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札幌演劇シーズンとは?

ゲキカン!
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特定非営利活動法人S-AIR代表  柴田尚さん

夫:52歳。美術系プロジェクトの企画者。現在、ほとんど芝居は観ないが、実は高校時代は演劇部。職業柄かストーリーには入り込まず、製作サイド的クールな視点でものを言う。

妻:46歳。一般企業事務員。芝居は夫に比べればよく観る方で、好きな作品は何度でもリピートできる。「二時間ドラマのラスト10分だけしか観てなくても泣ける」というくらい感情移入しやすいタイプ。

夫「僕らの結婚、震災がきっかけだったね」

妻「うん、それが?」

夫「あのできごとは、僕らだけでなく、多くの人の人生を左右したってことだよな」

妻「そういえば、あの年のお盆は福島で過ごしたわね」

夫「このお芝居を書いた南参さんもご家族が福島出身みたいだよ」

妻「そうなんだ・・・」

夫「だけど、本人は札幌生まれで札幌育ちみたい」

妻「なるほどね。ディレクター役のエレキさんのスタンスはそこから来るのね」

夫「百年後のSAPPORO地区(かつての札幌市)が舞台なんだけど、雪と氷で閉ざされていて、もう人が住むことが禁止されている場所になってるんだよね」

妻「場所や時代は違うけれど、明らかに震災を連想させるわ」

夫「それにしても、真夏に真冬の衣装で演じるのはたいへんだったろうね」

妻「大丈夫かなと思ってハラハラした。ほら最近、すごく暑かったら。でも、観てるうちに気にならなくなったわ。わたし物語入り込み系だから」

夫「暗闇の演出がいくつかあったけど、どうだった?」

妻「正直言うと、一人で観てたらきつかったかも。暗所恐怖症系には、ちょっとドキドキだわ」

夫「作者の南参さんは、暗転が好きでワクワクするらしいよ」

妻「たしかに真っ暗で怖かったけど、劇場の中にいる役者と観客全員が同じ暗闇を体験してるって一体感も感じたわよね」

夫「日本のクリエーター達にとっては、震災は明らかにエポックメーキングなできごとだよね。あの暗闇のシーンや、雪と氷に閉ざされた土地という設定から感じる『閉塞感』は、アートとかアニメでも、この時代の空気を孕んだ作品にはよく感じられる共通のコードだと思う」

妻「観客の入場が搬入口というのはどうだった?」

夫「新鮮でよかったと思うよ。あのぐちゃぐちゃなセットの中を通って客席に着くのも。」

妻「そうね。舞台の裏側を通って席に着くのって、私たちも登場人物と同じ世界に入っていく装置ってことよね」

夫「しいて言えば・・・・僕ならば退場も搬入口かな」

妻「何、偉そうなこと言ってんの、あなたは演出家じゃないでしょ!」

夫「いいんだよ。観客はみな自称演出家みたいなもんさ。僕が帰りも搬入口がありだと言ったのは、季節を扱った芝居だから」

妻「どういうこと?」

夫「帰るときの天気で、この芝居の「続き」が違って感じると思うんだ。暑ければ現実に戻るし、雨が降っていたら、シンクロする。搬入口は外界と直結してるから効果的だなと」

妻「私は今のままでもいいと思うな」

夫「それにしても・・・100年後ってどうなってるのかな」

妻「やっぱり、ドラえもんは続いてると思う!」

夫「声優は芦田愛菜に変わってるけど」

妻「絶対、やってると思う!」

夫「観たいな」

妻「観れるわよ・・・きっと」

「つづく、」

PROFILE
柴田尚(しばた ひさし)
平成11年、札幌アーティスト・イン・レジデンスを立ち上げ、平成17年7月、特定非営利活動法人S-AIRとして法人化。初代代表となる。現在までに33カ国84名以上の滞在製作に関わる。その他、「SNOWSCAPE MOERE」(札幌市)などの様々なアートプロジェクトやアートスペースの立ち上げに関わる他、平成21年度より「廃校・旧校舎の芸術文化活用調査」などの調査事業も始める。平成26年度より、北海道教育大学教授(NPOマネジメント研究室)となる。

