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札幌演劇シーズンとは?

ゲキカン!
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ライター  岩﨑 真紀さん

『不知火の燃ゆ』を観ながら、私の思考は散漫だった。一つひとつのシーンが示唆に富みすぎていて、違うことを連想しがちだったのだ。例えば、戦争を生き延びた人々の生活。レイチェル・カーソンの『沈黙の春』。過疎が進む地方の街や集落と、かつてそこにあった豊かさ。3.11後の問題。

舞台設定は「水俣」。観客の了解を前提として問題を明示しないまま、芝居はそのただ中に生きたある家族の一日を、実直な演出で丹念に描写する。そこから見える、貧困と差別。そこにある、恐れ、怒り、諦め、悲しみ。かつてあった喜び。

姉が出稼ぎから久々に戻り、おどけた弟に釣られて家族がハイヤ節を謡い踊るシーンは、この芝居を通じてほとんど唯一の明るい場面だ。役者の熟練の動きが、豊かなコミュニティが確かに存在したことを、まざまざと想像させる。けれどそれは、失われつつあるものの最後のひとかけらとして置かれているのだ。娘十三の祝いも、豊穣の海も、浜での大宴会も、すべては過去のものとして登場する。

文学でも、演劇でも、批評家が「近年は小さな私(わたくし)を描いた作品ばかり」と嘆いた頃があったように思う。でも、それは幸いなことだったのだ。昨年秋、私は場所も同じコンカリーニョで上演された、北九州市の劇団「飛ぶ劇場」の『大砲の家族』を観て、「時代とリンクした重厚で大きな物語を、今の時代に(観念的ではない)演劇として創造し得る」ということに驚いた。そのことを、私はほとんど信じていなかったからだ。同時に思った。そのような物語を作り得るのは、作り手としては幸いだろう。けれど、そのような物語が作られる時代を生きている私たちは、不幸なのではないか。

3年前にはわからなかったことが、今はわかる。「この時代を生きる私」にリンクする重い物語など、作れないほうがいい。私たちは、私たちの小さな物語しか創造し得ないような時代を生きたほうが幸せなのだ。

戦争がテーマの『大砲の家族』(泊篤志脚本)は、時代を生きる私たちに挑み、ラストで「傍観しているおまえはどうなんだ」という問いを突き付けた(ただし実際の上演では、多くの観客がそのことに気が付かないまま呆然と結末を見送ったと思う。私もその一人だ)。だが、このテーマとはいくらかの距離がある。今は、まだ。

鷲頭環の脚本『不知火の燃ゆ』は、挑まない(脚本自体は読んでいないが、たぶん)。けれど、淡々と物語を提示しながら、観客に対して、考えることをひたひたと迫る力がある。そのことは今の私にとって、扱っているテーマとの距離が近すぎて苦しかった。

『不知火の燃ゆ』は、炉ばたで語り継がれてきた昔語りのように、「物語に属する私たち」が繰り返し演じ、観て、伝えていくべき類のなにかを含んでいるように思う。今、「日本に住んでいる私たち」の何割かは、自分が『不知火に燃ゆ』の世界に属してしまったと感じるはずだ。少なくとも私は、この芝居を「日本のどこかの物語」ではなく、「私たち自身の切実な物語」として受け止めた。産土(うぶすな)という、私たちの身体・精神と分かちがたく結ばれたものが(例え観念的にすぎなくとも)汚れるとき、私たちはどうなっていくのか。

すべての喜びを「かつてあったもの」にしたくはない。『不知火の燃ゆ』は何も押しつけはしないけれども、そのことを強く感じさせる芝居だった。

PROFILE
岩﨑 真紀
フリーランスのライター・編集者。札幌の広告代理店・雑誌出版社での勤務を経て、2005年に独立。各種雑誌・広報誌等の制作に携わる。季刊誌「ホッカイドウマガジン KAI」で演劇情報の紹介を担当(不定期)。

