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札幌演劇シーズンとは?

ゲキカン!
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特定非営利活動法人S-AIR代表  柴田尚さん

夫:52歳。美術系プロジェクトの企画者。現在、ほとんど芝居は観ないが、実は高校時代は演劇部。職業柄かストーリーには入り込まず、製作サイド的クールな視点でものを言う。

妻:46歳。一般企業事務員。芝居は夫に比べればよく観る方で、好きな作品は何度でもリピートできる。「二時間ドラマのラスト10分だけしか観てなくても泣ける」というくらい感情移入しやすいタイプ。

妻「私、3年前にもこの作品観たのよね」

夫「再演のときだね。僕らが結婚した年か・・・そのときと比べてどう?」

妻「まあ、だんだんリアルになってきたというか・・・」

夫「何が?」

妻「ほら、結婚して親戚づきあいも増えるから」

夫「ははは・・・・実生活の方か。今年のお盆も遺産でモメたし・・・」

妻「まあ、うちみたいに5万の指輪をどっちがもらうか・・・って程度だと笑えるけど」

夫「2億だと」

妻「そりゃあ、真剣(マジ)になるわ」

夫「この作品は本がいいよね。話がよくできてるっていうか」

妻「ある大学教授の四十九日を舞台に、遺言を預かったという弁護士が登場するのよね。その教授の生前の誕生日の1日を・・・・」

夫「周辺の人物達が時間を巻き戻しながら、複眼的に解説していく。わかりづらくなりそうな手法を巧みなバリエーションを加えて飽きさせないで展開してた」

妻「同じ出来事でも、立場によって受け取り方が違う。人って結局、自分が思いたいように見てるのかもね」

夫「君と僕も?」

妻「どうかしら」

夫「役者もうまくて、テンポもよく、笑えたよね」

妻「それは一致」

夫「なくなった教授と弁護士さんが一人二役なことには、特別な意味があるのかな」

妻「どうかしら」

夫「話が緻密だから、特に思ったんだ。台本にも、『辰松(弁護士)と信盛(大学教授)は同一の役者が演じる』とはっきり書いてある」

妻「ふ〜ん」

夫「それって、表裏一体っていう意味だと思うんだ。「生」も「死」も裏表一体で、どちらも笑えるみたいな・・・・・」

妻「あなたらしいわよね。私は、そこまで考えないかな」

夫「そこは、不一致」

妻「モチーフとなっている近松門左衛門って読んだことある?」

夫「ないけど、登場人物の名前、近松作品にひっかけてそうだよね」

妻「絶対よ。『曾根崎心中』のお初と、この作品の初実とかね」

夫「『冥途の飛脚』の梅川と、メイド(お手伝い)のウメね」

妻「そういう楽しみ方もあるある」

夫「近松と言えば『心中』だけど、ロマンチックに感じる?」

妻「はっきり言うけど、私、あなたと死ぬつもりはないから」

夫「・・・・・」

妻「あなたに興味ないんじゃないわよ。今日のお芝居でもあったけど、私は、みっともなくても生きてゆく派なのよ」

夫「遺産あってもやらない・・・」

妻「まさか、隠してんじゃないわよね!」

PROFILE
柴田尚(しばた ひさし)
平成11年、札幌アーティスト・イン・レジデンスを立ち上げ、平成17年7月、特定非営利活動法人S-AIRとして法人化。初代代表となる。現在までに33カ国84名以上の滞在製作に関わる。その他、「SNOWSCAPE MOERE」(札幌市)などの様々なアートプロジェクトやアートスペースの立ち上げに関わる他、平成21年度より「廃校・旧校舎の芸術文化活用調査」などの調査事業も始める。平成26年度より、北海道教育大学教授(NPOマネジメント研究室)となる。

映画監督・CMディレクター  早川 渉さん

『藪の中』は出世作!?



