ヒーローは怪人から人間を助け、人間はヒーローに助けられる。それで問題は解決……
だった、昔は。ある時期から、ヒーローとはなにか見つめ直され、存在について疑問が投げかけられ、ヒーローたちは苦悩することとなった。今やその苦悩自体が物語として消費されて、定型化されつつある。
完全な勧善懲悪はもうない。助ける方も悩む、善とはなにか、助けられる方も疑問を持つ、彼らは正義なのか。
パインソー『extreme+logic(S)』もその流れの中にあった。ハッキリ言って油断していた。パインソーのお芝居を観に行くのだから、笑いに行こう、楽しみに行こうと思っていたのに、やられた。ネタバレになるから当然書けないけど、中盤、そうとう驚く。これはガチのヒーロー論だ。
僕が見たのは7月31日(火)の回で、観客の投票によって後半?終盤?が決まるマルチエンディングでは、「『見ろ!これが、生き様だ。』生きたヒーロー篇」だった。
他の2パターンがどういう感じかわからないけれど、僕が見たこのパターンがまたすごいラストで、正直マルチエンディングが好きじゃない僕としては、ほら、これで全然面白いんだから、それだけでいいじゃん、と思ったんだけど、でもやっぱり他のエンドも気になるし、興行的にはマルチエンディング方式は成功なのだろうね。
さらに特筆すべきこととして、舞台美術(高村由紀子)をあげたい。ほんとにすばらしい。ヒーローものSFが持つかっこよさとシンプルさが絶妙だ(それによって少しだけチープ感がでるのだけど、それがまさにヒーローもののならでは)。この舞台装置でみっちり舞台を覆い、客席との狭い距離感の中で迫力を出し会場を一体化させる手腕はさすがパインソー、さすが山田マサルといったところだ。
残念なのは多用される字幕で、端の客はちゃんと読めたのだろうか。よめないだろうなあ(なのでなるべく早く入場して真ん中付近に座ることをオススメします)。パインソーは舞台上に映像や文字を投射しきらびやかな舞台を作る。かっこいい。しかし今回は、役者は客との距離をさらに縮めて濃密な関係を作っていたにもかかわらず、多用される字幕は客と物語の距離を近づけはしなかった。字幕によって物語のエモーショナルな部分を強くしようとしているのだけど、もっと役者の力を信じて、彼ら彼女らにその部分を担わせてもよかったんじゃないか。
だって今回の舞台、いい役者はたくさんいる。物語を前へ前へと進めていった、松葉役の山崎亜莉紗、マヨネーズマン役の氏次啓。僕は2人を高く評価する。2人がゆるがなく、しっかり話を進めていくので、客は例の驚きをちゃんと感じられ、ちゃんと楽しめた。また、東京で活躍する役者、高橋良輔のうまさ。演技、笑い、ラップ、ミニモニ。論、すべてにうなった、すごい。そして前回演劇シーズンのNEXTAGE『LaundryRoom No.5』では個性的な脇役として主役級を喰ってしまっていた赤谷翔次郎は、ホームであるパインソーでは堂々たる主役、抑えた演技のまま全編通し、それでいて存在感を発揮する……どうやらこの役者は完全に化けてしまったみたいで、今後、さらに上のステージで輝くだろう、きっと。
赤谷だけではない。パインソーも次なるステージ、さらに上に行く時期だと思う。それを期待して。
僕は脚本の川尻恵太と演出のパインソー、山田マサルは「盟友コンビ」だと思っている。よほどモノづくりで気が合うのだろう、今回も川尻本のスラップスティックな面白さと、個性的な役者を自在に操ってアドリブで芝居のビートを生み出す山田演出はハマっていて、「ヒーローって、ツラいよなぁ」と面白く観た。ただ、悪ノリが過ぎたのか、1時間50分の上演予定時間が2時間10分程度に間延びしたのはいただけなかったけれど。
BLOCHに入って、まずセットでうーんと唸る人はかなりの世代だろう。1967年にNHKで放送され、一世を風靡した米SFドラマ「タイムトンネル」を彷彿とさせたのには驚いた。エヴァンゲリオンの使徒のように突然現れる怪人に日々人類が襲われるようになっている未来。滅亡に瀕した人類は、「地球浄化委員会」なる公然秘密組織を結成し、超人的な能力を持つヒーロー(これはどうも天賦の才らしく何かのタイミングで覚醒するようだ)を発掘、登録して怪人退治に差し向けている。といっても、怪人退治はヒーローにとってボランティアで、諸手当は委員会から出されるものに、本来の生活は自分で働いて稼がなければならないという設定。当然、いつ呼び出されるかわからないのでバイト生活になるし、怪人の方が強かったら殺されちゃうわけで、恋人や結婚して家庭を築くことはできない。さらに、シビアなのはヒーローになると普通の人間が食べるものからは栄養を吸収できないことだ。委員会から支給される「ヒーロー食」という缶詰しか食べることができず、ヒーロー食がないと10日間で自動的に死に至るらしい。こんなのヒーローじゃないよね。こっちが怪人だよな、と突っ込みつつ、川尻らしい振り切った世界に割とすんなり浸れた。このあたりの演出のアヤは、山田はキレていると思う。