NHKディレクター  東山 充裕さん

『つづく、』

yhsという劇団の魅力は、メンバーの人柄とチームワークの良さなのだろう。
私は彼らとテレビやラジオで一緒に仕事をすることも多いのだが、彼らの人柄の良さには感心する。聞けば、主宰の南参氏を初め、多くが藻岩高校出身だという。きっと同窓の仲間であることの信頼感が、チームワークの良さを生んでいるのだろう。

今回の作品は、100年後の札幌を描いたSFだ。
局地的な寒冷化により万年雪に包まれてしまった「SAPPORO地区」。
かつての200万人都市の面影はない。消滅しかかっている地区である。
そこへ東京から、小林エレキをリーダーとしたドキュメンタリークルーがやって来る。
実に面白い設定だと思う。

今年5月、とある民間の有識者による団体が、2040年に日本の市区町村の約半分が消滅する可能性があると発表した。
北海道では、188市区町村のうち、147市区町村が消滅の可能性があるという。
また総務省の昨年の人口移動報告では、北海道の道外への人口流出すなわち転出超過数が都道府県別で全国1位という結果であった。(逆に札幌市は転入超過数が市区町村別で全国2位)

つまり、絵空事ではないのだ。
南参氏はもともと時代の空気や社会問題を取り込むのが上手い脚本家であるが、果たしてこの問題の解決法を見つけることができるのか。
今回の舞台が導く答えは?
そんなことを考えながら、必死で芝居を続ける役者たちを見ていた。

静かな情熱を秘めて演じる小林エレキの中に、小さな希望を感じた。

PROFILE
東山 充裕
 NHKディレクター。北海道出身。高校・大学時代と自主映画の監督を経てNHKに入局。主な演出作品に連続テレビ小説『ふたりっ子』、大河ドラマ『風林火山』、ドラマスペシャル『心の糸』(国際賞受賞多数)、FMシアター『福岡天神モノ語り』(ギャラクシー賞優秀賞受賞)など。
 福岡局在任中に、地域の魅力を描く“地域ドラマ”を企画・演出。福岡発地域ドラマ『玄海〜私の海へ〜』は放送文化基金賞本賞を受賞。
 昨年6月より札幌局勤務。札幌発ショートドラマ『三人のクボタサユ』を演出。

映画監督・CMディレクター  早川 渉さん

贅沢な演劇とは!?



「札幌演劇シーズン2014−夏」もいよいよ最後の作品となる。
yhsによる「つづく、」は2012年に初演され今回が初めての再演。本HP上で、作・演出の南参氏が語っているように、この芝居は2011年3月に起きた東日本大震災での光景を目の当たりにしたことで生まれた作品だ。初演の頃はまだ震災の記憶も生々しく、劇中で描かれる廃墟となった劇場の様子や寒冷化によって人が住めない・・・いや、住んではいけない地域に指定された札幌という街の設定が震災および原発事故に襲われ廃墟と化した福島や東北地方を想起させてくれた。震災から約3年半。今回はどうだろう?この芝居を見て震災の記憶が蘇ってきただろうか?

この芝居のテーマは「想像力」と「創造力」だ。そしてもう一つ付け加えるならば「想いの持続性」、もっと単純にいえば「忘れないこと」だろうか。
このテーマは、作家や役者たち舞台側の人間だけでなく、観客席に座る私たちにも何となく突きつけられる。鋭くではなく何となく突きつけるところがミソで、強制的ではなく「あとはご自由に・・・」というニュアンスだ。
「つづく、」というタイトルもまた、「これから先は舞台が終わった後、あなた方のお話につづく、のです」と言われている気がする。
このような作家の真摯な想いから生まれた作品に何か「贅沢な」印象を受けるのはどこか不思議で不遜な気がする。
そう、自分にとって「つづく、」という作品は贅沢な演劇なのだ。

