ホーム
札幌演劇シーズンとは?
公演日程
作品紹介
劇団紹介
チケット予約
リンク

札幌演劇シーズンとは?

ゲキカン!
劇団千年王國「ローザ・ルクセンブルグ」

NHKディレクター  東山 充裕さん その2

前回のゲキカンがちょっと短いと言われたので、詳細な感想です。

今回、私はこの舞台をほとんど予備知識なしで観ました。
ローザ・ルクセンブルクという女性については100年前の革命家であることしか知りませんでしたし、パンフレットも見ていなかったので、4人の女優がローザを演じることも音楽が生演奏であることも知りませんでした。
それ故に、ローザという女性と、4人の女優がローザの成長に合わせて交代していく鮮やかさに深く感動したのかもしれません。

まず、少女のローザを坂本祐以が演じ、舞台を所狭しと動き回るのですが、その天真爛漫さがとても眩しく、ローザという人間に最初から魅かれてしまいます。
次に、少し大人になったローザを堤沙織が演じるのですが、その凛々しい美しさと未来を信じる前向きな明るさに、すっかり心を奪われてしまうのです。
堤沙織は、昨秋に出演した『トップ・ガールズ』でも魅力的だったのですが、今回はさらにグレードアップし、まさに生き生きと輝いていました。
そして、中年になり女性として苦悩するローザを栄田佳子が演じ、晩年の人生を噛み締めたローザを村上水緒が演じます。
何という美しい連携でしょう。
4人の女優たちがそれぞれの個性を生かしながら演じることで、この短い時間の中でも、客はローザ・ルクセンブルクの一生に寄り添うことができるのです。
(しかも4人の女優たちは、ローザ以外の役を演じる時も、的確にその役を演じています。榮田佳子がスネアドラムを叩く姿も印象的でした)

ローザの伴侶のレオも魅力的です。演じているのはダンサーの東海林靖志。体のキレはもちろん素晴らしいのですが、その存在感に感心しました。櫻井ひろが演じる盟友のカールもいいです。ダンサーとは思えない演技力でした。

そして、嵯峨治彦の生演奏です。実に素晴らしいです!
絶妙なタイミングで、芝居を何倍にも引き立たせる音楽を生で演奏するのです。普通は音楽は録音されたものを使うのですが、やはり生の演奏の威力は凄いです。

効果音の使い方も工夫されています。
ローザがまだ若い時はドアの音が出演者の声なのですが、晩年のローザの牢獄についている扉の音はリアルな鉄扉の音になっています。
人の柔らかい声の効果音は、若い時のローザが夢見る世界を引き立て、晩年のリアルな冷たい鉄の音は、彼女の置かれた厳しい現実に重なります。

そして最後は、堤沙織の歌に泣かされます…。

まさに芝居とダンスと音楽と音が見事に一つになっています。
橋口幸絵ならではの演出です。

今回、出演者とスタッフの皆さんのお名前をご紹介できませんでしたが、皆さん全員の情熱が作り上げた傑作だと思います。
心から拍手を送らせて頂きます。

PROFILE
東山 充裕
 NHKディレクター。北海道出身。高校・大学時代と自主映画の監督を経てNHKに入局。主な演出作品に連続テレビ小説『ふたりっ子』、大河ドラマ『風林火山』、福岡発地域ドラマ『玄海〜私の海へ〜』(放送文化基金賞本賞受賞)、ドラマスペシャル『心の糸』(国際賞受賞多数)、FMシアター『福岡天神モノ語り』(ギャラクシー賞優秀賞受賞)、自主映画『the story of “CARROT FIELD”』 など。
 札幌では、札幌発ショートドラマ『三人のクボタサユ』、FMシアター『ルート36』『パパの絵本』を演出。

NHKディレクター  東山 充裕さん

素晴らしい! 文句なしの傑作です!
こんな素敵な舞台を札幌で見られるなんて…。
昨年の『ダニーと紺碧の海』以来の1年ぶりの感動です。
いえ、『ダニー…』以上の感動です。

坂本祐以、堤沙織、栄田佳子、村上水緒の女優たちの連携が見事!
そして、ダンス、歌、生演奏の音楽がこれまた凄い!
さすが、橋口幸絵ならではの演出です。
私にはとても真似できそうにありません。

