ゲキカン!U-18 高校生劇評特派員


今回も実施します。ゲキカン!U-18・高校生劇評特派員。
高校生たちが、シーズン参加作品を観て、感想や批評を寄せてくれます。

中高生の皆さんは同世代の高校生が作品をどう観たか、
自分の感想と比べてみてください。

そして、大人の皆さんは、普段話すことなどなかなかないであろう
高校生たちの声にふれて、こちらも自分の感想などと比較しながら
観劇後の余韻をお楽しみいただければと思います。

大人の「ゲキカン!」にはない、高校生ならではの視点に出会えるかもしれません。

原稿は随時UPしていきます。

大人の「ゲキカン!」と高校生の「ゲキカン!」で、
演劇を観ることの楽しさを再認識していただければと思います。
北海道札幌開成高2年 佐久間 泉真さん
札幌座 「亀、もしくは…。」(観劇日/2月10日[水]19:45〜)

 僕はこの作品を観て「札幌は、質の高い文化芸術を楽しむことができるまちだ」と確信し、このまちに誇りを持った。観劇好きの人や演劇部のためだけのものではなく、札幌の文化として、市民が楽しむことができる作品だと。

 シアターZOOの閉鎖的空間で上演される「亀、もしくは…。」ももちろん大好きなのだけれど、札幌市教育文化会館というホールで、亀たちが愉快に滑稽に会話をすすめる1時間は、きっと普段演劇を観ない人とも楽しい時間を共有できた気がして、非常に充実した時間であった。社会問題が取り上げられているだとか、エモーショナルで心に響くストーリーだとか、そういうものは、僕はこの作品には感じない。ただ、多くの市民が“演劇を文化芸術として楽しむという行為”ができる作品なのだ。このような作品が札幌にあるということを、すごくうれしく思う。

 ラストシーン、亀たちは「みんなを亀にしてしまいましょう」と言う。それは、舞台人が、札幌市民を演劇の世界に誘っているようにも思えた。少しずつ、フワフワ、プカプカ、ひとりまたひとりと。札幌演劇は面白い。そして僕も、いつかは亀に仲間入りできたら。

札幌開成高2年 清澤 香奈さん
札幌座 「亀、もしくは…。」(観劇日/2月9日[火]19:45〜)

 教育文化会館といえば、高校演劇にかかわる私からすると「高文連」のイメージが強い。9尺の高さのパネルを頑張って作って、袖を引っ張ってきてパネルがないのをごまかして、あとは自分たちの演技で勝負。そんな高文連演劇部門のイメージがあった。だから、小ホールに入ったときに、高い高い壁がどおん、と見切れるまで伸びていることに驚いてしまったのだ。「亀、もしくは…。」はこの壁の前、一つの密室からはじまる。

 物語がやや進むと、弦巻啓太さん演じる医学生のヤーノシュが、じっと客席を見つめながら「ここに患者がいるんですか」と心配そうに尋ねる。そのとき私たちは自分たちが患者、つまり精神を病んでしまっているとなっている、と気づく。これは面白い演出だ、と笑ってしまう。
 だが私はこの劇が終わったとき、客が「面白かった」と席を立ちあがる中、とても怖く感じてしまったのである。いったいこの劇の誰が健常で誰か精神を病んでいるのかわからなくなってしまったのだ。4人が並んで夕食をたべているとき、はじめて「全員患者」という事実を与えられるのだが、並んできちんと食事をとり、相手の話をきちんと聞き、「ごちそうさま」も言うことができる。あれ?この人たち健常なんじゃないの?と思ってしまったのだ。境界線を最初に問題提議しておいて、その謎が深まって深まって、「あれ?もしかして私も亀かも」なんて思ってしまうのだ。これはとても怖いことだ。とてもいい意味で。

