ホーム
札幌演劇シーズンとは?
公演日程
作品紹介
劇団紹介
チケット予約
リンク

札幌演劇シーズンとは?

ゲキカン!
01_top.jpg

特定非営利活動法人S-AIR代表  柴田尚さん

夫:52歳。美術系プロジェクトの企画者。現在、ほとんど芝居は観ないが、実は高校時代は演劇部。職業柄かストーリーには入り込まず、製作サイド的クールな視点でものを言う。

妻:46歳。一般企業事務員。芝居は夫に比べればよく観る方で、好きな作品は何度でもリピートできる。「二時間ドラマのラスト10分だけしか観てなくても泣ける」というくらい感情移入しやすいタイプ。

夫「なつかしかったなあ・・・・・」

妻「まあ、なつかしいというか、微妙な気持ちというか・・・」

夫「あの柱、何回ペンキ塗ったかなあ・・・・」

妻「柱?なんのこと」

夫「俺、あそこで働いてたんだよ」

妻「え!劇場のこと?BLOCHで?」

夫「違うよ、その前だよ。あの部屋は昔、ギャラリーだったの。97年前後だっけな」

妻「へえー」

夫「君の『微妙』ってのはなんの話?」

妻「それは、お芝居観て思い出したことよ。自分の高校時代ってさ・・・」

夫「どんなだったの?」

妻「地味だった。大人になってから、同窓会で『君、いたっけ・・・』って言われたわ」

夫「あちゃーっ!それは悲惨」

妻「私はデビューが遅かっただけよ。あなたは?」

夫「好きな娘に告白するために曲創ったりしてた」

妻「当然、フラれた」

夫「なんでわかるの? アルバム1枚は多かったかなあ」

妻「それって微妙っていうより、痛いわね」

夫「高校時代って振り返ると恥ずかしいよね」

妻「お芝居の中もそうだっけど、男子はおバカで幼稚。私たちの年齢にはちょいと若い作品かなあと思ったけど、意外とおもしろかったわ」

夫「うん。演劇らしい作品だと思った」

妻「どういうところ?」

夫「例えば、演劇と映画との違いってさ、ひとつは場面転換ってのがあると思うんだよね。映画は編集する芸術だから、簡単に空間を切り替えられるけど、演劇は物理的にはステージというひとつの空間なのね。場面転換って手間がかかるし、不可能なこともたくさんある」

妻「フムフム・・・」

夫「それを逆手に取って、ひとつの空間に複数の場面や時間を同時に見せてたでしょ。こういう手法は、映画でもできないことないけど、演劇の方が効果的かなと」

妻「主要な人物はみな、高校時代と現在の自分と二通りキャストがいるのよね。過去と現在の人物が入り交じって登場したり、一辺に出たりでハチャメチャでドタバタなストーリー」

夫「僕の年代だと7〜80年代のアングラとか、小劇場とか思い出しちゃった」

妻「たしかにモチーフの深夜ラジオも、かつてのテイストかもね」

夫「でも、やっぱり当時と違うのが、映像効果だよね。インタラクティブでセンスよかったよね」

妻「舞台美術も凝ってておもしろかった」

夫「役者は?」

妻「こないだ観た『あっちこっち佐藤さん』のイレブンナインの江田さんと小島さんが出てたでしょ。見比べられておもしろかった」

夫「『夜明け前』ってタイトルどう思った?」

妻「ブログの中で、脚本・演出の川尻さんが、『(僕だけが孤独)なんて思ってた少年時代は、実はそうではなく、みんな、同じ夜明け前、同じように目をつぶりながら、まだ見ぬ明日を待っていたのだ。』と書いてるけど、そういう感じワカルなあ・・・と」