映画畑の自分にとって一番贅沢な映像体験を与えてくれるのはロシアの映像詩人アンドレイ・タルコフスキーの諸作品だ。タルコフスキー作品は昨年全作上映がシアターキノで行われたので観た方もいると思うが、とにかく「眠くなる」「難解」、でも「美しい」。それに比べると、「つづく、」は眠くなる芝居ではないし、難解な芝居でもない。もちろん「美学」を前面に押し出す芝居でもない。
では、両作品に共通する「贅沢」な印象を醸し出すポイントは何か?
答えは・・・「余白たっぷりで隙間だらけな中盤」と「結末の鮮やかさ」にある。

タルコフスキーの「ノスタルジア」や「惑星ソラリス」における驚愕のラスト。
「ストーカー」の奇跡のラスト・・・などのタルコフスキー作品のラストと同じく「つづく、」のラスト10分もまさに奇跡だ。
暗闇、音、光、そして言葉が美しく、鮮烈でいつまでも忘れがたい。
その奇跡を生み出しているのは間違いなく全てを語りきらない、曖昧でもやもやした中盤の展開であり、コンカリーニョの大箱をさらに大きく使いながらも決してうまく使い切っていない空間の隙間感であり、必要以上に多く時間を割かれる暗闇の世界などだ。観客は、この決して完璧に構成されず隙間だらけの1時間40分あまりに少し苛立つかもしれない。でも違うのだ。この隙間だらけ、いや想像力や創造力の翼を広げる余地をたっぷり与えられた贅沢な1時間40分があるからこそ、あの鮮烈なラストが忘れられないモノになるのだ。

創造する側は、想像する人間を信じて、全てをきっちり語り尽くすことにあくせくしない。観る側は「分かる」ことに執着せず「感じる」ことを楽しむ。
「つづく、」はこんな贅沢な体験を味わう芝居である。
そして、再演をまたまた望む。
今度はあのラストを迎えるまでの1時間40分をどう味わおう?
yhsの面々は、そして自分はこの数年で何が変わったのか?
芝居を観ることが自分の世界につづく、
贅沢な体験を味合わせてくれる芝居はそんなに多くない。

PROFILE
早川渉/映画監督・CMディレクター 札幌在住
現在開催中の札幌国際芸術祭の連携事業で、アイヌ神謡集の一遍にインスパイアされたショートムービー「この砂赤い赤い」を制作中。9月半ばの完成を目指している。かなりシュールで血なまぐさい映画です(笑)ただいま、サポーター募集中です!
http://theaterkino.net/wp/wp-content/uploads/PDF.pdf

在札幌米国総領事館職員  寺下ヤス子さん

yhs 「つづく、」
2014. 8.24

あらら、劇場入口がいつもと違う。ステージ裏から舞台を踏み越えて客席へ。ステージ段がとっぱらわれて観客と舞台が近いし、上は照明を通り越して天井高く使えていい感じ。

そしてその好印象は大当たり。「つづく、」は私の中の「ザ・演劇」的な演劇だった。セリフの練りのよさ、「プレーヤー」と呼ぶ各キャラクターのこなれた感じ、適度な神秘性、演出の面白さ。テーマは格調高くさえある。感動した。

始まるといきなり会場は真っ暗。暗闇でセリフが飛び交う。もう、わくわくする。この劇中停電による暗闇は、何度か訪れ、観客に「想像しよう」と呼びかける。見えないと、何が起こっているか想像するしかないもんね。観客一同、笑いつつ想像する練習(?)。
やがて最後には皆、黒い扉の向こうに、「虹」が見えたはず。カラフルで空いっぱいの大きな花のような虹。

