たちだけで開いていく姿に、子供だけじゃなく大人も勇気付けられる部分があると思います。
 魔女役の青木さんは、誰もが思い描く悪い魔女、まさにそのままでした。口調や声、立ち姿など、魔女がそのまま憑依したような、はまり役だったと思います。憎らしいほど嫌な表情を見せるときもあれば、悪役だけれど美しい表情を見せるときもあって、非常に魅力的な役でした。小さい子はきっと怖いとか、憎たらしいとか、嫌な感情を持つような悪役ですが、大人たちはこの魔女の魅力に引き込まれてしまうように、好きなキャラクターとして見る人も多いと思います。
 初めて生で見たミュージカルでしたが、ミュージカル初心者にとって、非常に見やすい楽しい作品だと思うし、ミュージカルを好きになるきっかけになるはずだと思います。他の演劇シーズンの参加作品とは、もちろん全然違いますが、「ミュージカルはわからないから…」と思って、他の作品は見てこの作品を見ない方がいるのなら、それは札幌演劇の新しい広がり、新たな面白さを逃すようなものだと、私は思います。この舞台を見て、ミュージカルも、もえぎ色さんも、童話のお姫様も、もっと好きになりました。

北海道教育大学岩見沢校芸術スポーツビジネス専攻2年 住永 梨帆さん
パインソー「extreme+logic(S)」

会場に入るとまず、パンフレットと共に渡された3つのマルチエンディングのどれかに投票する事になりました。私が選んだのは黄緑色の『「見ろ!これが、生き様だ。」生きたヒーロー 篇』。ヒーローなんだから生きていて欲しい、ヒーローの悲しむ姿なんて見たくはないと思い選びました。投票時間が終わり、箱が回収されるかと思いきや舞台上に置いたままにされて行ったのには非常に驚きました。マルチエンディング、というだけでも演劇ならではのライブ感が味わえるにも関わらず、劇中で開票することによって更に新鮮さやドキドキ感がプラスされていました。
SF感漂うセットの中でオープニングの歌と踊りで幕が上がると、そこには正しくパインソーの世界が広がっていました。アドリブの応酬、所々に散りばめられた「大人」な内容に客席から笑いが巻き起こる中でも物語は確実に進み、驚きの事実が判明していきます。本当に面白く、これはエンターテイメントだ!と思いました。

そして運命のマルチエンディングは、とにかく衝撃的でした。ヒーローの幸せを願った結果がまさかの展開になり、暫く固まって動くことが出来なかった感覚は忘れられません。それだけ目の前の世界、特に田中さんの全力の演技に引き込まれ、まるで自分がその場面に立ち会っていたかのような感覚に陥っていたのだと思います。生きる=幸せではないのか、全員がハッピーエンドを迎える事は難しいのか、などとその時感じた疑問は今でも答えが見つかっていません。『extreme+logic(S)』は様々な意味で私の中に深く爪痕を残した作品になりました。

藤女子大学 文学部 日本語・日本文学科1年 大岩 歩佳さん
ミュージカルユニットもえぎ色「Princess Fighter」

 劇団四季以外でお金を払ってミュージカルを観たのは人生で初めてだったかもしれない。各シーンの歌が終わるごとに素早く拍手が起こったり、劇本編の前後にあるレビューショーで手拍子をし続けるあの感じは、ミュージカルでしか得られない楽しさだと思った。劇の内容にのめり込む、とはまた違った感覚で楽しめる、これこそ観客参加型の演劇だと思う。

 ミュージカルの良いところは歌だけでなく目でも楽しめるところではないか。細かく作り込まれた衣装と小道具、それらを邪魔することなく存在感を発揮する舞台装置。加えて、今回の劇は照明効果が素晴らしかった。女王が登場するシーンはどこも照明によってその恐ろしさや力強さが強調されていた。

 何より良かったのは、全員がミュージカルが好きなんだという思いが、観ている観客にまで伝わってくることである。レビューショー含め、劇のストーリーだけでなく全力で歌い踊る役者の姿に胸を打たれた人も多いのではないか。客席にも小さい子供やお年寄りが多く、こういう気軽に観られる参加型の演劇から、もっと札幌の演劇を観る人が増えればいいなと思う。私は今後のもえぎ色の公演を観てみたいと感じると同時に、この先演劇シーズンでまたミュージカルが上演されることがあれば観てみたいと強く思った。