「死にたいヤツら」は80分に満たない小品だが、よく練られた脚本とテンポの良い演出や役者の演技で最初から最後までニコニコしながら見られる、良い意味でウェルメイドなコメディの秀作だ。作・演出の弦巻啓太曰く・・・
 2006年「近松門左衛門」をテーマとした『遊戯祭』で初演。ありがたいことに観客投票で大賞を受賞、札幌劇場祭の大賞(当時は別名)まで受賞した、弦巻楽団の『出世作』です・・・とのこと。
ストーリーの詳細は他のページを参照して頂くとして省略するが、この芝居の一番の見所は、亡くなった大学教授の「遺産」とそれを相続できる「愛人」をめぐる「藪の中」的な脚本の構造と見せ方だろう。ここでいう「藪の中」的な構造とは、同じエピソードを登場人物の視点の違いで何回も繰り返し描き、徐々に真実に近づいていく、という構造を指す。
ちなみに、「藪の中」とは<関係者の言うことが食い違うなどして、真相がわからないこと>という意味の言葉で、その元ネタはご存じ芥川龍之介の短編小説。
藪の中で発見された男の死体をめぐって、目撃者や当事者が検非違使(平安時代の警察)に証言するが、その内容がそれぞれ食い違い結局のところ真相は分からずじまい・・・というちょっとシュールなお話だ。そして、自分のような映画に関わる人間にとっては黒澤明監督の名作「羅生門」の原作となった小説として記憶されている。黒澤明監督は世界中の映画監督が今でも敬愛してやまない日本を代表する大監督だが、その名を世界にとどろかせた出世作がこの「羅生門」だ。そして、「羅生門」に影響されたと覚しき作品は枚挙にいとまがない・・・と個人的には思う。例えば、
「去年マリエンバートで」(1961年フランス A・レネ監督)
「殺し」(1962年 イタリア B.ベルトリッチ監督)
「レザボア・ドッグズ」(1992年 アメリカ Q・タランティーノ監督)
「エレファント」(2003年 アメリカ G・V・サント監督)
「運命じゃない人」(2005年 日本 内田けんじ監督) などなど。
「エレファント」に影響を受けまくっていると思われる一昨年の日本映画、
「桐島、部活やめるってよ」(吉田大八監督)もリストに入れても良いか。
 見事に傑作揃いである。そしてこの作品群はある特徴を共有している。
「殺し」「レザボア・ドッグス」「運命じゃない人」がデビュー作。
「去年マリエンバートで」はヴェネチア映画祭、「エレファント」はカンヌ映画祭で最高賞を受賞し、「桐島、部活やめるってよ」は一昨年の日本映画の賞を総なめにしている。いずれもの作品も監督の名を一気に世に知らしめた出世作である。面白いことにこれら「藪の中」的な構造を持つ映画の多くは、その監督の処女作であったり、ブレイクするきっかけとなる出世作だったのである。
そして、現在は札幌の中堅劇団として活躍する弦巻楽団の出世作である「死にたいヤツら」もまた同じく「藪の中」的な構造を持っている。
その理由は全く分からないが、古今東西の若い芸術家が同じような構造の題材に興味を引かれ作品を作り上げているのは面白いことだと思う。
「死にたいヤツら」はリストに挙げたような映画が大好きな方にもオススメの芝居だ。そして芝居好きでリストの映画を観ていない方は、ぜひこれらの映画にも手を伸ばして欲しい。小説・芝居・映画といろいろなジャンルをクロスオーバーしながら「演劇シーズン」を楽しみましょう!

PROFILE
早川渉/映画監督・CMディレクター 札幌在住
現在開催中の札幌国際芸術祭の連携事業で、アイヌ神謡集の一遍にインスパイアされたショートムービー「この砂赤い赤い」を制作中。9月半ばの完成を目指している。かなりシュールで血なまぐさい映画です(笑)ただいま、サポーター募集中です!
http://theaterkino.net/wp/wp-content/uploads/PDF.pdf

ライター  岩﨑 真紀さん

 『死にたいヤツら』は「日常の謎」に属する、コミカルタッチのミステリーだ。

「日常の謎」は推理小説のジャンルのひとつで、殺人や社会的事件ではなく、「生活の中のささやかな謎」を解き明かしいくタイプのものを指す。代表的な作品に、『空飛ぶ馬』に始まる北村薫の連作短編「円紫さんシリーズ」があるのだが、私は『死にたいヤツら』を観て、このシリーズを思い出していた。