結局、演劇は観客の想像力が全て。これからどうなる? 物語も観客の想像の中で続く。そんな芸術の本質に迫ることを考えさせられる、かっこいい劇だ。

2112年、100年間雪に閉ざされた札幌が舞台だが、避難区域、復興局、といった言葉に東北の被災地を重ねずにはいられない仕組み。劇中、お涙頂戴もなく、説教がましくなく、正直に、真摯に、問いかけ、訴える。
心に残ったセリフは、「取り戻せないなら、新たに創り出すしかない。」
広島でも土砂災害があったばかりで心が痛む中、被災者や故郷を思う力を創造に向けたい。美しい新しいまちを「想像」して「創造」しよう。そう励ましている。

札幌演劇の未来は明るいと思わせてくれる作品。観れてよかった。

PROFILE
寺下ヤス子
在札幌米国総領事館で広報企画を担当。イギリス遊学時代にシェークスピアを中心に演劇を学んだ経験あり。神戸出身。

ライター  岩﨑 真紀さん

 観終えたとき、押井守監督のアニメ作品『スカイ・クロラ』を思い出していた。
なぜだろう、ストーリーもテイストも、全く似ていないのに。

こう書き出しておいて恐縮だが、私はアニメには詳しくなく、昔たまたま観ただけの、そして名作だがファンの間で議論百出の『スカイ・クロラ』を例に出すのは気が引けてはいる。けれどこの類似性を持ち出すことで、抱いた印象を上手く伝えられるように思うのだ。

ネット某所より引用するという禁じ手をお許しいただいて説明すると、似ているのは以下の3点ではないかと思う。
1)寓意を持たせた世界設定からの物語づくり(たぶん)
2)同じ状況を何度も繰り返すなど「永遠性」を意識した演出
3)ストーリーの進行とは直接関係ないダレ場の挿入

加えるなら、作品の寓意を一回の観劇ではっきりと理解するのがなかなか難しい、という点も似ているように思う。『スカイ・クロラ』のように、『つづく、』も二度三度観ることで深く理解できる作品なのかもしれない。

『つづく、』の世界設定に託されているのは、札幌という土地の閉塞感なのか。
あるいは、地方演劇の冬なのか。

脚本・演出の南参は、観客に「想像せよ、それこそが演劇創造なのだから」と要求する。
私たちが想像さえすれば、100年の冬も終わるのだ、と。
いや、それはむしろ、演劇人へのメッセージなのだろうか。

タイトル『つづく、』の、「、」に込められた想いを考える。
その後に何かの言葉が来ることを、予期させつつも明らかにしない「、」の存在。

南参は、演劇が時を超えて「続く」ことを疑っていない。過酷な設定の中に突如として芝居が沸き起こるのはそのためだろう。
けれど、まさに「、」には「けれど」というためらいの気持ちが込められているのではないか。「続くのだけども」、そこにズバリとは言いがたい何かがある。

「辺境」に生きる者の宿命であるかのように、逃れがたく東京を欲しながらも地方に留まっていることについて、南参は結局のところ、どのような光を見出したのか。
明示されないそれについて、観客は想像しなくてはならない。

よりよく想像させるために、演出家は劇場に暗闇を用意した。
けれど、たぶんその意図を超えて、私は美しい冬の夜空をみてしまった。

通常より奥行き深く設定された舞台空間が闇に変わるとき、出現したのは、
役者への目印としてつけられている蓄光テープのきらめきが作る宇宙空間だったのだ。

このように、観客の想像力というのは作り手を易々と裏切ってしまう。

『つづく、』は闇から始まって、闇の中で転換点を迎える。
宇宙の広がりの中では、いかに閉塞した問題であっても(だからこそ?)ちっぽけだ。

演劇人だけではない。私たちはみな、ちっぽけだ。
それでも懸命に生きていく。
それぞれの土地で、各々の問題を抱えて、
永遠に続く極寒の日々にも、小さな喜びを見出そうとしながら。 

PROFILE
岩﨑 真紀
フリーランスのライター・編集者。札幌の広告代理店・雑誌出版社での勤務を経て、2005年に独立。各種雑誌・広報誌等の制作に携わる。季刊誌「ホッカイドウマガジン KAI」で演劇情報の紹介を担当(不定期)。
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