夫「なるほど、君の『夜明け前』は、悶々としてたんだね」

妻「なによ! あなたはどうだったのよ。」

夫「何が」

妻「お芝居観ないって言ってるけど、高校時代は演劇部だったんでしょ」

夫「ドキッ・・・忘れていた俺の夜明け前(高校時代)の話を・・・」

妻「しかも部長」

夫「もう、その辺で勘弁して!」

PROFILE
柴田尚
特定非営利活動法人S-AIR代表
北海道教育大学特任教授

平成11年、札幌アーティスト・イン・レジデンスを立ち上げ、平成17年7月、特定非営利活動法人S-AIRとして法人化。初代代表となる。現在までに33カ国84名以上の滞在製作に関わる。同団体は平成20年度の国際交流基金地球市民賞を受賞。その他、「SNOWSCAPE MOERE」(札幌市)などの様々なアートプロジェクトやアートスペースの立ち上げに関わる他、平成21年度より「廃校・旧校舎の芸術文化活用調査」などの調査事業も始める。平成26年度より、北海道教育大学教授(NPOマネジメント研究室)となる。NPO法人アートNPOリンク理事、Res Artis総会2012実行委員会委員、OYOYOまち×アートセンター、OYOYOゼミ部長、共著に「指定管理者制度で何が変わるのか」(水曜社)がある。

NHKディレクター  東山 充裕さん

『夜明け前』

なんてファンタスティックな作品なんだろう!!
3ヵ月前に、初演の台本を読んだ時の感想だ。
今回の再演の舞台も、その期待に十分に応えるものになっていた。
いや、いくつかの場面は、私が思い浮かべていたものより鮮やかに超えていた。

まず仕掛けが面白い。
主人公や登場人物たちが、高校時代の自分と対話する形で、物語が進んでいく。
その中で、ある事故で曖昧になっている主人公の記憶が、徐々に明らかになっていく。

そしてセリフがいい。
川尻恵太氏のセンスの良さには脱帽である。
一見、デタラメで馬鹿馬鹿しいセリフが飛び交うのだが、その裏に、高校時代のあまりにも不器用でシャイなリアルな青春が溢れており、無性に切なくなってくる。
どうして自分たちはあんなにバカだったんだろう…。
と、なぜか登場人物と自分の過去が重なって見えてくるから堪らない。
そう、川尻氏の詩のようなセリフによって、自分の青春時代がブワーッと甦り、その想い出と重ね合わせながら見てしまうのだ。

クライマックスはどうしようもなく泣けてくる…。
どうして人はこんなに間違ってしまうのだろう。人は過去の過ちを修正できないのだろうか…。
そのシーンを思い出すと、今でも涙が出てくる。
あ、ほら、涙が出てきた。

私は演出家なので、常に自分が演出したいと思う作品との出会いを探している。
この作品はまさに私が撮りたい本の一つだ。
川尻恵太さん、是非、一緒にドラマを作りましょう。
あなたの才能を貸して下さい。二人でドラマの『夜明け』を迎えましょう。
あれ、こんなこと書いたら
「これ、恋文じゃねーか」
「これ、コンビニじゃねーか」

こんな素敵な作品を再演してくれ、出会わせてくれた「札幌演劇シーズン」には深く感謝いたします。

PROFILE
東山 充裕
 NHKディレクター。北海道出身。高校・大学時代と自主映画の監督を経てNHKに入局。主な演出作品に連続テレビ小説『ふたりっ子』、大河ドラマ『風林火山』、ドラマスペシャル『心の糸』(国際賞受賞多数)、FMシアター『福岡天神モノ語り』(ギャラクシー賞優秀賞受賞)など。
 福岡局在任中に、地域の魅力を描く“地域ドラマ”を企画・演出。福岡発地域ドラマ『玄海〜私の海へ〜』は放送文化基金賞本賞を受賞。
 昨年6月より札幌局勤務。札幌発ショートドラマ『三人のクボタサユ』を演出。

映画監督・CMディレクター  早川 渉さん

これで面白くないわけがない!?

・・・と、苗穂聖ロイヤル歌劇団「夜明け前」のためのゲキカン!に小タイトルを付けてみた。偶然にも、演劇シーズンHPの新企画「この作品って、どんな作品?」の中で、本作のプロデューサーである前田ゆりかさんが全く同じ言葉を使っていた(笑)。