 話は変わるが、上演している間、難しい言葉が早口で飛び交うこの舞台は台詞を正しく理解することが困難だった。そんなときにあの高い壁が大いに私を救ってくれたと思う。(幸いこの日は字幕が英語で字幕と聞いてることを照らし合わせて理解していた。)実際劇には外国人の方も見えていて、「グローバルじゃん札幌の演劇!」となぜか私が感動してしまった。

札幌市立篠路中学校2年 佐久間 許都さん
「カラクリヌード」 ハムプロジェクト(観劇日/1月30日[土]18:00〜)

 最初の工場のシーン。
ロボットたちの動きや「ウィーン」「シュコー」などの音で、明転して3秒もたたないうちに鳥肌が立ちました。衣装は黒一色なのに、金属でできたロボットに見えてくる。大道具は何もない舞台なのに、工場が見えてくる。すぅっと引き込まれていました。
そしてゼロスケがリコのもとへ向かう後半のシーン。役者たちが腕や足を絡ませて、ひとつになっていく。鉄のモグラが見えてきました。生まれて初めてつま先から頭のてっぺんまで鳥肌が立ちました。大道具がなくても、動き、表情、ペンライトの光、役者が発する声でその情景が見えてくる。観客が一人一人想像して、きっと人によって全然違う『カラクリヌード』が見えているのだと思います。

劇中、「幸せ」という言葉が多く出てきましたが、人によって幸せは違います。『カラクリヌード』の結末も人によって感じ方が違うのではないかと思います。私にとっての幸せは、“愛してくれる人がいて、愛する人がいること”です。だからハッピーエンドではないけれど、愛してくれる人がいて、愛する人がいるリコは幸せだと思いました。観客が想像することで、『カラクリヌード』は本当の意味で完成するのです。

 書いていたらまたドキドキしてきました。私の先輩が『カラクリヌード』がとても好きで、期待しながら会場に向かいましたが、期待なんて軽々と飛び越されました。最大で最長の鳥肌をありがとうございました。

札幌開成高2年 清澤 香奈さん
弦巻楽団「ユー・キャント・ハリー・ラブ!」(観劇日/1月25日[月]19:30〜)

 踊るようにして始まった劇「ユー・キャント・ハリー・ラブ!」は、上演時間は100分だけれども幾日にもわたる物語で、それでもあっという間に感じられる劇だった。
まず、舞台装置。舞台中央に置かれた大きなシェークスピアの肖像画は、ラジオのスイッチとともにラジオのスタジオに変わる。重厚感があった絵が透明になり、別の空間をそこからのぞかせる仕掛けは「あ、これは絶対楽しい作品だな」という心の準備を私にさせてくれた。
 次に、恋をめぐる台詞の数々。シェークスピアの描く恋をことごとく否定するその言葉は、いま現在、恋愛第一で生きているような私の胸をえぐってきた。しかし奥坂教授が展開する恋愛を否定する持論は、どこか屁理屈をこねていて、どこか自分を制するように聞こえた。物語のヒロイン冬樹里絵は、その自制心をぶち壊すかのように彼の意中の人になってみせた。そして遅すぎる初恋が、速すぎるスピードで転がっていく。いい年も過ぎたおっさんの初恋が、高校生の青春のなかの1ページのようにつづられていく。
 最後に、この物語は「結婚してください」と言ってしまう奥坂教授と、喜びとも驚きとも取れる表情の冬樹里絵の特別講義が再開されて幕を閉じる。私は奥坂教授が、あの台詞のあと「いや何でもないんです。それよりも授業を」と言葉を濁してしまうんじゃないか、と推測する。冬樹里絵は今度こそ恋愛に懲りて、奥坂教授はずっといじらしい恋を続けているんじゃないかな、なんて。
 劇が終わった後にも、「あのキャラクターは…」などと、観客それぞれの解釈の余地があるのが弦巻作品の素敵なところだ。きっと見た人の年齢によって感銘を受けるポイントも変わるだろう。けれどどんな人が見ても笑顔で劇場をあとにできるだろう。また幾つかの恋を経験してからこの劇をまた見てみたい、と強く思った。