皆さま、とにかく観てください!
特にあまり舞台を観たことがない方、是非、観てください!
舞台の面白さがギュッと詰まった作品です。

こんな素晴らしい舞台に出会えた幸運に、心から感謝いたします。

PROFILE
東山 充裕
 NHKディレクター。北海道出身。高校・大学時代と自主映画の監督を経てNHKに入局。主な演出作品に連続テレビ小説『ふたりっ子』、大河ドラマ『風林火山』、福岡発地域ドラマ『玄海〜私の海へ〜』(放送文化基金賞本賞受賞)、ドラマスペシャル『心の糸』(国際賞受賞多数)、FMシアター『福岡天神モノ語り』(ギャラクシー賞優秀賞受賞)、自主映画『the story of “CARROT FIELD”』 など。
 札幌では、札幌発ショートドラマ『三人のクボタサユ』、FMシアター『ルート36』『パパの絵本』を演出。

在札幌米国総領事館職員  寺下ヤス子さん

見事なアンサンブルワーク。惹きつけるコレオグラフィ。主役女優さんたちものびやかで生き生き。よかった。社会主義、革命、陰惨な最期、といった要素にもかかわらず、「ローザの青春」的な明るさ、命を燃やして精一杯生きました、といった清涼感があった。

後藤健二さんの悲報が届いた日だった。自爆テロが横行する中、「君は主義思想のために死ねるか」と問うことは危険だ。その主義思想のために、君は困難や屈辱に耐えて生きていられるか、と問うべきなのか。無血革命はあまり記憶に残らず、流血騒ぎはセンセーショナルに取り上げられる。プロパガンダに利用されるだけなのに。

ローザ・ルクセンブルクのことはよく知らなかった。トロツキーの追悼演説を読むと、ローザは、小さな背丈と華奢な体格でありながら、その思想の雄雄しさ、理論的思考と文筆力をもって、革命の権化のようであったらしい。劇中でも「知性とペン」による解決を訴えていた。

革命のヒロインとして思い浮かぶのは、フランスのジャンヌダルク。少女でありながら群集を鼓舞した。シェークスピアは「ヘンリー6世」の中にジャンヌダルクを登場させている。フランスでは聖女だが、シェークスピアは、人々にもちあげられて自分を見失った、勘違い少女を描いた。捕らえられた彼女は、貧しい羊飼いの父親を否定して自分は高貴な生まれなのだと叫ぶ。そして「復讐を求めることになるぞ」と呪いの言葉を吐いて、やがて火あぶりにされる。
はるかに大人で知的なローザが、死の間際に呪いの言葉を吐いたとは思えないが、ジャンヌダルクの復讐が、その後英国で30年間続いた薔薇戦争だとするなら、ローザの死の代償はファシズム台頭かも知れない。

一昨年だったか、ローマ法王が、所得格差を拡大している現在の資本主義経済を批判した。昨年、格差広がる米国では、トマ・ピケティ氏の経済専門書「21世紀の資本論」が、マルクス関係本初のベストセラーとなった。格差の反動で、社会主義革命が近い将来起こっても不思議ではない。「知性とペン」で解決できるだろうか。ローザの時代より、せめて利口になっていたい。

PROFILE
寺下ヤス子
在札幌米国総領事館で広報企画を担当。イギリス遊学時代にシェークスピアを中心に演劇を学んだ経験あり。神戸出身。

映画監督・CMディレクター  早川 渉さん

「ローザ・ルクセンブルクとハンナ・アーレント」



 「ローザ・ルクセンブルク」という名前は何となく知っていた。
しかし、その人物が19世紀の終わりから20世紀のはじめにドイツで活躍した女性革命家・運動家であることや、その思想についてはほとんど知らなかった。自分が「ローザ・ルクセンブルク」の名前を認識していたのは例によって映画によるものである。
ドイツ映画「ローザ・ルクセンブルク」が公開されたのは1985年。この時期は大学生でかなりの映画を観ているのだがこの映画は未見である。公開当時、この映画は誠実な社会派の伝記映画という硬いイメージで宣伝されていたように思う。監督はドイツの女性監督マーガレット・フォン・トロッタ。この監督がまたバリバリの左翼系闘士といったカンジの監督で、そういった印象から当時さほど社会問題に関心を持っていなかった大学生の自分はスルーしてしまったのだろう。今回の芝居のこともあり改めて観てみたいのだが、残念ながらDVDも発売されておらず(昔VHSのレンタルがあったような・・・)、今や幻の映画である。

長々と、映画の話になって恐縮である。
「ゲキカン!」は芝居の話を書かなくてはならないのに・・・
何でこのような展開になってしまったというと、今回の千年王國による「ローザ・ルクセンブルク」について、あまり書くことが思いつかないからだ。
だって、言いたいことは至ってシンプル。