NHKディレクター  東山 充裕さん

この作品は、世界にも類のない悲劇的な事件に見舞われた地域を舞台に、その悲劇的な状況の中で、人はどう生きるべきか、ということを描いたものである。
事件そのものを描くのではない。事件が起こった美しい海に面した漁村に暮らす、ごく普通の一家の日常を描くことで、人の弱さ、醜さ、恐ろしさ、そして希望を描いている。

舞台は、昭和31年、熊本県水俣市。
公害の原点ともいわれる水俣病が発生した地域である。
水俣病は、戦後の日本が高度経済成長を始めた時に、その犠牲を強いる形で、発生、拡大し、多くの人々の命と健康を奪い、未曾有の被害を引き起こした。
すでに過ぎ去った昭和という時代の事件と思われがちだが、そうではない。
今も多くの課題を抱えた現実の問題である。

人は弱い生き物である。
己の利益を優先させ、平気で他人を犠牲にし、差別し、傷つける。
しかしこの物語に登場する母親は、どんなに辛い過酷な状況の中でも、人間としての誇りを失わず、家族を愛し守ろうと力強く生きていく。
その姿は凛として美しく、私たちがこれからの困難な時代を生き抜くための手掛かりを与えてくれているようだ。

是非とも、多くの人に観ていただきたい作品である。

PROFILE
東山 充裕
 NHKディレクター。北海道出身。高校・大学時代と自主映画の監督を経てNHKに入局。主な演出作品に連続テレビ小説『ふたりっ子』、大河ドラマ『風林火山』、ドラマスペシャル『心の糸』(国際賞受賞多数)、FMシアター『福岡天神モノ語り』(ギャラクシー賞優秀賞受賞)など。
 福岡局在任中に、地域の魅力を描く“地域ドラマ”を企画・演出。福岡発地域ドラマ『玄海〜私の海へ〜』は放送文化基金賞本賞を受賞。
 昨年6月より札幌局勤務。札幌発ショートドラマ『三人のクボタサユ』を演出。

編集者・ライター  ドゥヴィーニュ仁央さん

学生生活を謳歌するあなたへ

勉強はそこそこに、サークル活動や夜遊びに打ち込む、かつての自分のような学生のあなたに提案したい。コンカリーニョという劇場で、座・れら『不知火の燃ゆ』という演劇作品が上演されている。学生は割引で1,500円。通常の半額だ。この作品を、ぜひ見に行ってほしい。

「演劇」とは縁遠いあなただけれど、ちょっとした出来心でコンカリーニョに足を運ぶ。中に入ったあなたは、舞台を見て軽く面食らうだろう。よく足を運ぶクラブなどとはまるきり違って、そこには、さびれた漁村を思わせる景色と小屋があるからだ。
「別世界に来ちゃったな...」と思っていると、あなたより少し上くらいの年齢の若い女性が現れる。そこはどうやら九州のどこかで、目の前の小屋は彼女の実家なのだ。やがて登場する弟は、会社で製造しているプラスチック製品を褒め讃える。プラスチックがなかった時代のことなんて考えたこともなかったあなたは、これが一体いつの時代の話なのかとまどうかもしれない。
それでも、あなたとちっとも変わらない人たちのやり取りを見て、次第に「別世界」は「あなたと同じ世界」に変わっていく。
「水俣」という言葉が出てきたとき、あなたは昔教科書で見て以来すっかり忘れていた「水俣病」という言葉を思い出すだろう。でも、目の前の人たちは、まだそれが「水俣病」であることを知らない。
何か異変が起きていることは、誰もが察している。

あなたは、実際に起こった「ある家族の時間」に身を置いている。
物事がこれほどの「重み」を持って迫ってくることは、あなたにとってきっと初めての体験で、その感覚はしっかりと身体に刻まれる。
多分、この先もいろいろな場面で、あなたはこのときの「重み」を思い出すだろう。
それは、あなたの想像力を促す、とても大切な感覚なのだ。

本当はこの機会に、演劇にはまってくれたら嬉しいなとも思うのだけど、それはそれ。これはこれ。まずはこの感覚だけ、逃さずあなたにキャッチしてほしい。
プチプライスのファッション雑貨を1つ購入する代わりに、他では手に入らない「感覚」をまとうのも決して悪くないと思うのだけど、どうだろう?