※この劇評は2月10日(水)付の北海道新聞夕刊「アート評に挑戦!」にも掲載されました。

札幌開成高校2年 佐久間 泉真さん
弦巻楽団「ユー・キャント・ハリー・ラブ!」(観劇日/1月25日[月]19:30〜)

 昔観た作品にもう一度出会えるチャンス、それが札幌演劇シーズン。僕が初めてこの作品にであったのは、3年前の秋、中学3年生のころだった。そのころは部活の大会や高校入試のことで頭がいっぱいで、正直、恋愛はあとまわしであった。大好きな弦巻作品の中でも弦巻さんの自信作、友達と部活の後輩を連れて、ドキドキしながら行きなれないコンカリーニョに向かったのを今でも覚えている。そのお芝居はとても魅力的で、おかしくて、大好きになった。「あー、恋っていいなあ」、そう心から思えた。
 そして、今回。この作品が札幌演劇シーズンに参加するということで、ワクワクしながら行きなれたコンカリーニョに向かった。前回と比べて、キャストは松本さん以外変わっていた。しかし、その物語の安定感と巧みな演出はあのときの感動のままで、むしろパワーアップしていたように思えた。特に教授の心情が天気で表される演出に強く興味を持った。僕が最も印象に残った役者は、教授助手 のり子役の深津尚未さん。いわゆる脇役だが、彼女が物語を動かして、観客と舞台とをつなぐキーパーソンとなっていた。そして初めて観たあのときと大きく違うことは、恋をしている登場人物に強く強く共感したということだ。つまり、あの時とは違って、僕がいま恋をしているということだ。奥坂先生の、緊張や期待から来るあの足の動き、小さなことで絶望的になるガラスのハート、相手のことを気遣いつつあらゆる手でアプローチする謎の勇気…。頷き、うれしくなり、切なくなりながら観た。なんと表現したらいいのかわからない、あの情緒不安定な揺れ。あー、恋っていいなあ。

札幌開成高校2年 大岩 歩佳さん
弦巻楽団「ユー・キャント・ハリー・ラブ!」(観劇日/1月25日[月]19:30〜)

「私には私がいる。」
劇の途中で奥坂教授が何度か言ったこの台詞は、私の心を掴んで離さなかった。

恋をしなくても良いんだ、というのが私の第一の感想であった。この劇は一度も恋をしたことがない朴念仁が、ラジオから流れてきた素敵な声に恋心を抱き奔走するといういわゆるラブコメのはずなのに、なぜか私はそう思った。実際、観劇直後の余韻に包まれたままの客席からは、「恋をしたくなった」「大切な人に会いたくなった」というような感想がちらほらと聞こえたので、この劇を観た多くの人は恋に恋する状態になっていたのだと思う。ただ私は、円形の舞台の上を恋に翻弄されながら駆け巡る登場人物たちに、一種のエネルギーをもらったのである。好きな人の好きなものを好きになろうとしてみたり、一人で好きな人の声を何度も思い出してみたり、そんな彼らの甘酸っぱい行動に共感しながらも彼らのそのパワーに元気をもらい、足取り軽やかに劇場を出て行くことが出来たのだ。
また、私は「ユー・キャント・ハリー・ラブ!」というこの劇の素晴らしさを最も顕著に表しているのは、あの舞台装置であると思う。劇中に登場する地球と月を暗示するかのような円形の土台、無造作に積まれた本の束、彼女の声を聴くためのラジカセ、そして舞台中央で登場人物を笑うかのようにしているシェイクスピアの肖像。そして教授が敬愛するそのシェイクスピアの向こう側には、彼が惚れ込んだ彼女の姿。舞台をただ見つめているだけでも、その場所で過ごす人物のライフスタイルや思考回路を垣間見ることができてとても面白い。

最初に述べたように、私はこの劇を観て「私には私がいる」ということに気づき、勇気づけられた。恋をしていようがしていまいが、人はみなどうしようもなく自己中心的なのである。

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