藤女子大学 文学部 日本語・日本文学科1年 大岩 歩佳さん
パインソー「extreme+logic(S)」

 会場であるBLOCHに入ってまず驚いたのは、舞台の狭さである。もともと舞台と客席が近い小劇場ではあるが、それにしてもこんな狭くて近い舞台でちゃんと劇が回せるのだろうかと思った。開演前はその狭さにばかり気が取られていたが、いざ始まってみると、その奥行きが上手く使われていることに気づいた。さらには、一番奥のスペースとその手前をスクリーンのようなもので仕切られるようになっており、私が見たエンディング(花火の約束編)ではスクリーンが大いに活用され、演劇と映像の融合を楽しむことができた。

 演劇と映像の融合。近年、劇中やオープニングに映像を取り入れる芝居が増えているように感じる。中には映像なのか照明効果の一部なのかわからないような壮大なものもある。今回の「extreme+logic(S)」も例外ではなく、むしろかなり多く映像が使われていたほうだと思う。私はこの劇を見て、なんとなく「夜明け前」(演劇シーズン2014夏)という作品を思い出した。「extreme+logic(S)」と同じく川尻恵太脚本の劇で、同様に映像や照明が効果的に使われていた記憶がある。

 映像による演出は記憶に残りやすいのだ。今回の劇はヒーロー物ということもあり、一種の長いアニメを見ているような感覚だった。アニメの登場人物が目の前で笑い、叫び、泣く。ただ、テレビを通して見るよりよっぽど「生の感覚」が強い。そこにパインソーの魅力はあるのだと思う。演劇にも映像にも執着しすぎず、ひとつのエンターテイメント作品としての形を見せつけてくれたのである。

北海学園大学経済学部1年 中村 昇太さん
パインソー「extreme+logic(S)」

私はこの舞台を観て、斬新で奇抜な舞台だと思った。いままで私が観た標準的な演劇とは違う設定、舞台セット、演出だった。息の合ったキレキレのダンスと歌で舞台が始まったと思えば、カオスな先生と生徒のシーンに場転し、先生と生徒のアドリブ合戦。それを成り立たせる役者さんたちはすごい。
その後の大槻が最初に同級生を殺してしまうシーンは、ふざけていていい意味でくだらなくて、私がこの舞台で一番印象に残っているシーンかもしれない。この時点で舞台の生み出す独特のテンポに乗せられているのがわかった。
前半はこんな感じのコメディ色強めで進んでいくのだが、ある一つの事実によって物語は急変する。ヒーロー食は人間の肉だったのだ。舞台上の雰囲気が一瞬にしてシリアスに切り替わった。前半の明るい雰囲気が後半のシリアスを際立たせていたと思う。その事実を知ってからのヒーローたちの選択が観ていてつらかった。私は三つのエンディングのうち「理にかなった理不尽〜現実の告白篇〜」と「ヒーローだって風物詩〜花火の約束篇〜」を観たが、どちらかといえば「〜花火の約束篇〜」のほうが好みだった。結果的に榎本は救われないのだけれども、そのなかで小さな幸せをつかんだところに魅力を感じた。また、榎本と先輩がみる最後の花火の照明がとても印象に残った。あと一つのエンディングが観られなかったことが心残りだ。
プロジェクターを使った演出の多さにも驚いた。場面転換の時にプロジェクターを使うことによって転換後の場面がわかりやすくなっていたし、集中力も切れにくかった。ヒーローネームを決めるところは鉄板だけど面白かった。また、メタネタも所々にちりばめられていた。中でも、“マヨネーズマン”と“強いなにか”でエンディングを決める投票箱の中身を集計するシーンはすごい発想だと感じた。そこすらも舞台上でやるのかと思った。
一番初めにも書いたが、この舞台は私の中で斬新で奇抜な舞台だった。そして、このパインソーワールドともいえる独特な世界観や面白さは、このチームにしかできない舞台だと思った。