『死にたいヤツら』では、陰惨な事件は起こらない。ある男の四十九日法要の席で謎が提示され、それを解明すべく、複数の視点から「男の最後の誕生日」が語られる。

構造的には『藪の中』風なのだが、扱われているのは芥川龍之介ではなく近松門左衛門。複数の愛人ネタにそれぞれ近松作品を絡めてくるだけでなく、ちょっぴり作者の謎を取り上げたりしているところが、文学ネタを随所に盛り込んでいる「円紫さんシリーズ」っぽいウイットを感じさせる。そしてそれは、文学的素養がなくても十分におもしろい。というか、もしかして素養があったら腹が立つ人もいるのだろうか?(私にはない)

念のために書くと、私は北村薫の「円紫さんシリーズ」が大好きだ。というか、知識をくどくどと描写するのではなく、それをちらりと使って軽やかに遊んでみせている物語が好きなのだ。『死にたいヤツら』は、大変上手にそれをやっている作品だと思う。

公演パンフに書かれている通り、『死にたいヤツら』は近松をテーマとした演劇祭のために作られている。
私は2006年のこの演劇祭でいくつかの作品を観劇したのだが、参加劇団は軒並み「抜き差しならない愛憎」「心中」を作品のテーマとしていたように記憶している(おぼろげだが)。その中で『死にたいヤツら』は、ドタバタミステリーにすることで愛憎と心中にうっちゃりをかましつつも、きちんと「近松」を絡ませ、かつ「心中がわからない」ということに正直に向き合った良作だと感じた。

今回の再演を観て、改めて思ったこと。

奇をてらった演出はない。
物語構造に工夫はあるが、派手な仕掛けはない。
けれど、物語として誠実におもしろい。
『死にたいヤツら』はそんな作品だ。

PROFILE
岩﨑 真紀
フリーランスのライター・編集者。札幌の広告代理店・雑誌出版社での勤務を経て、2005年に独立。各種雑誌・広報誌等の制作に携わる。季刊誌「ホッカイドウマガジン KAI」で演劇情報の紹介を担当(不定期)。

在札幌米国総領事館職員  寺下ヤス子さん

「死にたいヤツら」弦巻楽団
2014年8月13日

さすがにちょっと勉強しようと思って、前回観た、「あっちこっち佐藤さん」の原作者、笑劇ヒットメーカーのレイ・クーニー氏のインタビューを読んだ。笑劇を書くコツを惜しげなく語っていた。
簡単に言うと、プロットは悲劇であること、主役は悲劇が演じられる役者であること、だった。本来ならば悲惨な事態を、必死に何とかしようともがく姿が笑いを生む、らしい。
この「死にたいヤツら」も当てはまる。ある男の四十九日の法要が舞台だ。
人の死は悲劇だし、遺産争いも悲劇だ。でも笑ってしまう。人の欲深さや愛憎、そして死さえ笑い飛ばすことが、生き延びていく知恵かも知れない。きっと人はそのことを本能的に知っている。

モチーフとなっている近松門左衛門の心中もの然り、赤穂浪士、桜と散る、など、日本文化は死を美化したものは多い。太宰治も三島由紀夫も責める気にはなれない。しかし、この際、脊椎カリエスの痛みに悶絶しながら創作を続けた正岡子規を見習いたい。子規が、病床に伏しながら震える手で描いた朝顔の絵(の絵はがき)を持っている。子規曰く、「悟りとは、いつ如何なる時でも平気で死ねることだと思っていたが、間違っていた。悟りとは、いつ如何なる時でも平然と生きていることだ。」 そりゃどうしても悟りを開かねばならぬとは言わないけど。

リワインドするように、同じ場面を違う人物の観点から時間を逆戻りして見せる手法。これは、おもしろい。舞台では今までに見た記憶がない。
映画やテレビでは、古くは黒沢明監督の「藪の中」、好きだったのは内田けんじ監督の「運命じゃない人」、テレビ朝日「相棒」シリーズの「右京、風邪をひく」もよかった。
舞台の俳優さんたちは、時系列を分りやすくするために、ミュージカルばりの動きで笑わせてくれる。同じ場面はしっかり何度も同じ演技をしてくれる。
初日とあって、いきなり笑いの渦!とは言わないが、劇が進むに従って声を立てて笑う人々が増えた。遠慮せず、笑っちゃおう!笑い飛ばして、清々しよう!

PROFILE
寺下ヤス子
在札幌米国総領事館で広報企画を担当。イギリス遊学時代にシェークスピアを中心に演劇を学んだ経験あり。神戸出身。
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