「面白いから、観て下さい。」

ということしかない。
「何が面白いの?」
「それは、観てのお楽しみ!」
とりつく島が無くてスミマセン(笑)
この芝居は、なるべく先入観無しで観るのをオススメしたいのだ。
間違いなく言えるのは、千年王國という劇団は、自分にとって札幌で誰にも一番オススメできる芝居をつくる劇団だ!ということだ。
今回の芝居も、オープニングが特に素晴らしい。
ローザ・ルクセンブルクの葬儀シーン。
時代ごとにローザを演じる4人の女優が登場し、自分の葬儀を見つめている。
4人の口から語られる、ローザ・ルクセンブルクという女性の一生。
10代のローザを演じる女優がゆっくりと横たわり、時代は一気に1886年のポーランドへ!!
物語の世界にグイッと捕まれる。

さて、最後にまた映画の話に戻る。
札幌でも昨年公開されて、そこそこヒットした「ハンナ・アーレント」という映画がある。監督は、自分がかつて見逃した「ローザ・ルクセンブルク」を作ったマーガレット・フォン・トロッタ。この映画も真面目な社会派の映画である。ちなみに、主人公のハンナを演じたバーバラ・スコヴァは27年前に映画「ローザ・ルクセンブルク」で主人公のローザを演じている!!
・・・どうです?映画「ローザ・ルクセンブルク」が無性に観たくなってきませんか?。DVDは未発売ながら、昨年東京で「ハンナ・アーレント」の公開時に劇場公開されているらしいので劇場での公開は出来るかもしれない。今回の芝居で映画版に興味を持ってくれそうな方も多数いそうだし、映画「ハンナ・アーレント」を観た観客の動員も可能性がある。
どなたか一緒に映画版の自主上映しませんか?

PROFILE
早川渉/映画監督・CMディレクター 札幌在住
処女作「7/25【nana-ni-go】」はカンヌ国際映画祭に招待された。2作目の「壁男」では主演に堺雅人を迎える。昨年開催された札幌国際芸術祭の連携事業で、アイヌ神謡集の一遍にインスパイアされたショートムービー「この砂赤い赤い」を制作。代表的なCMはなんと言っても「登別クマ牧場」
映画の次回作は、演劇とのコラボ作を密かに企画中!

ドラマラヴァ―  しのぴーさん

 雷に撃たれれるというのはまさにこのことでしょう。千年王國の「ローザ・ルクセンブルク」を観届けて、僕は心の底から震えていました。アポロンの放った矢に射抜かれたのか、それともアフロディーテに強く抱擁されたのでしょうか。僕史上、札幌の演劇シーンの最高傑作、と皆さんにお伝えできることを光栄に思います。圧倒的な劇的世界の降臨を目撃しました。これぞ、観客冥利に尽きる演劇との出逢いです。
 時代はナチスが台頭する前夜。虐殺され川に投げ込まれたローザ・ルクセンブルクの遺体が流れついた川辺に、手に手に赤いバラを持った悼む人々が暗闇から現れる第一幕の冒頭のシーン。僕は、もうそれだけで鳥肌が立ちました。

 1999年からドラマプロデューサーになった僕は、それなりに優れた演劇は観てきたつもりです。2003年、松岡和子訳シェークスピア劇、蜷川幸雄演出「ペリクリーズ」。2008年、鄭義信作・演出「焼肉ドラゴン」。僕は、国内ではこの2作品を超える演劇は現われないだろうと思っていました。「ペリクリーズ」は彩の国さいたま芸術劇場で観て、英国ロイヤル・シェークスピア劇場での喝采を受けて凱旋公演となった新潟市民芸術文化会館(りゅーとぴあ)まで追っかけました。「焼肉ドラゴン」は新国立劇場で2回、さらに2011の再演では、鄭さんの故郷でもある兵庫県立芸術文化センターまで追っかけしました。この「ローザ・ルクセンブルク」はもう一度、いや二度、三度観たい素晴らしい「劇的」作品です。
「焼肉ドラゴン」以降、最大の収穫と言っておきます。