国際基督教大学教養学部アーツサイエンス学科1年 佐久間 泉真さん
パインソー「extreme+logic(S)」

 小さい頃の僕はガオレンジャーが大好きで、家族でカラオケに行けば必ずと言っていいほどテーマソングを歌っていた。アンパンマン、ウルトラマン、仮面ライダーなど、「ヒーローもの」は小さい子ども向けのイメージがあり、当作品「extreme+logic(S)」も子どもが楽しめるものなのかと期待して劇場へ足を運んだが、やはりそこはパインソー。オトナの娯楽的演劇。かっこいいヒーローが悪を成敗して世界を救う爽快なストーリではなく、人間の業と欲をテーマとした、正義論の物語だった。
 「正義とは何か」を真っ向から提起するのではなく、役者の小ネタやアドリブを用いて、緩く楽しく展開を進めていった。特に時事ネタやシモネタが目立ち、それらこそが「パインソーらしさ」なのかもしれないけれど、それによって世界観が壊れてしまう場面が何度かあり、話に矛盾があるように感じてむず痒い気持ちになる(「表現者」にとっては頭の堅い客なのかもしれないけれど)。時にそれは「演じている人たちだけの楽しみ」に見えることもあったが、「パインソーらしさ」がたまらなく好きな人にとっては至福の時間だったのだろう。役者は芸達者な方が多く、特に素晴らしかったのは青い衣装がかっこいいサーターアンダーギー役の熊谷さん。出番や小ネタの量こそ多く無いが、作品世界を壊すことなくその存在感を示し続けていた。終盤にやられてしまったときはショックだった!総合的なバランスに関しては、せっかくヒーローが登場し音楽も舞台セットも豪華なのだから、それらをふんだんに活用してもっとスピード感を出しても良かったのではと感じた。しかし、そうするとパインソー独特の緩さを失いかねないのかもしれないが...。
 マルチエンディング方式の作品もそうだが、グッズや終演後のイベントもファン心をくすぐる素晴らしいサービスだった。別のエンディングも見たいと思わせるような宣伝の仕方、アイデアも内容も特別感満載のサーバーパンフレットなど、お客さんをワクワクさせるための様々な工夫がなされていた。シーズンに参加している団体としての責任感や、劇団の本気度を感じた。

北海道教育大学岩見沢校芸術スポーツビジネス専攻2年 松浦 若菜さん
パインソー「extreme+logic(S)」

 ヒーローって正義?とか、ヒーローを正義と思ってる人間自体がそもそも正義って言えるのか?とか、「自分が正しいと思っていることは何なのだろう」って考えさせられた作品でした。今生きている私たちも、自分自身が正しいかもわからないのに、正しいと思ったものを信じて、正しくないものは批判している。ラストに向けて、どんどん心が締め付けられていきました。しかし、そういった人間の理不尽さとか、正義とかが、重くテーマとして描かれているのではなく、役者さんたちのアドリブシーンや笑いの要素もふんだんに含まれていたので、そこがパインソーならではだと思いました。
 ヒーロー役の赤谷さんは、真のヒーローでありながらも、人間とヒーローとしての複雑な感情に悩む姿がカッコよくも切なく伝わってきました。また、田中温子さんの演じたヒーローは、自分の中で孤独や人を好きになる幸せを考えながらも、ヒーローとして生まれたことで心が傷ついていく姿に涙が止まらなくなりました。正義の代表として生きていかなければならないヒーローであることに誇りを持って生きていきながらも、ヒーローは、生きるために人を殺してしまっていることに絶望する。この事実にヒーロー自身絶望しているのに、人間はすぐに批判していく。その人間の姿が、身勝手に何かを信じて、身勝手に何かを批判して、自分たちだけが傷つかないように生きていると感じ、私たちもきっと気付かぬうちにこんな人間になっている部分があると思いました。
 どのヒーローも魅力的な役で、きっと誰もが自分のお気に入りのヒーローができると思います。みんな面白くて、それでもそれぞれ闇を抱えている。ヒーローは遠い存在なのに何故か近くに感じてしまう魅力を持っていました。演出家の山田マサルさんがおっしゃっていた「見たことない世界を舞台の上で見てみたい」という気持ちがよくわかりました。見たことない世界だけど、遠く離れた話というわけではなくて、何故か身近に感じてしまうヒーローたちやこの世界観。私たちが見たことのない世界と、今の自分たちの生きている現代の、汚い部分という見たくない世界を両面写していると思いました。
 この芝居を観終わったとき、観た人だれもが他のエンディングが気になってまた何度も観たくなってしまうと思います。札幌にはなかったマルチエンディングとか、アドリブシーン、歌やダンス、インパクトのある照明とか、物語としての面白さなど、いろいろな素晴らしい要素が詰め込まれたお芝居でした。見たことのない世界を観られたり、今の自分の生きている世界を考えたり、パインソーにしか出せない色の舞台であると思います。