PROFILE
ドゥヴィーニュ仁央
ジユウダイ!』、『WG』という2つのWEBサイトで、札幌のアート&カルチャー情報を発信。「madebyhumans」(by IMPROVIDE)という取り組みでは、アート・コレクションのコーディネートも担当している。

映画監督・CMディレクター  早川 渉さん

「ポーカーフェースとジョーカー」



 「札幌演劇シーズン冬2014冬」もいよいよラストスパート。4作品の最後を飾る、座・れらの「不知火の燃ゆ」を観た(2月13日のゲネプロにて)。この作品は2012年6月に初演され大反響を呼び、その年の秋に開催されたTRG札幌劇場祭2012に参加、見事に特別賞(脚本賞)を受賞した作品だとか。自分は初見である。パンフの紹介文から察するに、水俣の悲劇を題材にした生真面目な社会派ドラマのようだ。別に社会派ドラマが嫌いなわけではないだが、こういう芝居はテーマを声高にやられるとこちらは引き気味になるし、奇をてらった下手な演出でもしらけてしまう。演出や役者の力量が問われる舞台になる。そして、結果は・・・・・・やられました。自分の負けです。
 この芝居はもちろん生真面目で真摯なドラマである。半世紀以上前に水俣の海で実際に起こった事実を元に、漁師一家を襲う静かなそして深い悲劇を、声高ではない淡々とした語り口で描いている。奇をてらった演出も一切無い。シンプルなセットと、計算された照明で美しく描かれる移ろいゆく海の情景。そしてBGMは一切無し。聞こえるのは波の音のみだ。ただ、なぜだろう?この芝居が始まってからしばらく、自分の胸にはドキドキしつつも、何かモヤモヤとした感じがわき起こっていた。この感じは・・・そう、1対1でポーカーの勝負をやっている感じだ!・・・自分の手はそんなに悪い手ではない。ただ、相手がポーカーフェースで全く手の内が読めないのだ。淡々とドラマを描きつつさりげない伏線を張っていく・・・でもそんなにいい手だとも思えない。しかし、どうしても気になる存在が見え隠れしている。そう、ジョーカーの存在だ。
 舞台は水俣の漁村。その村に4年ぶりに帰ってきた長女。久しぶりに交わす母や祖父、弟との会話。長女は何か秘密を抱えているに違いない。家の中には寝たきりの三女がいる・・・ジョーカーである。その存在が劇の序盤から明示されていながらなかなか我々の目の前に登場しない。この三女がジョーカーとしてこの芝居の鍵を握っていることは分かってきた。あとはどのタイミングでどんな手でこのカードを切ってくるのかが勝負。まさか最後までブラフで押し通すことはないだろう・・・。そして、芝居が始まってからちょうど半ばあたり。ついにジョーカーは登場する!!見事な一手である。三女の肉体と存在が舞台の空気感を一変させた。勝負は決した。我々の負けだ。胸のモヤモヤはもう無い。残りの舞台、最後の瞬間までドキドキしながらその技に見惚れよう

PROFILE
早川渉/映画監督・CMディレクター 札幌在住
昨年、中高生と琴似の街のコラボで実現した長編劇場映画「茜色クラリネット」では指導監督を務める。この映画には、札幌座演出の斎藤歩をはじめ何人もの札幌演劇人が参加している。
3月22日(土)〜 シアターキノ(狸小路6丁目)にてロードショー公開。
3月2日(日)には夕張国際ファンタスティック映画祭での上映も。
こちらもよろしく!
予告編はこちらから
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