 千年王國を主宰する橋口幸絵は、僕が知る限り札幌の演劇シーンで一番思索的で大きな物語を語り、想像力を提示することのできる骨太な劇作家、演出家です。特に、海外戯曲の読解力の高さは突出していると思います。橋口の代表作の一つ、ジョン・パトリック・シャンリィ作の「ダニーと紺碧の海」では、都会に生きる孤独な魂の不器用なぶつかり合いを小劇場で描き切ってみせました。去年の札幌劇場祭 Theater Go Round 2014には、千年王國プロデュース(ELEVEN NINESの小島達子初演出)で、フェミニズム作家として知られるイギリス人劇作家、キャリル・チャーチルの代表作「TOP GIRLS」で参加し、母性の喪失という難解な劇作にも挑んでいます。劇作家は意外と映像脚本は書けないものですが、橋口はNHK札幌放送局制作のプレミアドラマ「神様の赤ん坊」(2012年)、「僕が父親になるまで」(2013年)と素晴らしい作品を書いています。

 「ローザ・ルクセンブルク」のわずか47年の劇的生涯を劇団の看板女優4人がバトンを渡しながら「赤いローザ」を生きて見せます。演じるのは、坂本祐以、堤沙織、榮田佳子、そして村上水緒。それぞれが、舞台を支配する圧倒的存在感を示しました。ローザの生涯の伴侶、レオ・ヨギヘス役の東海林精志、そして盟友で一緒に殺されることになるカール・リープクネヒト役の櫻井ヒロ、この二人は振付担当の舞踊家ですが、実に良い芝居を見せました。 個人的には、札幌の演劇シーンで一番大好きで、一際優れた身体性を持った女優だと思っていた(過去形なのは現在は道内にいらっしゃらないからです)榮田佳子が、この再演のために参加してくれ、女としてのローザを演じてくれたことが感激ものでした。

 僕はこの劇作は、引き算で書かれたのではないかと思います。ローザの生涯とその時代をわずか1時間35分のお芝居に封じ込めることは不可能です。きっと、橋口は考えたのでしょう。時代のダイナミズムや翻弄された民衆のうねりは、台詞では書き切れないと。そして、それは前述の東海林精志、櫻井ヒロ、そして河野千晶が振付けた力強い舞踏に託されました。この役者たちの歌いや舞踏が4人のローザをそれぞれの時代へ送り出す役割を見事に果たしています。美術も素晴らしい。舞台の下手から上手まで一杯に建て込まれた巨大な二階建てのイントレや民衆の拳のようにも思える黒い椅子がとても印象的に使われています。秋野良太による照明も極めて美しく、人物の造形や群像、およそ劇作の世界を深く彫り込んだ光と影の演出でした。特筆すべきは、馬頭琴・喉声の嵯峨治彦による音楽です。女性革命家の生き様、そして、「革命の時代」を見事に響かせくれました。僕は、2013年3月にシルヴィ・ギエムの新作「6000 Miles Away」のワールド・ツアーをシドニーのオペラハウスまで観に行ったことがあります。比較することは意味がありませんが、それに匹敵する圧巻の舞台芸術だったと思います。

 僕は劇作家や演出家はいつも何かの問いを立てるものだと思っています。それは、自分自身の内面であったり、自分が生きているこの時代や社会に対して。ですが、「ローザ・ルクセンブルク」は、テーマとか時代とか、芝居とか、そんなもんはどうでもよろしい。とにかく観て下さい。観客はかなりの緊張を強いられるのですが、橋口幸絵は箸休めとでも言える、観客にとって息継ぎができるくらいの笑いは提供してくれていますから。 
 フライヤーの中で橋口は、「勇気を出し、あきらめることなく、そして微笑みながら。―――どんなことがあろうとも」というローザ・ルクセンブルクの言葉を書いています。まさに、これこそ今、必要な時代精神ではないでしょうか。実に蛇足ですが、僕の好きな名言も語らせて下さい。「人生では挫折もまた糧となる。後悔しないで、前に進むの。痛みのない人生に何の価値があるの。」1982年に不慮の自動車事故で亡くなったモナコ王妃、グレース・パトリシア・ケリーの残した言葉です。

 当日、終演後にテーブルトークがあったのですが、所用があった僕は、そそくさと小屋を後にしようと思っていました。しかし、運の悪いことに、この演劇シーズン実行委員会のメンバーで、会社でドラマの大先輩でもある林亮一につかまってしまいました。ですが、これは僥倖でした。ずっとお会いしたかった橋口幸絵に引き合わせてくれたのです。「本当に素晴らしい劇をありがとうございました」、僕は心の内を悟られまいと型通りの劇評を伝え、橋口と固く両手で握手を交わしました。一児の母になった作家の手は肉厚で、とても温かでした。言葉を継ごうとした瞬間、ふいに劇的な感情がこみあげて、涙があふれてきたのです。「ゲキカン」担当としては大失敗でした。同時に、自分の座席の足元に大きなザックを置いていたことを理由に、一人スタンディングオベーションをしなかった小心な自分を恥じ入りました。