国際基督教大学教養学部アーツサイエンス学科1年 佐久間 泉真さん
yhs「忘れたいのに思い出せない」

 劇のテーマとなる親の介護、認知症、出産、それらに伴うお金の問題はあまりにもリアルに表現され、考えざるを得ない状態にまで観客を連れて行く。登場人物が経験する労苦は、大小あれど誰しもが抱える問題であり、家族で生きていく上で見て見ぬ振りをすることはできない。大学一年生で実家を離れた僕にとって、確かに「いま観るべき」物語だった。
 どうしても家族で観て感想を分かち合いたい作品だったので、父と母と妹にも観に行ってもらい互いに感じたことを話し合う機会を持った。ホームヘルパーの経験がある母は、ヘルパーを演じた紀戸ルイ(24日)に注目したという。所作ひとつひとつが介護技術を学んだ者の動きで感動したと話してくれた。父は、身近すぎるテーマであったために観客として舞台に入り込めなかったと言った。僕はというと、もっとも胸を締め付けられる思いをしたのは、櫻井保一演じるゲンブ(新人ヘルパー)がおばあちゃんの指輪を盗んだ瞬間だった。言い訳のできない罪を犯した瞬断だった。彼には彼の人生があり、背景があり、感情を持つ人間だ。明らかにやってはいけないことをしたからこそ、車に轢かれるという結末には納得がいかなかった。まるで、それが罪を犯した代償かのように描かれてしまっていた気がした。
 家族で共通して話題になったのは、やはりセンリおばあちゃん演じる福地美乃の演技!演劇でよく見る所謂「おばあちゃんっぽい仕草」ではなく、目つきや手先など細かいところに研究が成されていた。役者の姿を感じさせない、そこに「本当に人がいる」状態は『しんじゃうおへや』(札幌演劇シーズン2016-冬参加作品)での小林エレキにも似たようなものを感じた。映像作品では味わえない、目の前の現実を体感する感動に演劇の力を再発見することができた。そして、その存在のおかげで作品の温かみを何倍にもしてくれたカヤモリは良いキャラクターだった。yhsはタレントではなく、役者の層が厚い劇団だと感じた。
 僕もいつかはガンマのような父親になるのだろうか。それともその前にゲンブやマストのような立ち位置に立つのだろうか。いつかはセンリおばあちゃんと同じベッドで寝ているのだろうか。大切な人ができたときにもう一度観て、自分が置かれている状況を確認したい。

北海学園大学経済学部1年 中村 昇太さん
yhs「忘れたいのに思い出せない」

 実際に目の前でおばあちゃんたちのやりとりが行われていて、その一部分を覗いている感覚になった。とても重たいものが題材なのに現実のようにみせられるのは、この舞台が総合的に優れたものだったからに違いない。出演者たちの演技は全員、その役者が舞台で生きているように見えた。

ホームヘルパーのゲンブとマストは中学の時にいじめられていた過去があり、自己表現が苦手な性格だった。しかし、マストは様々な出来事を通して変われた。少し前向きになった。それは、一番つらい状況で一歩踏み出すことができたからだ。そのあとゲンブを殴らなかったのも大きいと思う。一方で、ゲンブは変われなかった。あの状況で一歩踏み出すことができなかった。ゲンブはクズだ。しかしクズだったおかげでマストが変われたのだと考えると、何か複雑な気持ちになってくる。

トオルとトオルの父親であるガンマのすれ違いもみていてすごくつらくなった。トオルは祖母のセンリ思いで、センリと暮らしたいと思っている。反対に、ガンマはシングルマザーを選んだトオルのことで精一杯で、センリにまで手が回らない。でも、その二人をつなげてくれたのがセンリだ。センリのおかげで家族三人の心が通じ合った。カーテンコールの後、センリを背負ったガンマとトオル、そしてトオルの子どもが一緒に、舞台袖にはけていく姿を観たとき、まるでまだ芝居が続いているように思え、感動した。小さな希望がみえて、これから幸せが待っているような気がした。

この重たい舞台を最後まで楽しくみられたのは、笑いの力も大きいと思う。センリがコミカルに自虐的なことをする笑いや、区役所職員のカヤモリのハチャメチャなのにシュールな感じの笑いによって、内容の重さが緩和されていると感じた。個人的には、センリとセンリの亡き夫マサヒコの掛け合いが面白くてほのぼのした。また、舞台セットも現実の世界とセンリのみえている世界が合わさった幻想的なセットで、まるで芸術作品をみているようだった。