『全員がとおってきた、もしくはこれからとおるお話し。
 これで面白くないわけがない!という
 素晴らしいキャストが揃いました。』

このキャストで面白くないわけがないでしょ!ということだ。
実際、主人公の高校時代を演じる川尻恵太(作・演出も)をはじめ、主人公の今を演じる江田由紀浩や、存在感が圧倒的な小島達子(2人とも『あっちこっち佐藤さん』でも好演!)山田マサルの怪演など、群像劇でありながら役者陣の演技に躍動感があり、その役柄もきっちりと描き分けられ、最後まで面白く見る事が出来た。
 しかし、自分が言う「これで面白くないわけがない!?」とうい意味は、キャストの部分ではない。この作品が作家にとっての「禁断の一手」(そこまで大げさな事でもないが・・・)を打った作品だと思うからだ。

『作家の、青春時代を回顧した自伝的作品』

これが、「禁断の一手」である。
なぜ「禁断」かと言えば、この手は一生に一度しか使えないからだ。一度使ったら二度と似たような作品を作ることは出来ない。だから使いどころが難しいし、できることならいつまでも取っておきたいネタだ。少なくとも自分はそうだ。
そして、この「禁断の一手」はまず面白い。面白くないわけがない!
前田プロデューサーの言葉通りである。
『全員がとおってきた、もしくはこれからとおるお話し。』
全員=観客も含めたすべての人間が必ず共感もしくは感情移入できるお話し。
それが『青春時代を回顧した自伝的作品』というものだ。
あとは、作者側が恥も外聞も捨てて思いっきり恥ずかしい過去を思いっきり表現すればいい。よっぽどのことがない限り自分は許す。人のバカ話は面白い!
「青かった自分」「過去の過ち」「変な友だちとの馬鹿話」「青春時代の恋バナ」
「未来」「夢」・・・フィクションでは上手く表現しきれないこれらのテーマが自伝的な作品ではモノの見事に甘酸っぱく発酵して観客の胸に迫ってくる。
観客は、舞台上で行われる恥ずかしくって切なくてバカな行為に自分の青春時代を投影させる。今の主人公の悩みに今の自分を置き換えながら見る。

「夜明け前」を見ると普段とは違う優しい観客になれるような気がする。
弱くて、でも優しい人間になれたような気がする。
・・・そういえば、納戸にあった「めぞん一刻」、まだあったっけ?
「ダメダメ!明日からちゃんとしなきゃ!」などと思いつつ、昔読んだ本や漫画、映画などをチョイと手に取り、読んだり見たりしたくなる。

PROFILE
早川渉/映画監督・CMディレクター 札幌在住
現在開催中の札幌国際芸術祭の連携事業で、アイヌ神謡集の一遍にインスパイアされたショートムービー「この砂赤い赤い」を制作中。9月半ばの完成を目指している。かなりシュールで血なまぐさい映画です(笑)ただいま、サポーター募集中です!
https://theaterkino.net/wp/wp-content/uploads/PDF.pdf

在札幌米国総領事館職員  寺下ヤス子さん

苗穂聖ロイヤル歌劇団「夜明け前」
2014.8.19 ゲネプロ 

どちらかというと私はあまり過去の思い出に浸ったりしない。物覚えが悪く、すぐ忘れる。面倒くさがりなのだ。「夜明け前」の登場人物たちは、懸命に思い出し、正直に認める。恥ずかしいことも、情けないことも、卑屈なことも、笑いにして観客に見せてくれる。ヒーローではない、「チクリ屋」と呼ばれるような男子の初恋、友情。赤の他人の卒業アルバムをめくるのは退屈だと思ったが、ギャグだらけの会話の中に、若かりし自分がみえてくる。何も成し遂げてないじゃないか、という焦り、人気者への嫉妬、好きですと言えないハニカミ、「どうせ私なんか」と「いや私だって」の繰り返し。

誰もがヒーローになれるわけじゃない。友人や同級生が有名になったりすると感じるかも知れない、まるで誰かのドラマチックな人生を目撃するためだけにあるかのような自分の人生。フランス映画の「伴奏者」(クロード・ミレール監督)を思い出す。ロマーヌ・ポーランジェ演じる若手ピアノ伴奏者が、オペラの人気歌姫の伴奏役になり、そのドラマチックな歌姫の人生の傍らで、引っ込み思案な彼女が成長していく。毎度うろ覚えの引用で申し訳ないが、冒頭の彼女のセリフが、「人生が私の横を通り過ぎていく」といった切ないものだった。人生においても自分は歌姫の活躍を見ているだけの傍観者だ、という彼女の置いてけぼり感、無力感、劣等感。それと共に、私にも何かが起こる、という期待と不安。これらもみんな「青春」の材料なんだなあ、とこの芝居が教えてくれる。皆、そうやって悶々と夜明けを待つ。自分の人生と折り合いをつけるまで。