でも、アドリブ満載の小気味良いノリから、途中でお話の流れを整える段になると、割と小ぶりなまとまり感があって、説明台詞調になっていくと感じるのは僕の好みのせいか、世代格差なのか。あるいはその芝居の落差が面白いのか。振り切ってよきに脱線していた物語が題名通り、作劇上の都合によりロジックで走り出して予定調和っぽくなってしまった感じがあった。SNSが映像で吹き出しになって現われるシークエンスも、タブローとしてはよく出来ているけれど、うまく本線と必要性でつながっていない気がして、どうもすわりが悪い。
伏線だろうなぁと感じた主人公の友人のギャング団が次々と謎の失踪を遂げるエピソードのあたりから、「ヒーロー食」の謎はほぼ読めてしまう。回収されたからといって、それがヒーローたちの自己嫌悪や自己否定になるやわなお話とは思えないけれど、ついにブチ切れた人類のヒーローたちへの復讐劇が始まり、理不尽に追い詰められたヒーローたちが互いの守りたいもののために最後の一撃を繰り出し自爆…。地球自体が滅亡する、その瞬間にバサッと劇は終わる。他にどんなマルチエンディングがあるのかわからないけれど、この断ち切り感は、結構好きだった。
この劇の良さは状況の転がり方に尽きる。劇としての辻褄の緩みや綻びがあっても、生煮えで放置されたままになった枝葉があっても、ガシガシ踏み倒して前に進む。川尻ワールドならではの人物のデフォルメや小ネタや下ネタ、小芝居満載で、赤谷翔次郎はじめ役者陣の活のよさが存分に楽しめるし、女優押しの僕としては、パインソーといえばお馴染み、山崎亜莉紗、泉香奈子の気炎ぶりが楽しい。田中温子は、川尻作・演出の「ランドリールームNo.5」もそうだったけれど、コメディエンヌぶりをすっかりものにしているし、北海学園大演劇研究会の五十嵐穂も存在感があった。
僕の時代のヒーローは鉄腕アトムだった。10万馬力の科学の子。アトムに苦悩なんかないと思っていたけれど、「PLUTO」でアトムってとっても暗いやつだと知った。9.11後のアメリカンヒーローたちはテロリストと闘ったけれど、PTSDで深く傷つき、壊れたり自死してしまった。しかも、テロリストは後から後からこの世界の中から再生産されてくるありさまだ。だから、もう、人類を守るために戦っている場合じゃないと思うのだ。ヒーローってやつは。だって世界平和って、せいぜい身の丈範囲で十分ですから。って思っているのだから。
追伸。この劇はマルチエンディングで、観客の投票によって決まるシステムです。公明正大になんと劇中ガチで開票されるんです。僕の観た回は、「見ろ!これが、生き様だ。」生きたヒーロー編、でした。ほかにも、「理にかなった理不尽。」現実の告白編、「ヒーローだって、風物詩。」花火の約束編があります。確かに、「見ろ!これが、生き様だ。」生きたヒーロー編な芝居でした。3つとも同数票だったら、どうするんだろ。
>地球に現れる怪人たちから地球を守る組織「地球浄化委員会」。ここには、様々な能力を持ったヒーロー達が所属している。(チラシより)
組織名に「防衛」ではなく、「浄化」をうたっている。守るのではなく、浄化するヒーロー。穏やかじゃない。時には「正義」の鉄拳が、「権力」の名の下に振り下ろされてしまうことを危惧させる命名ではないか。
ヒーロー達は「化け物」と恐れられてもいる。平和の実現に、街一つを潰してしまうような破壊力を有する彼らはその一方で、ヒーローネームが自分では選べないというまぬけな設定だ。マザーコンピュータに導き出された気に入らないネーミングのキャンセルをしそこねて、とある名前に決められてしまった大槻のセリフ>少しゲーム性があるんですね を聞いて、あぁそうかと思い至る。私がこの物語の展開に気おくれを感じているのは、ゲームのお約束ゴトに乗り切れていないせいなのかなぁと。芸達者な役者陣らに思わず苦笑させられながら、私の頭の芯は妙に冷めている。「浄化」とはだって、「殺し」の言い換えではないのか?