私は演劇をみた回数はそれほど多くはないけれど、初めて涙が出そうになった。それほど感情が揺さぶられた。心が豊かになった。この作品をみて良かった。

北海道教育大学岩見沢校芸術スポーツビジネス専攻2年 住永 梨帆さん
yhs「忘れたいのに思い出せない」

劇場に入ってまず、その不思議なセットに目を奪われました。なぜ壁から木の枝が伸びているのか、フローリングの床から芝生が生えているのか。その疑問は、冒頭のセンリとその孫娘であるトオルのこんな会話で明かされました。
「うちの庭だもんねえ!」
「違うよ、おばあちゃんの部屋だよ」
 認知症を患うセンリには、自室が自宅の庭に見えていたのです。センリの見ている世界と現実の世界が融合したそのセットは、非日常でありながらどこか当たり前の日常の風景であるかのように感じられました。それは物理的・視覚的に境目が感じられないほどナチュラルに庭と部屋が融合していたということもあるかもしれませんが、誰にでも起こりうる日常の出来事を描いていたからこそ、当たり前の風景のように感じたのでないかと思います。いつか私もセンリのように認知症を患って『庭』が見えるようになるかもしれないと違和感もなく思えたことで、センリの庭を受け入れることが出来たのではないかと思うのです。
脚本・演出の南参さんにお話を伺った際「観劇を通して自分ならどう思うか、どうするのかを確認して欲しい」と仰っていましたが、私はセンリやガンマ、トオルといった全ての登場人物の行動に共感する点が多かったです。その中でもいわゆる悪役であるゲンブにも共感できた自分には驚きました。しかし、目先の利益に目がくらんでしまったり、いざ追及されると逃げてしまったりと、彼は最も人間臭い人物だったからこそ、共感できる部分があったのだと思います。
庭を日常の風景として捉えることが出来、登場人物に共感する点が多かったのは、この作品が限りなく『生』に近かったからではないでしょうか。演劇特有のライブ感という意味での『生』ももちろんですが、今生きている私にとって生死の『生』を強く感じることでより内容が身近に感じられました。それは福地さんを始めとするキャストの方々が全身全霊の強いパワーを持って私たち観客にぶつかってくれていたからだと思います。
『忘れたいのに思い出せない』は新しい何かを与えてくれる作品というより、自分の中にあるけれども普段は気付けない何かを見つけられる鍵のような作品だと感じました。

北海道教育大学岩見沢校芸術スポーツビジネス専攻2年 松浦 若菜さん
yhs「忘れたいのに思い出せない」

 この作品を観る前、yhsの演出家である南参さんにこの作品についてインタビューした際、「この芝居は、生命のサイクルが描かれている、今の自分の状態を確認してほしい」と話していました。大学生である私は、人が生まれてくる時の喜び・大変さとか、老いてゆく苦しみとか、経験しているわけでないから身近に感じることがあまりないため、難しいテーマの作品なのではと思っていました。しかし、芝居を観た後、南参さんの言っていたことがとても心に伝わってきて、これは若者も含め、どの年代の人にとっても心に響く作品だと思いました。
 見る人によって、登場人物への感情の入り方が違うのだろうと感じましたが、年齢が近いこともあってか私は曽我さんの演じていたトオルに感情移入しました。トオルとトオルの父であるガンマが舞台の上でぶつかり合うシーンを見ていると、親が自分のことを思ってくれるのはもちろんわかっているけれど、近くにいるからこそ些細なことが気に食わなくなったり、もう自分だって大人だから親だけで問題を抱え込まないでほしいと思ったり、自分のことは自分で決めたいと思ってしまうトオルの気持ちにとても共感できました。トオルはおばあちゃんっ子だから余計親に対して反発したくなる。でも親としてみれば、子どもはいつまでたっても子どもだし、自分がこの子のためにも頑張らなければと思うのだろうなと感じて、家族ってお互い想い合うから、すれ違うんだろうと感じました。それでも家族って無条件でそばにいてくれる存在なのだと改めて思い、いつの間にか忘れてしまう親への気持ちを何回も思い返しました。
 福地さんの演じていたセンリおばあちゃんは、圧巻の演技力で観る者を引き込んでいきました。ラストに向けて話せなくなっていくおばあちゃんが、自分の通帳を持ってこのお金をトオルのために使いたいと言っていたシーンでは涙が止まらなくなりました。話せなくなっても忘れてしまっても家族を思う気持ちはずっと残っていて、あの時誰よりも家族のことを考えていたのは認知症のおばあちゃんなんだと思いました。
 この作品を見ている時、見終わった時、両親の顔が思い浮かびました。大切な人にありがとうって言いたくなる、心温まる作品です。今の自分の素直な気持ちや思いがあふれ、どの年代の人にとっても自分を、家族を改めて考える機会になると思います。

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