舞台に投写される映像を巧みに使った演出がよかった。技術面で苦労されたと思うが、功を奏している。個人的には、物語からは外れるが、出演者の名前を映し出して俳優さんたち本人を紹介する場面は、音楽とも相まって、青春の甘酸っぱい感じがふわっと伝わってくる。実際に若い俳優さんたちががんばっているからかな。他人の卒業アルバムでも、その懐かしさが同じだった。

PROFILE
寺下ヤス子
在札幌米国総領事館で広報企画を担当。イギリス遊学時代にシェークスピアを中心に演劇を学んだ経験あり。神戸出身。

ライター  岩﨑 真紀さん

 『夜明け前』という文学的なタイトルを裏切って、
大変に下世話な話題が盛りだくさん、男子全開、青春ギャグ満載の作品である。
甘酸っぱさもあるにはあるが、いかにも男子的なそれなのだ。

少年漫画誌(『ジャンプ』ではないやつ)のどこかに、こういうテイストの作品を見かけた気がする。
放屁脱糞にエロとまではいかないシモが舞台上で炸裂する、という説明を加えたら、ご想像いただけるだろうか。

物語は一応あるのだが、たぶん、脚本家が書きたかったのはそこではないだろう。
無様な自分を隠そうとしつつもさらけだしていた高校時代の「自分たち」(どちらかというと中学生っぽいが)の、姿や関係性なのではないか。
拡大した自己愛と卑下、恋、妬み、容赦ない呼称、場の関係性によるなりゆきの友情。
設定上は30歳の「自分たち」との対比(混在しながら!)になっているが、
高校時代から変わったようなそうでないような、
断裂しているけれどもつながっているかもしれない「何者にもなれていない自分たち」の姿は、むしろファンタジー的なのだ。滑稽に誇張された高校時代の姿のほうが恐ろしいまでにリアル、というのはなんとしたことだろう。

馬鹿げて汚く愚かで有頂天でどん底で視野狭窄だった「あの頃」を、今、思い返せば笑える……、ということなのだろうか。
「女子」だった私には想像できない面もあるのだが、とにかく、書き手がブレーキの効かない「悦」の状態に突入して書いたのでは?と思わせる、「男子の禁断の領域」(笑)をさらけ出している脚本、であるように思う。

少年と呼べるほどの清潔感はなく、
青年と呼べるほどの知性はない段階の、男子たち生態。
多少の世知を得ても本質的には変わらなく設定されている、ふざけ合う男たち。

いや、正視に耐えない(笑)。
決定的なシーン(!)は、つい、薄目で観てしまうこと請け合いなのだ。

波長が合えば、抱腹絶倒は間違いなし。
私も笑った。
ただし、うっすらとした笑いだった、とご報告しよう。込み上げるおかしさの種類が、たぶん、男子や元男子と同じではない、という気がしている。

舞台を観ながら、私は騒々しい高校の教室の片隅にいて、
わけのわからない、脈絡があるようでない男子生徒の会話や愚かな振る舞いを見るともなしに見ている、とっつきにくいタイプの女子生徒になった気分だった。
ああ、愛すべき馬鹿な男子たちよ。
青春はなんと、汗臭く、恥ずかしく、馬鹿馬鹿しく、騒がしく、あっという間に過ぎ去るものなのだろう。

少年誌のギャグがお好きな方には、自信を持ってオススメする。
そうでない方には、男子という生物のリアルを目の当たりにする得がたい機会(笑)として、お楽しみいただきたい。

PROFILE
岩﨑 真紀
フリーランスのライター・編集者。札幌の広告代理店・雑誌出版社での勤務を経て、2005年に独立。各種雑誌・広報誌等の制作に携わる。季刊誌「ホッカイドウマガジン KAI」で演劇情報の紹介を担当(不定期)。
コンテンツのトップへもどる
サイトマッププライバシーポリシーお問い合わせ
pagetop