 ローザは叫びます。「この世界は美しい」と。希望なき時代かもしれません。でも、僕はまだローザ・ルクセンブルクの側に立っている勇気ある者でありたいと思います。

PROFILE
ドラマラヴァ― しのぴーさん
四宮康雅、HTB北海道テレビ勤務のテレビマン。札幌在住歴四半世紀にしてソウルは未だ大阪人。1999年からスペシャルドラマのプロデューサーを9年間担当。文化庁芸術祭賞、日本民間放送連盟賞、ギャラクシー賞など国内外での受賞歴も多く、ファイナリスト入賞作品もある米国際エミー賞ではドラマ部門の審査員を3度務めた。劇作家・演出家の鄭義信作品と蜷川幸雄演出のシェークスピア劇を敬愛するイタリアンワインラヴァ―。一般社団法人 放送人の会会員。

ライター  岩﨑 真紀さん

2013年11月の初演を観たときには、私は今回ほどには感動しなかった。
そのときに観た『ローザ・ルクセンブルク』は、スカーレット・オハラやエバ・ペロンでより良く代替可能な、ローザである必然の見えない「女の波瀾万丈物語」に思えたのだ。
また、ダンスパートはそれはそれとして良かったけれど、作品全体からは解離している部分もあったし、舞台上に立つ誰が役者で誰がダンサーかが一目瞭然の力量差があった。

今回、作・演の橋口幸絵は、500年前や100年後から表れるローザに自分のメッセージを託し(あるいはそれを際立たせ)、なぜ「ローザ」なのかを明確にした(初演時の記憶にこの「時代のローザ」や「願いを語る人々」の印象がないのだが、登場しなかったのか、単に記憶に残らなかったのか…)。
ブラッシュアップされたダンスパートは作品の中で意味ある機動力となり、役者はダンサーの身体に、ダンサーは役者の声により近付いて、作品全体を高いレベルに持ち上げた。

なるほど、再演とはいいものだ。演劇作品とはこのように完成していくものなのだ。演劇シーズンの千秋楽では作品はどのようなところに到達するのか、非常に楽しみだ。

橋口が『ローザ〜』でより大切にしているのは、ある革命家の思想や政治的な背景ではない。ひとりの人間の「過酷な時代に意志を持って生きつつ、悲惨極まる世界を“それでも美しい”と讃える姿」、「受容しつつ不屈である生き方」のほうだ。

だから、特に前半、ローザが長広舌を開始すると、その背景では象徴的な群舞が始まる。私の目はダンスを追い、ふと気が付けばローザのセリフのほうが背景音楽のように聞こえている。それでいて、演出家がここ一番と考えた演説シーンなどでは、舞台はピタリと静止して、ローザの言葉の内容に注意を払うよう仕向けてくる。

橋口は、あまり観客を信用しない作演家なのだ。この作品は、観客にとってわかりやすいメッセージは効果的に聞かせ、そうではない(けれど劇作家が強い共感を持って盛り込んだセリフ)は注意深い耳にしか届かなくてもいいように練り上げられている。
ユダヤ系ポーランド人の少女に共感できずとも、革命の主張と進展に興味が持てずとも、目と耳を楽しませつつ時代と感情を強調するダンスと音楽が、強い推進力となって物語を運んでいく。そうこうするうちにローザは恋をし、世界と出会い、容赦のない現実と向き合い、その頃には観客はもうローザの物語の中にいる。革命の全貌は見えずとも「苛烈な時代を生きた女性」としてのローザに心を震わせている。

エンターテインメントとして完成させつつ、自分自身が「時代を生き抜く光として欲したもの」を必要としている人には届く形で作品に託し、わかちあうこと。それが、この作品で橋口が挑戦していることだろう。

残念ながら、今、時代の先行きは薄闇の向こうにある。
橋口が今の時代に感じていることと、わかちあいたいと願った豊かな強さを、ぜひ多くの人に受け取ってほしいと、私も願っている。

PROFILE
岩﨑 真紀
フリーランスのライター・編集者。札幌の広告代理店・雑誌出版社での勤務を経て、2005年に独立。各種雑誌・広報誌等の制作に携わる。季刊誌「ホッカイドウマガジン KAI」で演劇情報の紹介を担当(不定期)。
コンテンツのトップへもどる
サイトマッププライバシーポリシーお問い合わせ
pagetop