三つの提案から、その日の観客の多数決で決まる結末、“マルチ・エンディング”についても、最初はどうなんだろう? と思っていた。悩みつつも結末を一つに絞ることが、舞台の真摯な姿勢ではないかと思い。がしかし、結末が自分の選んだ緑のカードではなく、赤いカードの展開であった時、何やら腑に落ちるものがあった。なるほど、好むと好まざるとに関わらず、人生のエンディングは、自分では選べないもんなぁ…と。結末が、これ以外にもあったと考えることは、希望だろうか? 絶望だろうか? どうなんだろう…。
ヒーロー、マヨネーズマンの思わず心にメモったセリフ…。>お前のその、何も失いたくねぇっていう考え方、改めたほうがいいぜ。
でも喪失と引き換えにしか手にいれられない平和って、そもそも平和と呼べるんだろうか? 笑いながら様々なことを思う。っていうか、私は笑えていたのだろうか? 実は今もってよくわからないのだ…。
演出の山田マサル氏は言い切る。>赤の他人が本当に何を考えているのか、どう思っているのか、他人の自分は一生知ることはないし、できません。
脚本の川尻恵太氏はいう。>結局のところ、全体を善とする事も、悪とする事も、無理な話で、それぞれの善、それぞれの悪があり、誰かの善は誰かの悪であり。
双方、当日パンフレットからの引用だが、まるでシリアの現状を解説している文言のようにも読める。そして川尻氏はこうも言うのだ。>僕は自分が生きているうちの世界平和を諦めています。 と。
なんて厭世的な物言いなんだろう。(正直にもほどがある…)でも、これにはつづきがあってね、力強い。
>しかし、自分の周囲の平和は諦めていません。
舞台上に自分達の伺い知る「空気」のみを忠実に具現化して、「隣の人」を笑わせようとするパインソー。川尻氏のいう「極小の平和」の一例を、私は見たんだろうなぁ。がしかし…。
その「極小の平和」が世界中で起こる奇跡とは、「隣の人」の平和に終始する行為だけでは生まれ得ないものなんじゃないかと、やはり私の思いはどうしてもそこへかえっていってしまうのだ。
終演後、楽しそうに物販を選ぶ男の子を見かけた。役者陣、ほんとに熱演だった。客席、笑っていた。私の方こそ、厭世的過ぎる? 最後の素敵な選択って何だろう? わからない。違う結末を観た方と、世界平和につながる「強い何か」について語ってみたいな。何かは何かとしか言いようがないにしても…。不一
※札幌市中央図書館では、演劇シーズンの上演台本の展示・貸出を機に、在札劇団の台本収集を始めました。貴重な郷土の文化遺産を永久保存していきます。市民の皆様も劇団の方も、どうぞご利用ください。
パンフレットに記載されている、“すべての生き物には、最後に素敵な選択が待っている。”
という一文は、観終わった後に“ずしん”と、心に響く言葉でした。
今回の札幌演劇シーズンのパンフレットの中で、唯一アニメ系のイラストだった、「extreme+logic(S)」
ストーリーもヒーローものとして紹介。
そして、先日チカホで行われたキックオフステージでも、どう見てもお笑い系の構成。
もちろん、それはそれで嫌いではないけど、オーバー40歳の私についていけるのだろうかと、少々心配がよぎります。
会場は演劇専用小劇場BLOCH。
久し振りに来場したけど、満席の会場はかなり小さく感じます。
ステージも、スペースをいっぱいいっぱいに使ったような、一部の余裕もないほどのセット。
そこに11人のキャスト。
近い。
というより、近すぎ!
それほどの距離で楽しめるのも、BLOCHの良さでもあるし、そこをフルに活用するのも劇団の工夫なんだなぁと、芝居を観る前から感心してしまった。
いざ、開演。
下ネタもちょいちょい挟まれた展開に、正直戸惑うシーンもありつつ、少しずつパインソーの世界観に感化されていく。
バカバカしいまでの正義感、
そして少しずつ明かされていく秘密・・・
“ヒーローも、見方を変えれば悪にもなる”
SNS時代の社会の中で、時々聞く言葉。
全ての事は、表裏一体。
決して、一方の考え方だけで判断してはいけない。
そのことを今回のお芝居で、笑いと失笑と涙ともに伝えてくれた作品でした。
生きる意味、誰かのために自分を犠牲にする理由。
いやぁ、そんなに深い作品だとは思わず挑んだので、最後は“やられたっ!”といった感情が沸き起こりました。
この手の展開は、お芝居では時々見かけるけれど、特に今回は最初の印象付けから仕組まれたような、個人的には悔しい気持ちもあった作品となりました。
そして今回、観客の要望で結末が変わる“マルチエンディング”作品ということで、私が観た結末だけじゃないとのこと!
そんなこと言われたら、もう一度見たくなってしまうじゃないですか〜
最後までホントにズルいっ!!